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古本夜話148 三浦関造『革命の前』、ブラヴァツキー、竜王文庫

本連載144「三井甲之と『手のひら療治』」において、三井の『手のひら療治』も同時代の太霊道、肥田式強健術、岡田式静坐法などの影響を受け、それらを統合して「国民宗教儀礼」に高めようとするものだったと既述した。
手のひら療治

そしてさらに三井が『手のひら療治』に寄せた「出版についての著者の言葉」には、これも本連載146でふれた桜沢如一への謝辞もあり、三井と桜沢の交流も伝えている。また桜沢に続いて、三浦関造の名前も挙げられ、様々な健康法や治療法が春陽堂やアルスから出版されたことと同様に、意外な印象を覚える。

三浦関造に関しては『日本近代文学大事典』に立項されているので、まずはそれを引いておく。
日本近代文学大事典

 明治一六・七・一五〜昭和三五・三・三〇(1883〜1960)キリスト教徒、翻訳家。福岡県生れ。福岡師範、青山学院神学部卒業後、弘前で一年間牧師。「六合雑誌」などで活躍、トルストイ、ドストエフスキーなどの翻訳、『二人の苦行者』(大一〇・一二聖書文学会)、『聖者あらたに生る』(大一四・五 万生閣)など多くの著訳書を著した。また、タゴール研究家でもある。戦後は統覚の行に専念、綜合ヨガと形而上学を教え、「至上我の光」を発刊。没後ヨガ関係書が龍王文庫から刊行された。

ここには挙げられていない三浦の長編小説が手元にある。それは『革命の前』で、箱には「創作」と表記され、大正十二年六月に隆文館から刊行されている。

『革命の前』は四六判三百七十ページに及ぶ長編小説とよぶこともできようが、これは物語構成、人物造型と描写、ストーリーの展開などから考えても、優れた作品と見なすことはできない。その理由を示せば、小説のぎこちない構成と展開に他ならないだろう。『革命の前』は三人の語り手がいて、物語もその三人の視点によって構成され、進行していく。最初の章は高見という囚人が語る牢獄での春の訪れから始まり、彼の目に映った様々な囚人たちの生態と入獄に至った事情などが描かれていく。それらのエピソードの間に高見の過去や回想も挿入され、彼が四十六歳で、若い頃は英語を教え、ダンテを愛読し、詩人をめざしていたこと、ブラジルにも渡ったこと、そして南米大陸移住計画実現のために宗教団体に身を投じ、巨額の資金と運動費を引き出し、詐欺と強迫(ママ)の罪によって四年間の牢獄入りとなったようなのだ。しかしそれでも高見は『聖書』とスウェーデンボルグの『天国と地獄』を読みながら、出獄後の「最後の聖戦」を夢想していた。

二人目の語り手は小説家の名和である。名和は南米植民の熱心な主唱者で、出獄した高見が訪ねた相手だった。だが高見は名和家滞在三日目の晩、名和から今後の生き方を問われ、現在の政党や労働運動、文学や芸術、とりわけ金まみれの既成宗教を批判する。そして自分は個性によって立つ、「個性といふものは神秘」で、それは善か悪かはわからないが、先天的な真善美に価し、「人類を動かすものはこの神秘の中から現われて来る」と述べ、その翌日高見は行方不明になってしまう。これ以後、名和の視点で、高見のことが語られていく。

名和の家から消えた高見は画家の須原夫妻のところに現われ、妻の信子を連れ出し、そのまま帰ってこなかった。須原は名和に師事し、高見は須原に学費を援助し、妻の信子とその母は高見の教団時代の信者でもあり、彼の入獄後に須原と信子は結婚したのだった。

どこからか大金をつかんだ高見は、「忍従という悪魔」による名和に絶交状を送りつけ、「予は破壊と反抗とを似て、神の美に酔はむとす」と宣言する。それを読んで、名和は高見を「ラスプーチンだよ、本当にあれはラスプーチンだ」と述懐する。

三人目の語り手は須原で、妻と高見の出奔と帰還、妻をめぐる須原と高見の争い、再びの妻の家出が述べられていく。そして高見は牢獄の場面に登場したキャラクター像とはるかに異なり、「聖者か天才のやうに見えることがあつて、また赦すべからざる悪魔のやうな蛇心と奸性の持主!」と見なされるに至る。そして高見の教団に関わる殺人疑惑までが提出され、彼の悪行が様々に想像され、それは信子の出産にまで結びついていく。様々な須原の災厄に対し、名和が須原に語りかける。その言葉こそはこの『革命の前』という小説の、それが構成や物語展開の破綻を有しているにしても、コアを告げているのだろう。

