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古本夜話149 草村北星、隆文館、川崎安『人體美論』

前回の三浦関造の『革命の前』の版元は隆文館だと記した。奥付の正式な社名は隆文館株式会社である。

この隆文館を興した草村北星については、以前に拙稿「家庭小説家と出版者」(『古本探究3』)で、出版者というよりも『浜子』(『明治家庭小説集』所収、『明治文学全集』93 、筑摩書房)に代表される家庭小説家としての側面を描き、出版者としての長い軌跡に関しては稿をあらためたいと書いておいた。幸いにしてその後、隆文館の出版物を『革命の前』の他にも何冊か入手しているので、それらにもふれてみたい。
古本探究3

その前に草村が隆文館創業に至る経緯を簡略にトレースしておくべきだろう。今回は昭和女子大学の近代文化研究所『森田草平・白柳秀湖・野上臼川・草村北星』(『近代文学研究叢書』第六十七巻)所収の、野々山三枝による「草村北星」を参照してみる。草村は明治十二年熊本県玉名郡に生まれた。父親は自由党員だったので、ミッションスクール熊本英学校に学び、同二十九年に上京し、東京専門学校文学科に入り、坪内逍遥の薫陶を受け、卒業後に民声新報社に入社する。『民声新報』は星亨の機関紙で、当時の編集長は国木田独歩であり、北星と独歩は親しくなった。北星はそのかたわらで、『明星』などに短編小説を発表し、新しい作家として文壇にもデビューし、翌年徳富蘇峰の紹介により、金港堂編集局に入る。そして雑誌『青年界』の創刊編集担当者となり、書き下ろしの家庭小説『浜子』をも金港堂から出版し、多大な反響を呼び、たちまち人気作家に数えられたという。

明治三十七年に北星は金港堂を退社し、早稲田と政友会人脈を背景に隆文館を創業し、当初は日露戦争に乗じた軍歌や絵本類の出版から始め、次第に自らの家庭小説も含めた文芸書の出版が中心となり、休刊に追いこまれた新声社の文芸誌『新声』を佐藤義亮から譲り受け、復刊するに至っている。しかしその隆文館の旺盛な出版物の詳細は明らかにされてこなかった。

だが明治四十一年刊行の川崎安の『人體美論』を入手し、その巻末の「隆文館発行図書総目録」を目にするに及んで、創業から五年間の主たる出版物の明細が明らかにされたように思った。そこには書名は挙げられないが、哲学宗教書、教育参考書、家庭園芸書、文芸書の六十冊が掲載され、その半数を田山花袋、斎藤弔花、伊藤銀月、中里介山、小島烏水たちの文芸書が占め、確かに北星と隆文館が文芸書出版社を目論んでいたことをうかがわせている。

しかし他ならぬこの『人體美論』はそうした文芸書出版の資金繰りのために刊行された一冊ではないだろうか。このことに気づいたのは『人體美論』をそれほど深く考えず、何気なしに買い求めてから、数年後であった。これは裸本に加え、補修が施されていたことで、確か均一台から拾った一冊だったために数百円の古書価であったはずだ。

この『人體美論』を購入したことも忘れていたのだが、何年か経ってたまたま続けて『人體美論』の書影とその中に掲載されたヌード写真を見るに及び、以前に買ったことを思い出したのである。まずは城市郎の『発禁本』(「別冊太陽」)において、書影と所収ヌード写真の掲載があり、そこに「陰毛無削除、風俗禁止」と記されていた。『発禁本』はたびたび参照していたのだけれども、所持する『人體美論』が裸本のために表紙のある書影と一致しておらず、ずっと見逃していたことによっている。それに表紙は豊国の行水を使う半裸の女性を描いた浮世絵だったからでもある。
発禁本

また『発禁本』に続いて、その頃届けられた古書目録の大阪のクライン文庫のところに同じヌード写真一枚と序文の一ページが掲載され、二万円近い書価がつけられているのを目にした。

