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古本夜話199 砂子屋書房「新農民文学叢書」と丸山義二『田舎』

ここでもう一度、砂子屋書房の出版物に戻る。
農民文芸会に端を発する文学史と出版史をずっとたどってきたので、柳田国男の農政学から埴谷雄高の左翼農民運動へと至る問題、渋谷定輔の『農民哀史』勁草書房)や松永伍一の『日本農民詩史』法政大学出版局)における文学史にもふれたい誘惑にかられるにしても、それは別の機会に譲ることにする。だが最後に砂子屋書房が刊行した「農民文学叢書」にだけは言及しておきたい。この「叢書」をたまたま三冊所持しているし、その中の一冊である丸山義二の『田舎』のことを、ゾラとの関連で書いておきたいと思ったからだ。
農民哀史

丸山はもはや忘れ去られてしまった作家と考えられるが、彼は水上勉『文壇放浪』新潮文庫)の中に登場し、水上の文学人脈のキーパーソンだったのである。昭和十五年に若狭にいた水上は、丸山が懸賞小説の選者を務める『作品倶楽部』(教材社)の選外作となった縁を拾い、上京して丸山を訪ね、その世話で日本農林新聞に入社し、同人誌『東洋物語』にも入会している。水上の告白によれば、この時代の地方文学青年にとって、最も親近感のあったのは、有馬頼寧農林大臣の提唱によって結成された農民文学懇話会の作家たちで、水上は彼らのほとんどの作品を読んでいたようであり、丸山の『田舎』が昭和十三年の有馬賞を受賞したとも述べている。このような水上の述懐は、地方青年から見た戦前の文学シーンの一端が語られていて、これらの背景があって、島木健作『生活の探求』和田伝の『沃土』のベストセラー化が生じたとわかる。そしてまた農民文学の、都市では考えられない地方への影響があったと見なしてもかまわないだろう。

文壇放浪 生活の探求

山崎剛平砂子屋書房記でもある『若き日の作家』砂子屋書房)に「農民文学叢書」なる一章が割かれ、この企画が『沃土』をきっかけにして、和田、及び山崎の中学時代の友達だった丸山を選者、もしくは編者として始まったが、十冊までは刊行できなかったようだ。山崎はその事情について率直に述べているが、ここではそれらに言及しない。ただ「農民文学叢書」が、実際には「新農民文学叢書」と銘打って刊行されたことだけは記しておきたい。

若き日の作家

私が所有する三冊は『田舎』の他に、森山啓の『日本海辺』、小山いと子の『湖口』だが、いずれも「新農民文学叢書」となっている。『田舎』の帯文には有馬による、農村事情を都会の人に理解させるためには「一巻の小説が百千のパンフレットにまさる」という「新農民文学叢書の発刊に寄せて」の一文が置かれている。さらに「日満支を一体とする、『新日本』の文化的建設!(中略)土の文学は、この意味におけるその最も大いなる礎石であり、この礎石なくしても、『新日本』の文化的建設は不可能なのである」という農民文学懇話会の声明も掲載されている。つまり「新」はいくつかの意味を盛りこんで使用されていることになる。

丸山の『田舎』は、蔦枝が高等小学校を終え、十七歳から大阪に奉公に出て、二十歳になって嫁にいくために、自分の生まれた部落に戻ってくる場面から始まる。部落の風景はほとんど何も変わっておらず、彼女は親の決めた近隣の部落の男と結婚することになっていた。夕方になってお寺の鐘が聞こえ、彼女は今朝まで女中として働いていた大阪の邸宅の部屋に貼られていた一枚の絵を思い浮かべた。それは次のようなものだった。

 広い平野、耕された黒い土、農具を畝につき立てて立ってゐる若者、野菜籠を足元におき、手挽車に穀物袋を乗せて若者の前にきてゐる若い女、そして平野の地の果てに今静かな夕暮れがたゆたつてゐる。西洋の百姓の絵であるとか……
晩鐘

いうまでもなく、またしてもミレーが出現し、その「胸の中が温もるやう」な絵が「晩鐘」であると、彼女はその家のお嬢さんの女子学生から教えられる。今や蔦枝もまたアンジェラス教会の鐘ならぬ、遠くにある村の寺の鐘の音を聞いている。彼女は夫なる人も、それを「田圃の麦の施肥を終へ、鍬を畝において自分と同じ心できゐてくれるやうな気がする」のだった。そのように考えると、藁屋根の家の暗い電燈の下での食膳も、久しぶりの親子水入らずのにぎわいを感じるのだった。

しかしこのイントロダクションに示される明るさは結婚式の章に入ると反転し、「田舎」の結婚式の細かいしきたりと経緯、部落への嫁披露の内幕、農作業や蚕に関する義母と出戻りの義妹との確執、閉ざされた部落の生活の中での息苦しさが重なるように描かれていき、その挙げ句に彼女はチフスとなり、実家での療養を余儀なくされる。

そうした中でも農業に従事しないで、セルロイド工場に勤める夫との生活はそれなりに充実したものであり、救いでもあった。だが盧溝橋事件が起り、「不法は正されねばならず、銃には銃をとつて起たねばならぬのである!」。日中戦争の始まりであり、ここで時代背景が昭和十二年だとわかる。夫は召集され、妻に一家のやりくりと農事を託し、出征していくのだった。その風景は日本の全国の「田舎」で見られたものであったはずだ。

 部落という部落が日の丸の小旗に埋まつた。毎朝々々、鎮守の森から兵の出征をおくる歌声が、それを聴くものの胸にぢぢーんと熱く響きながら、遠くまた近く波濤のやうにきこえる日がつゞいた。
   天にかはりて不義を討つ
   忠勇無双の我が兵は
   歓呼の声に送られて
   今ぞいで立つ父母の国

「土を働く職場としてゐる人間群」がその歌をうたい、集団をなして、線路の両側を埋めている。蔦枝は思う。「田圃では稲が育つてゐる。あたしは稲を育てなければならぬ。夫が残して行つた土地を必死に護らねばならぬ。さうだつた。さうだつた。大陸さして、征支の旅に銃をとつて起つた日本男子の、あたしは妻であつた……」。かくして戦時における銃後の妻の生活が始まっていくのであり、そこで『田舎』は閉じられている。

丸山の『田舎』が農民文学の行き着いたひとつの地平であり、あらためて有馬と農民文学懇話会の帯文の意味がクローズアップされてくる。それは農民文芸会から農民文学懇話会への変質を告げていることになろう。

しかしそれはともかく、この『田舎』に明らかに表出しているのはゾラの『大地』の投影である。それは和田伝の『沃土』も同様だったが、蔦枝がさかりのついた牛を取り鎮める場面や、最後に出征していくところで終わる構成などは、やはり『大地』の強い印象を彷彿させる。それゆえに、犬田卯訳の『大地』の刊行が農民文学に対して決定的な影響を及ぼしたとはっきりわかる。

それから水上勉の世界に登場する女性たちとは、『田舎』における蔦枝のイメージの延長線上に造型されているのではないだろうか。農民文学と水上勉の近傍性も、一度は論じられてしかるべきかもしれない。それらを本連載の戦後編で考えてみたいと思う。

大地

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