出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話203 矢島一三、中興館、海外文芸叢書『七死刑囚物語』

大正期の「叢書」について続けてみよう。
背の下の部分の傷みは激しいが、アンドレーエフ作、相馬御風訳『七死刑囚物語』を以前に入手している。大正二年に海外文芸叢書社から刊行された「海外文芸叢書」の第一篇で、菊半截判である。表紙に記憶があったので、紅野敏郎『大正期の文芸叢書』を開いて見た。するとやはり「海外文芸叢書」が立項され、その書影が掲載されていた。カバーの有無は不明のようだが、まったく同じ「濃紺をバックに、花(柿色)をあしらった意匠」の表紙を見て、これを記憶していたのだと了解した。

大正期の文芸叢書

あらためてこの項を読んでみると、紅野はまず「小さな本だが、いま集めるとなると、一冊でもむずかしく、全そろいとなると、古書目録など見ても、なかなか出て来ない」と書いている。そして根拠は示さずに、装丁者は野口柾夫で、本によって地の色や花の色が異なるとも指摘し、自分の手元にある『七死刑囚物語』は第三版だとも述べている。

この「海外文芸叢書」は紅野の記述によって、そのアウトラインはつかめるけれども、私が入手したのは初版で、そこに掲載された「海外文芸叢書」のラインナップは、紅野の挙げた八編のリストとも異なり、ツルゲーネフの『初恋』やヴェデキントの『犠牲』が入っている。そこで初版に基づき、私なりにこの「叢書」に関して書いてみよう。

『七死刑囚物語』の扉の後に「『海外文芸叢書』の発刊に就いて」という文章が「海外文芸社同人」の名前で掲げられている。海の向こうの「新しい芸術」への渇望が語られ、この「叢書」の目的も述べられている。

 夙(はや)く業(すで)に来るべかりし新文芸輸入の時期は、今にして始めて私達の上に及んでいる。決河の勢で私達の上に流れて注ぐ。この流れの勢を到るべき処まで到らせて見たい。新しい命の泉を力強く溢れさせ度い。
 名詞のみを徒に喧伝せられて、実質の伴はなかつた欠陥を補ふべき時が初めて来た。新生の光りに、新天地の自由を、味ひ汲まんと求めらるる人々の為めに私達はこの美しい叢書を提供したいと思ふ。

大正初期の外国文学の翻訳状況を彷彿させる文章である。そして相馬御風による「緒言」が続き、この翻訳が英語からの重訳だと断わられている。それはこの翻訳叢書の特質を告げていよう。しかし「海外文芸叢書」の企画やその訳者同人の成立に関しては何も記されていない。

それでも奥付の表記や巻末広告を手がかりにして、それらの周辺を探ってみる。奥付には発行所として海外文芸社、発売所として中興館書店と泰平館書店が並び、発行者は矢島一三とある。だが私の所持する初版は訳者の相馬と発行者の矢島の二人の名前の上に、「中興館発売権」という印が押されている。私も多くの奥付に目を通してきたが、このような例は初めて見るものだ。これはおそらく矢島が相馬たち同人に対し、「縛り」を入れた痕跡ではないだろうか。つまり彼らが「叢書」を勝手に流したりすることへの警戒ゆえに、このような処置がとられたように思われる。矢島は海外文芸社の発行者となっているが、実は他ならぬ中興館の経営者なのである。

矢島は明治十三年長野県に生まれ、上京して教育書出版の光風館に勤め、同四十四年に中興館を創業し、同郷の吉江喬松の『旅より旅へ』や窪田空穂の『評釈伊勢物語』『空穂歌集』から始め、続けて国文学関係書を刊行し、地盤を築いたとされている。本連載で言及したように、ここでも企画編集者としての吉江の存在が控えているのかもしれない。これらの三冊は『七死刑囚物語』の巻末広告に掲載がある。

この二人の他に中沢臨川、吉田絃二郎、藤森成吉、西條八十なども中興館から初期の本を出しているようだ。さらに大正元年創刊の海外文芸雑誌『聖盃』(後に『仮面』)も発行している。これも巻末広告に掲載があり、「外国文芸の研究といふことに全力を注いで、大いに本邦の文壇のために努力し、貢献し、研鑚し、覚醒し、自覚し、向上したいといふことを目的として、『聖盃』は新しく生れた」と述べられ、この『聖盃』は日夏耿之介を始めとする同人たちによるもので、大正期の代表的な文芸雑誌のひとつとされ、ここから「近代評伝叢書」も派生している。

これらのことからわかるように、矢島は早稲田系の文学者たちと連動し、「海外文芸叢書」や「近代評伝叢書」、『聖盃』に象徴される大正期の外国文学の紹介や研究に貢献したことになる。彼の著書『伸びて行く路』や『八洲漫筆』を読めば、それらの企画の成立事情がわかるのではないかと思い、長年探しているが、いまだにめぐり会えない。

だが例によって小川菊松『出版興亡五十年』の中で、矢島に関するまとまった言及がなされ、小川の誠文堂創業期の刊行物『海のロマンス』などの三冊は、矢島との創業共同出版であったという。小川は矢島を「珍型の業者」だが、「一つの見識を持つた偉い人」で、出版を「常の実業」として守り続けたとめずらしく絶賛している。
出版興亡五十年

 堅実一点張り、石橋を叩いて渡る式の堅物であつた。創業以来五十年の間、約手は一枚も振出したことがなく、また地方の取引先からも約手は決して受取らない。

このような性格ゆえに、「中興館発売権」なる印の処置が施されているのではないだろうか。また『七死刑囚物語』の巻末の中興館の一ページ広告は通販部に関するもので、新本は大半の図書を一割引で売り、あらゆる古本を取次販売するとある。つまり中興館は出版、取次、書店、古本を兼ねていたことになる。

なおもうひとつの発行所である泰平館は別のところで論じることにする。


〈付記〉
これを書いたのは五年ほど前であるが、最近になって、ずっと注目してきた硨島亘の『ロシア文学翻訳者列伝』東洋書店)が出た。これは『七死刑囚物語』などを表紙に掲載し、海外文芸社や同書にも言及があるし、ロシア文学のみならず、近代翻訳史に関する必読の一冊で、教えられること、触発されることが多かった。それらについて、もう少し後で本連載でも言及したいと思う。また硨島は土方定一『近代日本文学評論史』などを範としていると記しているが、本連載でも土方の同書を取り上げることになっている。
ロシア文学翻訳者列伝


[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら