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ブルーコミックス論11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)

青い菊


鳩山郁子はずっと「青」と「少年」に執着してきた漫画家である。私は『スパングル』青林堂、後に青林工藝社)と『青い菊』の二冊を読んでいるにすぎないが、そのように断定してもかまわないだろう。

スパングル(青林工藝社版)

『スパングル』の表紙は鮮やかな藍色の青藍のカバーに星がきらめき、その中央に濃い黄赤の樺色の半ズボンスーツに同色の帽子と長靴下をまとった色白の少年が立っている。そして最初の作品「星的、菫的」は半ズボンスーツなどの色は異なるが、その少年が主人公で、彼は古い電車に乗って未来都市の菫青市に向かおうとしている。また二番目に短編タイトルは「青く塗られた青のなかに」で、後ろ手に組んだ少年の足の間にある三角形の青い海とモザイク世界の幻想が展開される。その他の短編もダイレクトに「青」が言及されなくても、「少年」の幻想世界が様々なオブジェを通じて語られていく。唐突に挿入されている一枚のイラストはAgota kristof のコピーライトがあるように、『悪童日記』堀茂樹訳、早川書房)の影響を伝えていよう。
悪童日記

そして青い服をまとった少年たちを表紙カバーとする『青い菊』に至って、鳩山の「青」と「少年」への執着はさらに顕著となる。この作品集は三編とオブジェ集から成立しているが、これらの三作はことごとく「青」の世界に包まれている。「Un Eatable Sandwitches」は無くなった兄が残した青い針を何百本も集め、固めたような鉱石をめぐるファンタジー、「七月紙鳶」は青い空に舞う紙鳶の物語、「青い菊」は文字通り青い菊奇譚を形成している。ここでは当然のことながら、タイトルにある「青い菊」を取り上げてみよう。

「青い菊」は電気菊=電照菊の話から始まる。「菊達は人工灯の真昼を錯覚する。電照菊は眠らないんだ。(中略)白熱灯は個々の太陽の様に菊達の上に君臨しており、蕾を結ぼれさせたままにおし留めていた」との杏利広重の独白があって、次に転校生らしい杏利が「青菊の隣り」の席につくように教師に言われる場面へと移っていく。

「青菊」は清曽根俠(さとる)の渾名で、彼の家には電照温室があり、そこで新しい品種の青い菊が作られたという流言から、そう呼ばれるようになったらしいのだ。この一帯は菊作りが盛んで、季節は菊節句の頃と設定されている。

俠は父親に温室の灯を点けてくれといわれ、電気のスイッチを入れる。すると温室中の電燈が明るく輝く。杏利はそれを従兄の二階の室から見て、本当に「キヨソネの父さんは橙色の真昼の光に咲く新しい菊の品種をつくり出したかもしれない」と思う。そしてそれが「かそけく光を放つタングステン青い花芯(フィラメント)」を持っているはずだと夢想する。

キヨソネは杏利に「青菊の身の丈一菊尺五寸―」だと語り、真夜中に電照温室へ誘う。そこは真昼のようで、キヨソネは温室が「一個の増幅装置(アンプリファイア)」だともいう。青い菊を目の前にして、杏利は問い、キヨソネが答える。その会話を引いてみる。

 「じゃあ、この青い菊は、本当のものではないの、目に見えるようになるまで増幅された夢?」
 「夜中に創られるものは何だって真実(ほんとう)にきまっているさ……それがたとえ青き菊だっても」

そしてキヨソネは地元の菊香水「青い菊(ブルー・クリザンテエム)」の名前、自分の「青菊」という渾名も、「不特定多数の人々が夢見るための名前」で、「誰もが夢見得るんだ/青い菊を」と続ける。それから青い菊を被せ綿でくるみ、ちぎってしまい、杏利に帰り道で捨ててもいいからと手渡す。

翌朝キヨソネは昏睡状態でいるのを温室で発見された。彼は夢の中で、被せ綿の野原を歩いていて、灰青い光が地平線上にもれていたといい、また電照菊が眠らなかった分の時間を眠っていたと話した。その後荒れ放題になった電照温室は新たに借りる人が現われ、建て直されたが、二人にとってもはや「夢の増幅装置」となることはなかった。

二人の少年と菊の関係から、思わず上田秋成『雨月物語』の一編「菊花の約(ちぎり)」を思い浮かべてしまうが、これはモラリッシュなファンタジーと見なすべきで、「青い菊」とは物語の位相が異なっている。しかし『雨月物語』も「浅茅が宿」や「青頭巾」といった「青」にまつわる作品が収録されていることを記しておこう。

雨月物語

それよりも「青い菊」のみならず、鳩山ワールドに明らかに見てとれるのは、稲垣足穂『一千一秒物語』『少年愛の美学』の影響であろう。『スパングル』におけるアゴタ・クリストフの影は前述したが、基本的な物語コードは足穂の世界から流れこんでいて、それは『青い菊』所収のオブジェ集「Lou- dau-daw〜ルウ・ドウ・ドオ〜」に「タルホ」の名前も添えられ、楽しく結実している。蓄音独楽、真空管、幻燈機、ステレオ・スコープ、知恵の輪、ゾーアトロープなどの十五のオブジェは、この作品集の物語世界と時間と場所の近傍にあってふさわしいものであり、鳩山の世界が常に少年によって夢見られた物語であることを告げている。

一千一秒物語 少年愛の美学

そして足穂が『一千一秒物語』に書きつけた最後の言葉のこだまを響かせているのだ。
「ではグッドナイト! お寝みなさい。今晩のあなたの夢はきっといつもと違うでしょう。」

次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1