高橋ツトムの『ブルー・へヴン』は映画『ポセイドン・アドベンチャー』から『タイタニック』に代表される、大型客船パニックドラマの系列に連なる作品と位置づけられるだろう。
巨大な豪華客船が冒頭の見開き二ページに描かれ、その次にバンドを背景に歌手が歌っているステージと客で埋まった劇場やギャンブル場といった船の内部の光景が挿入され、この「ブルー・へヴン」がステージに立ったオーナーによって、次のように紹介される。
「言うまでもなく、この『ブルー・へヴン』は世界最大のクルーズ船です。ひとたび乗船いただいたら、まさにそこは洋上の都市、みなさまはこのエンタテイメントの洪水から逃れられません。
ズバリ申し上げましょう。我々のライバルはラスベガスです」
また「ブルー・へヴン」は未知の世界へと誘う「洋上の楽園」とも謳われているので、タイトルと船名に当たる「ブルー・へヴン」は「洋上の楽園」を意味し、表象していることになる。しかしその「洋上の楽園」で待ち受けている「エンタテイメントの洪水」とはどのようなものであるのだろうか。
この「世界最大のクルーズ船」は太平洋の真ん中で、救助信号を発している漂流船を見つける。船長はオーナーの反対を押し切り、救助に向かう。その小舟には生存者が二名いて、一人は甲板に倒れ、もう一人は箱の中に入っていた。前者は衰弱しているだけだったが、後者は漂流のストレスのためなのか、胃に大きな穴があき、救助時のショック状態のままだった。二人は何者なのか。救助に当たったオフィサーの佐野は元刑事だったこともあり、漂流船の船倉の壁に手型の血痕が残っていたことを思い浮かべ、「あの船で…何があったんだ?」と自問する。
ところがその衰弱していただけの男は病室から消え、もう一人の男が語り出す。アイツは李成龍といって、十一歳の時にうちのボスの命を狙って捕えられ、「鬼子」として地下牢に監禁され、笑わぬペット扱いされて十年間を過ごした。鬼子は地下牢以外の世界を本とテレビとビデオで知り、ニューヨークのビル攻撃と自撃テロなどを始めとする光景によって、世界が「死体だらけだ」と思いこみ、破壊する鬼子として解き放たれ、あらゆる殺しの訓練を受けた。そして日本にいる敵対する組織の首領を殺すために、オレと李も入れた十三人でボロ船に乗り込み、日本に密入国するつもりで福建を出た。しかし大荒れの海でエンジンが壊れ、漂流するはめになってしまった。そのうちに日付もわからなくなり、水と食料をめぐって争いが起き、鬼子は十一人をわずか数分で殺してしまった。鬼子は生き残って日本にたどりつき、殺人を完了することが目的だから、そのために必要なら、この船の人間を皆殺しにしてしまうかもしれない。
実際に「テロリスト」にして船の中の「爆弾」的存在の李は、自分の顔を知っている女医を殺し、佐野もまた捕われてしまう。しかしその一方で、高級乗客のジュノー一族はそれを知り、「楽しいイベント」だと考え、逆に李を殺すことをたくらむ。ジュノーはドイツの製薬会社の経営者で、有害な薬を売り、千人以上を死に追いやり、その被害者の親族たちによって襲われ、全身を焼かれていた。だがジュノーは息子のガルフとともに、襲った人々を殺し、復讐を遂げていた。その復讐は人体実験を含んだアウシュビッツの再現のようで、ガルフの究極の望みは「自分を世界最高の人間だと証明したい」ことだった。ジュノー親子は「ブルー・へヴン」が今の世界と同様「あらゆる人種が入り乱れて逃げ場のない場所に押し込められている」と考え、この船をすべて買おうと提示する。テロリストに乗っ取られるにふさわしいこの船の全体的危機の中で、アジア人を蔑視するガルフが李を殺すことによって、「自分を世界最高の人間だと証明したい」からだ。
李とジュノー一家と船の警備陣の三つ巴の、アジア人と欧米人の差別を伴う攻防が展開され、「ブルー・へヴン」の二千名近い乗客たちをパニックへと追いやり、次々と被害者と血の海を生じさせ、戦争状態にまでなっていった。それは欧米人による、アジア人たちの殺戮をも意味していた。その中でボートでの脱出が始まる。そうした状況を背景に、李はジュノーとガルフに迫り、彼らを追いつめていく。それは物語の当初の目論見から逸脱し、あたかも欧米人とアジア人の代理戦争のような趣を呈してしまうことになる。
そして李は唯一好意を示した日本人女性乗務員に「また会おう…」と呟いてこと切れ、「ブルー・へヴン」のパニックと戦争状態がどのような惨劇をもたらしたかがテロップのように打ち出される。「ブルー・へヴン大火災事故生存者792名 死亡者467名 行方不明者567名」。だがそこでまだクロージングとならず、もう一度海が映し出され、ボートの中で死んでいる李の遺体がクローズアップされ、『ブルー・へヴン』の物語は終わりを迎える。
最初に「ブルー・へヴン」は「洋上の楽園」とされ、乗客にとっては「幸せの箱舟」と呼ばれ、李もまた「青い天国」かと呟く。しかしそのような「ブルー・へヴン」も漂流船と遭遇し、生存者を救助したことによって、惨劇の場、人種闘争の空間へと転化していく。
それはメビウスの輪のような反転で、最後のテロップにあるように、「この船は地球と同じ」という言葉に象徴される現在の社会に潜んでいる危機のメタファーとなっている。テロリストとアウシュビッツというファクター、及び閉ざされた船のイメージに、二〇〇一年の「9.11」のニューヨークの風景が重ねられているのだろう。チョムスキーの『9.11』(山崎淳訳、文春文庫)は参照されていないようだが。
これは「ブルー」をめぐって展開されるひとつのパニックコミックの典型であるにしても、そこに「9.11」のニューヨークの世界貿易センタービルなどへのテロ攻撃の光景が記憶され、人種戦まで描きこんだことによって、『ブルー・へヴン』は平板で凡庸なパニック物から、一歩踏み出しているように思える。