金子節子の『青の群像』は、裏表紙カバーの内容紹介のコピーにあるように、その「青」を含んだタイトルはそのまま「青春群像劇」を意味していて、色彩の「青」の喚起するイメージは伴っていない。
しかし主人公たちは男女の二卵性双生児で、姉は「碧(みどり)」、弟は「青(せい)」という。いうまでもなく、「碧」は濃い青色をさし、『青の群像』はレディスコミックであることから、「碧」をヒロインとして展開されていく。それゆえに「青」ならぬ、「碧」をめぐる群像ドラマと見なすこともできる。
それに最初は二人が中学三年の一九八八年から始まり、作者の金子もおそらく想定していなかったと思われるが、高校、大学時代までをフォローして正編が五巻、続編の「結婚時代」が六巻と、碧という一人の女性の恋愛、就職、結婚、さらにそれからの出産、別居と復縁、家族との死による別離などを一貫して描き、一九七〇年代に生れた「女の一生」的な物語を形成するに至っている。
残念ながら私はレディスコミックを多くは読んでいないし、所謂女性を主人公とした長編コミックは、それこそ男性を原作とした従来の物語を反復する和気一作の『女帝』や田名俊信の『蔵の宿』を何とか読んできたにすぎないので、『青の群像』のような大河ドラマ的作品がその分野において、ありふれた物語なのか、それとも突出した物語なのかの判断を下すことができない。しかしこの作品が先行する著名なコミックの物語の文法を継承し、反復していることだけはわかるし、それがこの『青の群像』の凡庸だった「青」のイメージに、思いがけない死の色彩を落とさせているように思える。
その先行する作品とは、あだち充の『タッチ』である。『タッチ』はいうまでもなく、双子の兄弟の達也と和也、それに幼馴染みの南の三人の物語として始まり、南を甲子園に連れていくという夢を果たせないまま、和也は交通事故で死んでしまい、弟と南の夢を達也が引き継ぎ、高校野球と恋愛物の金字塔となった作品である。
この『タッチ』の基本的物語コードは双子、野球、恋愛、死、家族からなり、それらの中でも三人の予定調和的な関係を唐突に崩してしまう和也の交通事故死は『タッチ』に特異な強度を与えることになる。それはこれまでになかった、絶えざる「メメントモリ」の響きを物語に寄り添わせてしまったからだ。
そのような死を含めて、『青の群像』は『タッチ』の基本的物語コードをすべて踏襲し、反復している。姉弟であるにしても、碧と青という双子、双子の成長を見守る家族、野球の代わりにバスケット、クラブのキャプテンの碧に対する愛の告白とその土砂崩れによる死となって表出し、『青の群像』という物語をも支配している。しかもイントロダクションにおける、中学校時代のキャプテンの死だけでなく、死の影は大河ドラマのように続いていく碧の「女の一生」にもつきまとって離れない。
『青の群像』の始まりにあって、双子の姉弟は正反対の性格で、姉はバスケットに励む体育会系のバリバリで、弟は沈思黙考の、見るからに繊細な色白の理科系美少年という設定であり、それを代々続いた田舎の味噌屋の家族が支えている。そしてこの好対照な二人は高校、大学を経て就職し、様々な屈折があったにしても、結婚生活が時間軸に沿って展開されていき、自分の子供たちを持つ父と母にもなったのである。それゆえに最初の田西というキャプテンの死は忘れられているようで、青春群像ドラマはさらなる佳境に入っていくかのように見えた。
しかし一度物語に影を落とし、それが始まりであったかのような死は、物語から退場しない。何と次なる死は青自身がもたらすのであり、これもまた『タッチ』における弟の和也の交通事故死と相似し、物語の反復を示している。しかもそれは碧の夫の遠野の代わりに運転していたことから、青の死は碧の夫の身代りであったかのような印象を周囲に与えてしまう。
そして青の死の後、それまで青春群像ドラマの印象が強かった『青の群像』は、「青(せい)」をめぐる記憶と、彼に関係する人々のドラマのような様相を呈してくる。それはちょうどかつての家族がいずれも仏壇を備え、近隣の寺に墓地を持ち、先祖代々の死者たちの記憶とともに暮らしていた生活の再現のようにも思えてくる。それゆえに悲しみに充ちた死も、生活の繰り返しの中に吸収され、平穏な日常が続いていくことによって癒され、新しい生命が育ち、新たなる生活が営まれていくという人生をも描いていることになる。
ひょっとすると、レディスコミックの総体がそのような生活を描いてきたのかもしれないし、それは『タッチ』には垣間見られなかった女性の側から見すえられた生活の謂であるのかもしれない。思いがけずに、この「女の一生」的ドラマを読み、そのような感情に捉われてしまった。
なお『青の群像』はさらに続き、碧の娘である桜を主人公とする『新・青の群像』へとつながり、すでに『続・青の群像』も始まっているが、まだそれらを読むに至っていない。