 露国ロマノフ王朝が崩壊するすぐ前には、ラスプチンが出て来たね。宗教狂と色情狂が合致して出来た人間といふものは、一寸聖者のやうに見えるものだよ。時代の一大変転期に臨むと、さういふ人間がボロゝゝ出て来て人を惑はす。(中略)見たまへ、高見に限らず、今日の宗教の狂態! 宗教は資本主義より狡猾なものだ。敬虔と人道を楯にして、人間の血を吸ふことに飽き足らず、進んで魂を喰ひあらす者は、今日の所謂聖者といわれる者だ。(後略)

そして続けて名和は『聖書』における「マタイ伝」の第二四章を引用する。その一節も記しておこう。「偽キリスト・偽預言者おこりて大なる微と不思議とを現はし、為し得べくば選民をも惑はさんと為るなり」。ただしこの引用は『革命の前』からではなく、文語訳『新約聖書』によっている。

ここで『革命の前』というタイトルの由来が判明し、三浦がこの小説にこめたメッセージを理解できる。ロシア革命前史に現われたラスプーチンは高見と重なることで、他ならぬ日本の大正時代も「革命の前」と見なされ、また高見に象徴される多くの宗教と聖者を生み出している時代が、まさに「偽キリスト・偽預言者」の跳梁する時代であることを、『革命の前』はドストエフスキーの小説に様々な範を求め、ぎこちなくも浮かび上がらせようとしたのであろう。しかしこの小説は「革命の前」ならぬ「関東大震災の前」に書かれ、その出版直後に三浦も大震災に遭遇したはずで、その影響はそれ以後の著作に向けられたと思われる。

そのような三浦関造のテーマがその後どこに向かったのか、『革命の前』以後に書かれた小説『石長媛』などを入手できず、追跡できていない。しかし様々な転回を経て、神智学の創始者ブラヴァツキーの研究に向かったと思われる。『日本近代文学大事典』に、戦後はヨガを教え、没後竜王文庫よりヨガ関係書を刊行とあるが、竜王文庫は三浦が主宰した神智学系のヨガ団体竜王会の出版部門と考えられる。竜王文庫はブラヴァツキーの綜合ヨガ聖典『沈黙の声』『シークレット・ドクトリン』(上巻、田中恵美子訳)を出版し、前者は三浦訳で昭和三十年に初版が出されている。

沈黙の声 シークレット・ドクトリン 上巻

これはブラヴァツキーがチベットで発見した『金箴の書』の自らの英文抄訳で、『金箴の書』はチベットの聖者たちが記し、伝えられた聖典であり、三百ほどの断章というべき「断片」と「註解」による百二十ページ弱の一冊である。昭和五十年七版、『シークレット・ドクトリン』の訳者田中恵美子を発行者とする奥付裏には、三浦の著作などが二十冊掲載され、「先生の著書には、人類救済の大真理が、太陽のように輝いている」との惹句から、竜王会=竜王文庫がヨガ、三浦、ブラヴァツキーを中心に成立したものであり、三浦の「至上我の光」と「沈黙の声」が通底しているとも推測できる。

日本におけるブラヴァツキーと神智学の流入をめぐっては、荒俣宏編『世界神秘学事典』(平河出版社)所収の「神智学、日本に渡る」に簡略なチャートが示されている。明治四十三年のブラヴァツキーの『霊智学解説』(博文館、心交社復刻)の平井金三の協力を得たE・S・スティーブンスンと宇高兵作による翻訳、彼女の最大の協力者オルコットの来日、高橋五郎や友清歓真や今東光の父武平に与えた影響まで言及されている。だが三浦関造にはふれておらず、『沈黙の声』『シークレット・ドクトリン』の翻訳への言及はない。また佐藤哲朗の『大アジア思想活劇』(サンガ)もアジアにおける神智学協会の活動をかなり詳しくたどっているが、こちらも残念ながら三浦についてはふれていない。三浦とブラヴァツキーとヨガの三位一体はどのようにして成立したのだろうか。

大アジア思想活劇 世界神秘学事典

これはブラヴァツキーの存在と影響にも顕著であるのだが、彼女に関するイメージが断片的に伝わっているように、日本における翻訳も断続的であり、それは〇三年に刊行された『インド幻想紀行』(加藤大典訳、ちくま学芸文庫)も同様で、続刊として完訳『シークレット・ドクトリン』の刊行を期待したい。

インド幻想紀行 上 インド幻想紀行 下
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