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古本夜話188 春秋社『ゾラ全集』と吉江喬松訳『ルゴン家の人々』

新潮社の『フィリップ全集』とほぼ同時期に、春秋社で『ゾラ全集』が企画され、その第一巻『ルゴン家の人々』が昭和五年に吉江喬松訳で刊行された。しかしこれは第一巻と第三巻の武林無想庵訳『巴里の胃袋』が出ただけで中絶してしまい、この『ルゴン家の人々』も同七年に春陽堂の「世界名作文庫」に収録され、『居酒屋』斎藤一寛訳)、『ナナ』三好達治訳)も出たが、その後「ルーゴン=マッカール叢書」の続刊が出されることはなかった。

この企画についての詳細な証言は残されておらず、『吉江喬松全集』第六巻所収の「年譜」の昭和五年のところを見ても、「春秋社にてエミイル・ゾラの『ルゴン・マカル叢書』翻訳上梓の計画があり、その第一篇『ルゴン家の人々』(後に「春陽堂文庫」にをさむ)を翻訳上梓した」と記されているだけである。誰が企画し、編集に携わったのだろうか。

春秋社版『ルゴン家の人々』は四十年ほど前に、今は消えてしまった町の小さな古本屋で入手したのだが、ずっと前にゾラに関する論文を書いていたフランス文学研究者にプレゼントしてしまったこともあって、もはや手元になく、二冊目は入手していない。だがそれを手放してから二十年後に、まったく思いもかけずに論創社の「ルーゴン=マッカール叢書」の企画、編集、翻訳に関係するようになり、『ルゴン家の人々』にあたる、伊藤桂子訳『ルーゴン家の誕生』の編集も、私が担当することになってしまったのである。この原題はLa Fortune des Rougon 、すなわち直訳すれば、『ルーゴン家の運命』、もしくは『ルーゴン家の財産』となるが、Fortune は「巡り合わせ」の意味もあり、まさか私がそのような「巡り合わせ」になろうとは、かつて春秋社版を購入した二十代初めの頃には想像だにしないことだった。

ルーゴン家の誕生 La Fortune des Rougon

そこであらためて吉江訳『ルゴン家の人々』を参考にする必要が生じ、探したのだが、当時は見つからなかった。ただ本の友社から春陽堂の「世界名作文庫」版の復刻が出されていたので、そちらを参照させてもらうことにしたのである。

吉江はこの『ルゴン家の人々』の巻頭に「『ルゴン・マカアル』について」を寄せ、ゾラの全二十巻に及ぶ「ルーゴン=マッカール叢書」に関する俯瞰と解説を試みている。これは長いものではないにしても、ゾラと「ルーゴン=マッカール叢書」についての要領を得た初めての総合的解説と紹介であるといっていいかもしれない。なおこれは『吉江喬松全集』第五巻所収の「『ルゴン・マカアル』叢書」と同じものである。吉江は次のように書いている。引用は表記の簡略さから、後者を使用する。

 ゾラが『ルゴン・マカアル』二十巻において描きだす「自然的な及び社会的な歴史」は即ち一八五一年の暴力政治(クウ・デタ)から一八七〇年のセダンの壊滅にいたる第二帝政、約二十年間の時代であつて、ブルジョワ帝国と呼ばれるこの時期の社会相の、然も下から眺めたる実験的経済的の記録であり、ゾラが後の労働都市のイデオロジイを打ち立てるための重大な臨床記録である。しかもその記録は、当代の社会機構を的確に示していくと共に、既にその社会相の下部から萌え出て、伸びあがる無産階級の力を全般の基調として描き出した生きた大画図である。

この第二帝政ブルジョワ帝国下において、「社会相の下部から萌え出て、伸びあがる無産階級」こそがルーゴン=マッカール一族であり、それはこの「叢書」の第一巻『ルゴン家の人々』によって幕明けとなる。ルーゴン=マッカール一族もまた農民にして、地方出身者を体現する存在に他ならない。

