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ブルーコミックス論30 立原あゆみ『青の群れ』(白泉社、一九九六年)

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一九六七年から七〇年代にかけて、『漫画主義』という同人誌が刊行され、当時の多くのリトルマガジンと同様に、特約の書店や古本屋で売られていた。『漫画主義』の同人メンバーは石子順造梶井純、菊地浅次郎、権藤晋で、そのアンソロジーが六九年に青林堂から出された『現代漫画論集』であった。

そこに権藤晋の「劇画」と題する一編があり、彼は劇画と漫画の歴史や構造の相違について言及し、それを読者の年令層におき、「劇画」は子供ではなく、貸本屋に通う「ハイティーン」を読者対象として始まったと述べ、次のように記している。

 より厳密にいえば、高校生や大学生でない、“非学生ハイティーン”であるだろう。貸本屋に足を運ぶハイティーンは、大多数が年少労働者であったのである。劇画の読者を“非学生ハイティーン”に求めたとき、それはまた、作家側の年令とも無関係であるはずはなかった。

「非学生ハイティーン」とは地方の中学を終え、集団就職によって都市の工場や商店で働く人々を始めとするのであり、それは権藤もいうように、劇画家たちも大半が高校へ進学することなく、自活の道を歩んでいたのだ。権藤の卓抜な比喩を借りれば、劇画家も読者たちも「諦念を抱くには若く、絶望を語るには口を持たず、怒るにはその手を持たない、孤立した無数の人々」に他ならず、劇画へと接近していったことになる。

また雑誌や映画もそのような「非学生ハイティーン」によって支えられていたことは明白だし、映画に関しては、藤井淑禎『御三家歌謡映画の黄金時代』平凡社新書)にそれをうかがうことができる。それに関連する『平凡』や『明星』といった雑誌も同様であろう。
御三家歌謡映画の黄金時代』


しかし高度成長期を経て、一九五〇年にまだ五〇%に達していなかった高校進学率は急速に上昇し、七四年には九〇%を超え、九六年には九七%に達し、ほぼ「非学生ハイティーン」は消滅してしまったのである。ちなみに今世紀に入り、大学進学率も五〇%を超えた。そして「劇画」も「コミック」という総称の中に含まれるに至ったと考えていいだろう。

このような漫画と教育をめぐる戦後史の推移は、読者から「非学生ハイティーン」が退場し、それに代わって高校生や大学生、さらにかつてとは異なる高学歴のサラリーマンへと変化していった事実を明確に物語っているし、そうした団塊の世代を中心とする膨大な読者層、及びその子供たちを取りこむことによって、「コミック」はめざましい成長を遂げ、日本特有のカルチャーの位置へとたどり着いたのだ。

そのような七〇年代以後のサラリーマンとしての膨大な読者の出現を受け、必然的に彼らを対象とする多くのコミックが描かれるようになり、それらはひとつの主流な分野を形成するに至った。私のようにそれらをほとんど読んでいない読者であっても、ただちにいくつかの作品を挙げることができる。例えば、北見けんいち『釣りバカ日誌』弘兼憲史『課長島耕作』新井英樹『宮本から君へ』本宮ひろ志『サラリーマン金太郎』花沢健吾『ボーイズ・オン・ザ・ラン』等々。またそれらの先駆として、東海林さだお『サラリーマン専科』を始めとするサラリーマンギャグ漫画をも思い出す。

釣りバカ日誌 課長島耕作 宮本から君へ サラリーマン金太郎 ボーイズ・オン・ザ・ラン

さて前置きが長くなってしまったが、今回取り上げる立原あゆみ『青の群れ』も、それらのサラリーマンコミックの典型だと考えていいだろう。しかもそれは本連載25の柳沢きみおの『青き炎』のバブル時代と異なり、九〇年代の就職厳寒期が時代背景となっていて、立原の筆致はそのやるせなさをにじませている。
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△△経済大学の帆村健太は就職難の状況の中で、一流でも三流でもない二・五流の商社カジロ物産に内定した。そして自分の力でカジロ物産を一流にしてやると思い、入社式に出たところ、配属されたのは第5営業部で、その赴任先は「グアム」というキャバレーだった。とまどった顔を見せる健太に、上司はいう。「商社は何でもやる、金になればね。パチンコチェーンだってソープランド、一杯飲み屋だろうと……ま、法に触れない程度のね。(中略)総ての文化風俗……そして商品に手を染める……」と。店長も健太も一応はカジロ物産の社員だが、世間体のためにそれを隠して営業していることもあって、その名刺は使えず、健太もキャバレーチェーン「グアムKK」の一介のボーイから始めるしかなかった。キャバレーは辞められても、カジロ物産に辞表を出せなかったからだ。それは同期の新入社員たちも同じで、それぞれパチンコチェーンや一杯飲み屋に配属されていた。例外は東大出の一人だけで、彼はヨーロッパ視察の後にディーリングルームに配属となり、大きな利益を上げ、すでに出世コースを歩んでいた。

カジロ物産が内密で経営するキャバレー、パチンコ、一杯飲み屋チェーンに赴任した新入社員たちが、タイトルに示された「青の群れ」ということになる。それは健太の内定が決まり、酔っ払った目に映った「空をゆく帆船」に由来している。その船は都会のビルの谷間の「群青の空」に浮かんでいて、「これから行く航海の希望」を暗示しているようで、「青春の青を集めて群れにして」飛ぶ「希望の帆船」のはずだった。

それゆえにここに示された「青」とは青春や青年、さらにいってみれば「新入社員」の代名詞であり、彼らが様々な仕事を通じて成長していくという、ルーティン的なストーリーのメタファーでしかないし、そのように『青の群れ』の物語も終わっている。おそらくこのようなサラリーマンコミックは数多く出され、再生産され、現在でも連載されているように思われる。


次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」29 高田裕三『碧奇魂 ブルーシード』(新装版講談社、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」28 秋里和国『青のメソポタミア』(白泉社、一九八八年)
「ブルーコミックス論」27 やまむらはじめ『蒼のサンクトゥス』(集英社、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」26 原作・高山 路爛、漫画・やまだ哲太『青ひげは行く』(集英社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」25 柳沢きみお『青き炎』(小学館、一九八九年)
「ブルーコミックス論」24 島本和彦『アオイホノオ』(小学館、二〇〇八年)
「ブルーコミックス論」23 石川サブロウ『蒼き炎』(集英社、一九九〇年)
「ブルーコミックス論」22 志村貴子『青い花』(太田出版、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」21 羽生生純『青(オールー)』(エンターブレイン、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」20 入江亜季『群青学舎』(エンターブレイン、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」19 さそうあきら『さよなら群青』(新潮社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」18 篠原千絵『蒼の封印』(小学館、一九九二年)
「ブルーコミックス論」17 木内一雅作・八坂考訓画『青龍(ブルードラゴン)』(講談社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」16 松本充代『青のマーブル』(青林堂、一九八八年)
「ブルーコミックス論」15 やまじえびね×姫野カオルコ『青痣』(扶桑社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」14 やまじえびね『インディゴ・ブルー』(祥伝社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」13 よしもとよしとも『青い車』(イースト・プレス、一九九六年)
「ブルーコミックス論」12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1