このふたつの発見によって、何気なしに買った『人體美論』が発禁本であり、それゆえに古書価も高い一冊であると知らされたことになる。

そしてあらためて『人體美論』を繰ってみると、確かに西洋人らしき若い女性のヌード写真が冒頭にすえられ、本文の最初のところに次のような著者の文章が記され、同書のモチーフが述べられている。

 西欧諸国には希臘の昔から人體美を研究した著作が多い。或は美学的に、或は解剖学的に、又或は芸用的に、人體美を研究した著作は頗る多い。然るに日本にはそんなものが少ない。少ないと謂ふよりも絶無と謂ふ方だ。(中略)此の如きは日本人が人體を美としなかつたから、日本人の美的趣味が人體に存しなかつたからではあるまいか。

これに続けて、本邦の人物画としての絵巻物や浮世絵は人體の姿勢と形式美を描いたもので、人體美に伴う表情や個性の欠如のために、とりあえずはしりぞけられている。

そしてまずヌード写真に象徴される「理想的西洋裸體美人」が示され、それに「理想的東洋服装美人」の写真が対比され、同じく和服姿の「東京式美人」や「京都式美人」の姿が五ページにわたって紹介され、本文が始まっていく。

「理想的西洋裸體美人」に見合う西洋の人體美の各論が語られ、その後で「理想的東洋服装美人」に寄り添うかのように、西洋と異なる人體美を支える日本の音声、化粧、服装、光線、配景が語られ、先に挙げた口絵写真とは異なる多くの日本人の人體に属さない美的趣味の写真や図版を配し、最初は西洋の人體美から始まったはずが、日本の自然と調和する女性の美への傾斜、及び美の擁護へと向かっている印象を与える。それは九鬼周造の『「いき」の構造』(岩波文庫)に先行しているようなイメージ論を伴っている。

「いき」の構造

そしてあらためて川崎の「自序」に戻ってみると、「無用の用」として「僕等は日本人である。日本人の研究、特に日本人の體美の研究には僕等自身が『道楽的』に、全力で格らうではないか」との言があり、西洋の人體美に抗して、日本のオリジナルな人體美の研究を提出しているとわかる。

また同書を「誘惑的となす者」は「其の人業已誘惑的精神を有するが故也」との断わりも最初に掲げられているので、「理想的西洋裸體美人」の写真も確信犯的に収録されたのであろう。そして出版社としての隆文館もあえてそれに同調し、発禁を覚悟してのベストセラー化を狙ったようにも思われる。それらの事情もあって、発行者は草村ではなく、おそらく編集担当者と思われる平山勝熊名義で刊行されたのではないだろうか。実際に隆文館の既刊書、幸徳秋水の『平民主義』は発禁処分を受けているので、内容は異なるにしても、『人體美論』もその予測はついていたはずだ。それにこの時代は発禁の全盛を迎えていた。

このような隆文館の発禁覚悟の出版は、前年の独歩社による猟奇的殺人事件の有名な犯人の手記『獄中之告白』の刊行を見ならっているのかもしれない。「士族の商法」に他ならない雑誌出版の独歩社を始めた国木田独歩はたちまち資金繰りに行き詰まり、『獄中之告白』のような「売れそうな本」を出すしかないところまで追いつめられていた。この事情に関しては拙稿「出版者としての国木田独歩」(『古本探究2』』所収)を参照されたい。
古本探究2

隆文館の草村北星も独歩ほどではないにしても、資金繰りの問題も絡んで、『人體美論』の出版に踏み切ったのではないだろうか。

なお著者の川崎安は四年前にやはり隆文館から、東京美術学校教授岡田三郎助の校閲による『人體画法』という技法書を刊行している。だがこの川崎のプロフィルはつかめない。読者のご教示を乞う。


〈付記〉
早速、「神保町系オタオタ日記」より、川崎安に関してご教示を得た。
「『人體美論』の著者川崎安=鋳金家原安民」 「『人體美論』の著者川崎安=鋳金家原安民(その2)」

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