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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話170 未刊の『大正文学全集』と佐藤耶蘇基『飢を超して』

二年前からずっと手がけている「出版人に聞く」シリーズ〈7〉として、筑摩書房の菊池明郎へのインタビュー集『営業と経営から見た筑摩書房』論創社)を昨年の十一月にようやく刊行するに至った。その際に未刊のままになっている『大正文学全集』について尋ねたところ、退職した企画担当編集者からもぜひあれだけは出してほしいと繰り返し懇願されているのだが、出版時期を完全に外してしまったので、もはや刊行は無理だろうという見解が戻ってきた。そこでせめてすでに具体的に固まっている、その企画プランだけでも見せてほしいと頼んだ。そして菊池の好意で、その全五十巻に及ぶラインナップを目にすることができた。
営業と経営から見た筑摩書房

第一巻の『夏目漱石集』から始まって、第五十巻の『大正記録文学集』に至る流れを見ると、これが先行する『明治文学全集』にリンクするもので、あらためて近代出版史と同様に、明治と大正が切断されているのではなく、一直線につながっていると実感させられる。その一直線のつながりは両者とも関東大震災で切断されたのだが、その後の昭和初期円本時代を迎え、近代出版史は転回期、昭和文学史はその幕開けとなったのである。

この全五十巻プランの特色は単独の作家の巻数は七巻ほどで、残りは複数の作家、思想家、評論家の巻、及び前出の『大正記録文学集』(もしくは『大正文学回顧録集』)のように、「大正」を付した様々なアンソロジーの巻から構成されていることだろう。後者だけで十五巻が挙げられ、『編年体大正文学全集』ゆまに書房)とはまったく異なる大正文学の世界を想像させる。もし『明治文学全集』に続いて刊行されていたら、大正の時代と社会、文学と思想の読み方や捉え方がちがっていたのではないかと思わせるほどだ。
編年体大正文学全集

しかしこの未刊の『大正文学全集』にしても、それらはエキスであって、その背後には膨大な小説や作品が書かれ、そして忘れ去られていった事実が無数に潜んでいるにちがいない。それらの例として、私が本ブログで連載した佐藤吉郎の『黒流』本連載148の三浦関造の『革命の前』、『編年体大正文学全集』に初めて収録されたことで読むことができるようになった中村古峡の『殻』などが挙げられる。大正時代は出版史から見れば、宗教書と奇妙な小説の色彩に覆われていたようにも思えてくる。
[f:id:OdaMitsuo:20101013213315j:image:h115]『黒流』  編年体大正文学全集 2

そのような一冊として、佐藤耶蘇基の『飢を超して』を取り上げてみよう。これは大正十四年九月二十日発行、二十六日第八版と奥付に記されているにしても、その信憑性は疑わしい。著者名は佐藤八十亀で、これが本名とわかる。版元は発行者を高島政衛とする第百出版社で、私はこの他にも、高島を発行者とする本を持っている。それは第百書房のゾラの『制作』上下と『罪の渦』(いずれも井上勇訳、大正十五年)である。後者の巻末広告にはイプセンの『海の婦人』(草野柴二訳)を始めとする「近代脚本叢書」十巻の掲載がある。おそらく第百出版社は『制作』の前版が聚英閣であることからすると、関東大震災後に簇生した譲受出版社のひとつだったと考えられる。同社の奥付に示された高島の住所はいずれも神田区今川小路であるから、第百出版社と第百書房が同じだとわかる。『飢を超して』刊行後に第百書房と社名を変更したのかもしれない。

さて前置きが長くなってしまったが、『飢を超して』に移ろう。佐藤の弟子の露光なる人物がその「序」で、この本は「師」が関東大震災によって不安と恐怖の中にいる人々に精神的力を与えるために書いたと述べ、「師」のプロフィルを次のように紹介している。

 極端にまで一切を否定して霊に生きんとして、師は幾回も死の門をくゞらんとした、深刻なる生の悩み。光明をみとめては又見失しない、幾度も闇の世をさまよつた後、一切は霊活なりと。決然として街道に立ちて獅子吼始めた。その結果、政府の迫害、既成宗教界の迫害、鉄窓に縛かれ、社会に出れば、彼の肝腑より迸り出る真理の声は、当局より堅く口を禁止され、天地広しと雖も五尺の体置き所なき身となつた。大正八年の春、天地と共に霊活の凱歌を奉じつゝ鬼子母神裏の土穴に這入つて仕舞つた。

『飢を超して』はこの「師」の三年にわたる「鬼子母神裏の土穴」生活が描かれ、それは「Y」=耶蘇基を主人公とする宗教寓話のように語られていく。「寓話」と記したのは『飢を超して』が小説のような体裁をまとっているにしても、その展開は説明に欠けていて、茫洋な既述に終始しているからだ。きわめて簡略にこの「Y」の軌跡を何とか具体的に追うと、大正時代のキリスト教と仏教を遍歴する混沌状態の中にあって、鬼子母神裏の竹藪の崖の大きな土穴にこもり、人間特有の厄介な自己を捨て、「生は即愛、慈」だとの認識にたどりつく。そこに生きることが「霊活」であり、「即神、仏」ということになり、「土穴」生活がその体現にして、街頭での伝道にも増して「俺がこうして居る事、それが即社会の人間を救つてゐる事」だとされる。しかもその「土穴」と「霊活」生活は新聞に載り、ファンレターも届き、「Y」は有名になり、多くの見物人が押し寄せてくるほどだった。この「霊活」が佐藤と『飢を超して』のキーワードと見なしてよく、それはひとつの大正時代の宗教ジャーゴンであったのかもしれない。

しかしこの『飢を超して』は同書の三分の一ほどを占めるだけで、その他は「追想」と題する、やはり「Y」を語り手とする「自己の半生」を収録し、「土穴」での「霊活」に至るまでの波乱に充ちたといっていい個人史がたどられている。しかしその記録は冗漫でもあり、これ以上それらをたどることは止そう。

この『飢を超して』だけでなく、大正時時代のベストセラーである島田清次郎の『地上』や賀川豊彦の『死線を越えて』にしても、現在では通読するのに苦痛を伴う。だがそのような物語群が反復されて出現したのも、大正時代の特質であったように思われるし、それに『飢を超して』のタイトルも、『死線を越えて』を模倣しているのだろう。しかしそのような大正時代の物語も、カノンとしての『大正文学全集』的バックヤードがなければ、輪郭と位置づけも定かならぬ胡散臭い寓話のままで終わってしまうかもしれない。

地上 死線を越えて

なお『飢を超して』は、種村季弘の『食物漫遊記』(ちくま文庫)においても、拙稿とは異なる食物をめぐる物語として論じられている。また「神保町系オタオタ日記」にも言及があるので、参照されたい。なお黒色戦線社から復刻が出されていることは承知しているが、こちらは未見である。
食物漫遊記

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