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ブルーコミックス論13 よしもとよしとも『青い車』(イースト・プレス、一九九六年)

青い車


青い車a Blue Automobile は冒頭の短編で、それがタイトルに採用されているし、また表紙カバーもその短編の登場人物の姿が描かれたものなので、よしもとにとっても、思い入れの深い作品だと考えられる。それを物語るかのように、「この短編はマンガ史に残る傑作だなどと、勝手に思っているのですよ」と、よしもとは「あとがき」で記している。もっとも「でも別に残らなくてもいいです」と断わってもいるが。

よしもとの全作品を読んでいないのだが、この「青い車」はMICKEY RECORDS という店を舞台とした、そこで働いたり、そこに出入りしたり、関係したりする人々を描いた連作のひとつと見なせるだろう。それらの人々の名前を挙げてみれば、店長はマチダ、店員はリチオ、バイトはコグチ(アダ名はミサイル)である。

それらの連作として『青い車』にも収録されている「オレンジ」「ツイステッド」「マイナス・ゼロ」、あるいは『よしもとよしとも』双葉社)所収の「ライディーン」などが数えられる。しかし一読すると、それらの作品と「青い車」は物語も内容もまったく隔絶していると判断できる。

それではこの「青い車」とはどのような作品なのか、まずはそのことから始めよう。これは講談社の九五年の『Girly』第一号に発表されていることに留意すべきで、この年は阪神大震災が起き、「青い車」の物語の背景にはそれが大きな影を落としていることは最初のシーンからして明白だ。

MICKEY RECORDSの店内でリチオが転倒防止器具を棚に取り付けようとしていて、店長のマチダに「クソをふんだこと」と「地震で死ぬ確率とどっちが高いか」という問答を交わしている場面から、リチオをとりあえずの主人公とする「青い車」は始まっている。それは「青い車」が喜劇も悲劇も充全に踏まえ、物語の展開があることを告げてもいる。

そこにひとりの女がリチオを訪ねてくる。まだ後ろ姿が描かれているだけで、彼女の顔も素性もわからない。閉店後に夜の街を歩いているマチダとリチオの会話から、訪ねてきたのがあけみという女の妹で、姉とそっくりな女子高生だったことがわかる。どうやらリチオとあけみは恋人関係にあり、マチダも彼女と数回会っていたが、妹の存在は知らされていなかった。あけみは妹思いで、リチオに口止めしていたからだ。そのような会話のかたわらに、「1日30本の煙草/ボトル半分のアルコール」という言葉が添えられている。それはあけみの習慣をさしているのだろう。

MICKEY RECORDSの場面が見開き一ページ、マチダとリチオの街を歩きながらの会話が同じく見開き一ページで示され、次のページに切り替えられると、最初のコマにその妹が正面から描かれる。それは表紙カバーに使われていた「両手いっぱいの花束」を抱えた少女の姿だった。車によりかかったリチオが「このみ」と呼びかける。それで彼女の名前が明かされる。リチオが花束のことを問うと、このみはそれを海に投げるので、つき合ってほしいと頼む。おそらく彼女がレコード店を訪ねたのは、リチオにそのためのドライブを依頼することにあったのだろう。

そして次のようなモノローグが始まり、高速道路の風景の変容にしたがって挿入されていく。しかしリチオはサングラスをかけていて、その表情は一貫して変化を示していない。

先々月
地震があって
4分間で
五千人以上が死んだ
(らしい)
同じ日
全く関係のない場所で
彼女が事故死した
スピード・オーバーで
よくある
自動車事故だ
5千人の重みとは
比較にならない
僕も10歳の時
事故にあった
顔が変形し
人より2年遅れて
生きることになった
友達はほとんど
いなかったが
生きていることを
ラッキーだと
思った

このモノローグが終わると、二人の会話が入る。

 「お姉ちゃんが死んだ時泣いた?」
 「いいや」
 「冷たいんだ」
 「そうな」

この後でこのみは「なんかかけてよ」という。「LIFE IS A SHOW TIME/すぐに分かるのさ/君と僕とは恋に落ちなくちゃ」の歌詞が流れる。このみは音楽が吐き気を感じさせるので、止めてと頼む。またしもモノローグ的な「こぼれ落ちる涙」という一文がほぼ空白のコマに挿入される。これはこのみの涙を示し、リチオに「セックスしようよ」といい、車はモーテルに入れられる。そしてベッドの上での会話が空を背景とするコマに流れる。

 「知っていたと思う?」
 「何が」
 「お姉ちゃんがあたしたちのことを」

そしてまた車の中の場面に戻り、会話が続いていく。

 「ねえ、もし神様がいたらさ」
 「そんな人いません。人じゃなくて神様」
 「きっとあたし達のこと、雲の上から観察してるんだ。
 くそくらえだわ。」

このみはリチオに姉の事故死の前日に、「お姉ちゃんに全部バラしたの」、「苦しい」、「チクチクする」と告白する。つまりリチオとこのみは姉に隠れて関係ができ、それを妹が姉にすべて話し、それが原因で事故を起こし、死んだのではないかと思っているのだ。それに対し、リチオは「俺がなんとかする。心配すんな」と彼女を抱きしめる。

物語は終わりに近づき、またしても見開き一ページの場面に召喚される。道路から見られた海の風景に「渋滞する環状道路/春のにおい」という言葉が付され、そこであけみは死んだのだろう。車の中で涙を流しているこのみに代わって、リチオは煙草を吸いながら、花束を手にして海に投げようとしている。しかしその場面は物哀しくモニュメント化されずに、ギャグが付加されて閉じられる。そして最後に次のような三行で締めくくられている。

赤いダッフルコート
白のソックス
青い車

前者はこのみの服装、後者はリチオの車を表象している。フランスの国旗と同じ赤、白、青の三色は、様々に秘められたこのモノクロの物語の色彩を象徴しているのだろう。そしてこれらの色彩は彼らなりの、あけみの死へのレクイエムを表わしてもいるのだろう。地震による大量死の中に埋もれてしまうように見える小さな個人死であっても、それがかけがえのないひとつの死であったことを、この「青い車」はさりげなく語ろうとしている。とりわけ「生きていること」が「ラッキー」だと悲しくも実感しているリチオの眼差しを通じて。そうした意味において、リチオの古くて「青い車」は あけみの遺体を野辺送りにする私的な霊柩車であったことにもなる。

よしもとはこのタイトルがスピッツの曲からとられたと書いているが、その曲について、私は何も知らない。

次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1