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ブルーコミックス論20 入江亜季『群青学舎』(エンターブレイン、二〇〇四年)

群青学舎群青学舎』  さよなら群青1『さよなら群青』


発表年は相前後してしまうが、前回のさそうあきらの『さよなら群青』と同じく、タイトルに「群青」を含んだ作品がエンターブレインから刊行されているので、続けて言及してみる。それは入江亜季の『群青学舎』である。入江の『群青学舎』全四巻には三十八話の短編と連作が収録されていて、英語タイトルはGunjyo Schooldays 、コンテンツ説明として、Collected short stories と表記されている。また第一巻の表紙には次のような英語による紹介がある。

 All the bells in the schoolhouses began to ring and chime.
 Now let the class start, and let the romance be.

そして第一話の「異界の窓」を読むと、それが学校と生徒をめぐるファンタジーのような作品だとわかる。大森は同じクラスで、今度初めて隣の席になった山背(やましろ)君が大きな尻尾を持っていることに気づくのだが、どうも山背君の存在は大森だけにしか見えないようで、帰校の際に跡をつけても、草むらを横切り、森の中へと消えてしまう。ある時、山背君がポケットから種を出し、それを教室の中に撒くと、たちまち教室中が草花に覆われてしまい、大森にはそれがまざまざと見えた。しかし他の生徒たちには山背君も草花の繁茂も見えていない。大森も我に返ってみると、山背君の姿も草花もなかった。教室の窓から見る外の風景はしばし前に見た教室の草花の繁茂するそれに似ていて、山背君がいないか確かめたが、彼はどこにもいない。尻尾のある山背君の存在は大森の幻覚だったのだろうか。

『群青学舎』はこのような宮澤賢治を彷彿させる短編連作かと思い、読み進めていくと、第二話「とりこの姫」はフランスのリセの学生の恋の駆け引き、第三話「先生、僕は」は臨時女教師の授業における、それこそ青いエロス的なノーブラ疑惑譚であり、同じ学校物にしても、その趣はまったく異なっていた。それらに続くのは中世騎士物語、ほれ薬実験記、森の話といったふうに、タイトルの「学舎」のイメージから離れていくばかりだった。

タイトルのもうひとつの「群青」を探れば、各巻に「白い犬」「ピンク・チョコレート」「赤い屋根」「七色ピクニック」などの色彩を配した短編や連作はあっても、「群青」を示すものはない。それでもかろうじて「青」の痕跡を示す連作を第三巻に見出すことができる。それは第二十二、二十三話の「薄明」であり、ヒロインの名前は「青子」なのだ。この「薄明」のストーリーを追ってみる。
他の作品はいずれもユーモラスでリリカルなトーンが必ず保たれていたが、この「薄明」だけは例外的に悲劇的な基調に包まれ、終始している。それはこの物語が逃れられない死へと向かっている少年と、それを見守る少女をひたすら描くことに専念しているからだろう。万里雄は病んでいて、学校にきても授業に出ないで、図書館にこもっている。そして一日おきに病院に通い、そうでない日は夕暮れまで本を読み、時々窓の外の風景を見たり、疲れて横になったりする。年下の少女の青子はその万里雄を見守っているが、彼はもはや自分が長くないことを自覚している。

ついに万里雄が入院した。彼のいない図書館は青子にとって何にもない場所に他ならなかったけれど、長く待つ間に少しずつ本を読むようになり、万里雄の読んだ本をわかるようにもなった。だがまだ万里雄は退院してこなかった。「わたしは知っていたのに考えたくなかった。遠くないいつか万里雄を失う日が来ることを」。

それでもようやく退院した万里雄は浜辺で考える。本から学ぶことで世界に満ちている知恵とひらめきと自由を知り、生きる歓びも思い起こさせたが、自分の前には「どんな研究も発明も物語もどんな発見もかなわない」死が待ち受けているのだ。「青子は変わっている。何にも興味を持たないくせに、僕のことはちゃんと見る。弱っていく僕から目をそらさない」。

万里雄は彼女に「ヘラヘラ」笑いながら「好きだよ青子」といった。死の淵へと誘われようとしている自分を「つかまえてくれ」と思ったからだ。ベッドの上で青子の手を握りながら、万里雄は死んでいった。青子は「僕が死んだら目をあげる」といったことを思い浮かべる。この言葉は「何を見ているのか」という彼女の質問に対しての答えのようでもあるが、様々に解釈できるだろう。それは万里雄の死と同様に深い意味がこめられ、青子の中で繰り返し反芻される言葉と化していくように思われる。

この「薄明」は『群青学舎』全四巻三十八話のうちで、とりわけ優れた短編ともいえないけれど、青子と学校の図書館に表われているように、「青」と「学舎」の連関を示している唯一の作品なので、ここに紹介してみた。

しかしあらためて「薄明」の視点から考えてみると、この短編集のタイトルに採用された「群青学舎」=Gunjyo Schooldays の意味、及び最初に引用した第一巻の英語によるキャッチコピーは、これらの多彩な短編連作のイメージをトータルに伝えているのではないだろうか。

おそらくここでの「青」は「薄明」の青子や万里雄に見られる危うさを伴った「若さ」に象徴されるもので、それが「学舎」、すなわちひとつのシステムに他ならない学校と対照的に配置されることによって、様々な物語が生まれ、派生していくことを告げているようにも思える。

それゆえに「群青」とはそれらの様々な「青」の物語であり、「学舎」とは様々な「青」が生まれ、派生していく装置のようなものとして機能する。そうしたメタファーとバリエーションによって、多彩な短編連作が紡がれ、編まれていったのではないだろうか。

『群青学舎』の全四巻の表紙と背には群青色を中心にして青、薄藍の三色からなる同心円が描かれ、表紙の上に「群青学舎」のタイトルが白抜きで置かれている。それを見ていると、様々な「青」の波紋の拡がりがこの短編集のテーマであることを語りかけているような気にさせられる。

群青学舎 1 群青学舎 2 群青学舎 3界 群青学舎 4

次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」19 さそうあきら『さよなら群青』(新潮社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」18 篠原千絵『蒼の封印』(小学館、一九九二年)
「ブルーコミックス論」17 木内一雅作・八坂考訓画『青龍(ブルードラゴン)』(講談社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」16 松本充代『青のマーブル』(青林堂、一九八八年)
「ブルーコミックス論」15 やまじえびね×姫野カオルコ『青痣』(扶桑社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」14 やまじえびね『インディゴ・ブルー』(祥伝社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」13 よしもとよしとも『青い車』(イースト・プレス、一九九六年)
「ブルーコミックス論」12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1