『ルゴン家の人々』は第一巻にふさわしく、ルーゴン=マッカール一族が誕生することになった土地のいわれと歴史が記され、続いてナポレオン三世のクーデタに対して、立ち上がったフランス南部の民衆の蜂起を描くのだ。吉江はそれを「百姓一揆」と呼び、共和制を支持する「まさに無産階級の台頭を画する」ものと述べている。吉江の訳文はそれを次のように伝えている。

 その一隊は素晴しい抵抗し難い勢で坂を降りて来た。(中略)後から後からと、路の曲り角へ、新たな黒い集団が現はれて来た。その唄声が次第々々にこの人間の嵐の叫びを膨らませた。(中略)ラ・マルセイエェズの唄声は空までも充たし、(中略)そして、眠つてゐた田野は目醒めて飛び起きた。田野全体が、撥で太鼓を打つやうに、ぶるつと顫へた。さうなると、もう唄声を立てゝゐるのはこの一隊の人々ばかりではなくなつた。地平線の四方の果て、遠い岩々、耕作せられた畑地も牧場も、樹々の茂みも、どんな小さな草叢にいたるまでも、尽くが人間の声を立てゝゐるやうだつた。(中略)その一揆の連中を喝采してゐる無数の目に見えぬ人々で蔽われてゐるやうだつた。(中略)その中に隠れ住む人間共が一層高い怒りに燃えて、その唄声の疊句を唄い返さないものはなかつた。田野は天と地の動謡のなかで復讐と自由とを叫ぶのだつた。(中略)衆人の雄叫びは鳴り渡る波となつてまろび、不意の爆発を上げ、路上の石にいたるまでも揺り動かした。

多くの「中略」を施したにもかかわらず、長い引用になってしまった。だがこれは「ルーゴン=マッカール叢書」の始まりにあって、ゾラ特有の描写による、とても重要にして象徴的な場面であるので、あえて示してみた。それはゾラにしても、この『ルゴン家の人々』の初訳者の吉江にしても同様だと思われるからだ。

この小説の一方の主人公といえるシルヴェールとミエットは一揆の支持者であり、物語の最後で二人とも第二帝政を表象する憲兵たちによって射殺されてしまう。だがこの場面は第一巻だけで終わっているのではなく、最終巻の『パスカル博士』において、フラッシュバックされ、シルヴェールたちの死が「叢書」の象徴であったことを示している。
パスカル博士

ナポレオン三世側についたルーゴンは、二人の血の犠牲の上に「富者の快挙」にありつき、「帝国の誕生」を祝い、「ルゴン家の財産」を築き上げようとしていた。彼が得た勲章の繻子の色は二人の血を彷彿させるものだった。そしてここから「叢書」中でよく知られた『ナナ』『居酒屋』の物語も始まっていくのだ。

これは吉江の「『ルゴン・マカアル』について」に見られるだけで、「『ルゴン・マカアル』叢書」では削除されているが、ゾラの全作の翻訳の企ては「今日の日本の社会生活全体の現階段(ママ)としては、何人を検証するよりも全的ゾラを究明して見る必要を痛切に感ぜしめるゝからである」と吉江は述べている。これは吉江の昭和五年における切実な実感と見なすことができる。それから七十年後に「ルーゴン=マッカール叢書」の翻訳と編集に携わった私にしても、それはまったく同じ思いであり、二一世紀を迎えても、「ルーゴン=マッカール叢書」は「今日の日本の社会生活全体」を考える上で、いまだもって生々しい作品群であり続けているように思える。

論創社版「ルーゴン=マッカール叢書」と藤原書店版「ゾラ・セレクション」によって、ようやく全二十巻が日本語で読めるようになったこともあり、新たな読者の「誕生」をも期待したい。

ルーゴン家の誕生 獲物の分け前 プラッサンの征服 ウージェーヌ・ルーゴン閣下 ナナ
ごった煮 ボヌール・デ・ダム百貨店 生きる歓び ジェルミナール 大地
夢想 壊滅 パスカル博士
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