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古本夜話141 島木健作『生活の探求』と柳田民俗学

前回の昭和十三年刊行『土に叫ぶ』は、羽田武嗣郎の証言によれば、「たいへん当たり」、発売元の岩波書店から毎月三千円の支払いがあったという。この本の定価は一円八十銭であるので、部数は定かでないにしても、ベストセラーに類する売れ行きだったことを、この金額は告げている。それはまた農村を舞台とする、農民文学の隆盛と時代的に重なっている。農民文学についてはもう少し後でふれるつもりでいたが、『土に叫ぶ』との関連でここで一編だけ書いておこう。

水上勉の『文壇放浪』(新潮文庫)の中に昭和十年代前半の読書についての言及があり、同時代に「農民文学懇話会」に集った作家たちの作品が地方の文学青年に親近な思いを抱かせたと書いている。昭和十二年後半から翌年にかけて、島木健作『生活の探求』、和田伝の『沃土』、久保栄の『火山灰地』などがベストセラーになったり、話題をよんだりしたことで、当時の農相有馬頼寧が関心を示し、有馬を囲んで、和田伝や島木健作たちとの懇談会が持たれ、十三年十一月に発足したのが農民文学懇話会だった。そして出席者は五十余名に及び、戦時下における農民文学の隆盛を担ったとされる。

文壇放浪 生活の探求 火山灰地

さらに水上は島木の『生活の探求』も含まれていた河出書房の「書きおろし長篇小説叢書」もよく読み、「創元選書」で柳田国男や谷崎潤一郎を読んだと語っている。大谷晃一の創元社創業者伝兼社史ともいうべき『ある出版人の肖像』(創元社)によれば、小林秀雄の企画によって、柳田国男の『昔話と文学』を始めとする「創元選書」の最初の三冊が刊行されるのは昭和十三年末であり、「柳田国男を広い読書の世界へ引っぱり出したのも、この選書」で、柳田の本は十七冊出され、選書の顧問として島木健作や青山二郎も加わっていたという。
昔話と文学

その水上が読んだ「書きおろし長篇小説叢書」の正続『生活の探求』二冊が手元にある。前者は昭和十二年十月初版、十五年五月第百三十一版で、後者は同十三年六月初版、十五年六月八十六版で、確かに突出したベストセラーだったとわかる。ある文学全集の解説で、田宮虎彦が「昭和十年代の島木健作は一種異様な雰囲気につつまれていた流行作家であった」と書いている。それは『生活の探求』のベストセラー化によって生じたものだと断言していいだろう。

野口富士男も「ほとりの私」(『暗い夜の私』所収、講談社文芸文庫)で、島木との出会いを語り、次のように記している。野口も「書きおろし長篇小説叢書」で読んだのである。

 島木さんの『生活の探求』が出版されたのは、その年の十月であった。そして、私はそのベストセラーとなった書物をむさぼるように読んで、はずかしいことだが、当時の多くの青年たちとおなじように感動した。その誠実さに打たれたといってもいい。

しかし野口は『続・生活の探求』を読むに及んで、「それが作者みずからの保身のための、時代への迎合のあらわれだ」と感じ、島木への尊厳を取り消したと述べている。

さてここで『続・生活の探求』までは論じられないが、『生活の探求』だけでもふれておくべきだろう。この小説は農村生まれの杉野駿介が病を得て、東京での大学生活を放棄し、養生のために故郷に戻り、観念的な世界から抜け出て、具体的にして実質的な農村の生活に新鮮な魅力を覚え、帰農していく姿を描いている。昭和十年代における所謂「農村の発見」であり、「帰農」の物語と見なすことができる。『生活の探求』の中の言葉を借用すれば、「インテリゲンチャとしての生活を棄てて、以前の出身階級に帰る」物語と言ってもいい。もちろん『生活の探求』以前にも武者小路実篤や徳富蘆花による大地の讃美や土に還れの主張に基づく帰農生活はあったが、この小説の何よりの特徴は帰農=「以前の出身階級に帰る」物語として設定されていること、またそれが戦時下に向かおうとする昭和十二年に刊行されたことにあるように思われる。
ただ島木の年譜をたどってみても、東北帝大を中退し、日本農民組合香川県連合会の書記となり、農民運動に参加しているが、農村の出身ではない。したがって『生活の探求』の中に登場する農村は、香川時代の農民運動の体験をベースにして構築されたと考えがちだが、再読してみると、そのリアリティはわずかな年月で獲得できるものではないように思われた。

その例はいくつも挙げられるが、村の盆から秋にかけての時間が、行事と祭の連鎖によって成立していることに注目すべきだろう。盆における共同墓地の賑わい、燃える松と線香の匂い、鐘の音と読経の声、天神の境内での万歳、三味や太鼓の音、弘法大師を祭る篝火などの描写、秋に入っての種々雑多な神が登場する祭の数々、それらの神は牛神、毘沙門、北の神、山の神、金毘羅、八幡などで、農村の仕事からではなく、行事や祭から立体的に浮かび上がってくる。そして駿介は明らかに外部からの視線で述懐する。

 祭は一つには社交であらう。鍬を取つて耕す、といふ仕事の形態そのものは単独であるが、農業全体の過程においては、実に複雑多端に多の人々との相互関係に入り組んでいる。さういふ彼等の生活はおのづから社交の機会を多く求めるであらう。祭は又慰安であり娯楽であらう。その他いろいろなものであらう。

このような記述は島木の実体験からではなく、柳田民俗学によっていると思われる。おそらく柳田の『日本農民史』(刀江書院、昭和六年)や『都市と農村』(朝日新聞社、昭和四年、ともに柳田国男全集29所収、ちくま文庫)を読み、それが『生活の探求』に流れこんでいるのではないだろうか。小林秀雄はそのことに気づき、柳田の著作を収録する「創元選書」の顧問に島木を招聘したと考えられる。それに『生活の探求』の装丁者は同じく顧問の青山二郎であり、この時代になっての柳田民俗学と文学の連鎖を告げているように思われる。
柳田国男全集29

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