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ブルーコミックス論39 中村珍『羣青』(小学館、二〇一〇、一一、一二年)

羣青上 羣青中 羣青下


中村珍『羣青』を取り上げなければとずっと思っていたけれども、まだ下巻が出ていないこともあって、先延ばししてきた。その出版事情を記せば、上巻が二〇一〇年三月、中巻が一一年二月に出ているので、この刊行ペースから考えて、下巻が近々出されるのではないかと待っていたからだ。その下巻が五月になってようやく刊行され、この上中下巻一五〇〇ページ近くに及ぶ長編がついに完結したことになる。

下巻に至るまでの『羣青』の流れを書いておく。
上巻は四七七ページ、中巻は五〇三ページに及ぶボリュームの長い物語で、千ページ近くを経た中巻が終わっても、ストーリーの全体と物語の行方が見えてきたとはいえず、多くの秘められた謎がつきまとっている印象が強い。いくつかの例を挙げてみる。

タイトルの「羣青」の「羣」は漢和辞典などで確かめると、「群」の正字で、あざやかな藍色を示す「群青」と同義だとわかるが、中巻まで読んでいっても、どうして「羣青」のタイトルが採用されたのかは不明のままである。それにまたヒロインたちの名前すらも明確に告げておらず、曖昧な状態の中で物語が進んできている。あるいは固有名が特定されていないことこそ、この物語が提出している意味なのかもしれないが。

さらに作者の中村珍だが、先行する作品として短編集『ちんまん』日本文芸社、〇九年)に目を通しているにしても、それらの短編からはほとんど想像できない大長編といっていい『羣青』へ突然ジャンプしていく回路がたどれない。しかも上巻裏カバーのキャッチコピーによれば、この連載開始時、中村は「弱冠22歳であった」というのだ。これらの事柄ゆえに、すべての伏せられた謎が下巻の大団円の場面において、明らかにされるのではないかという予感にもとらわれていたからだ。
ちんまん

これらが上巻の読後感だったが、今回完結を見て謎が解けたり、予想が異なっていたりする場面に立ち会うことができた。上巻における物語の始まりの中に、すべてが散種されていたことにも気づいた。その意味において、大長編ゆえにすべてに言及できない事情もあるし、ここでは『羣青』の長いイントロダクションにして、物語の凝縮したコアが秘められている上巻だけに限って記しておくことにしよう。

冒頭の一ページの上のふたつのコマで、別々に携帯電話を持つ眼鏡をかけた黒髪の女と、公衆電話の中にいる金髪の女の二人が描かれ、下のひとつのコマで、彼女たちがお互いに話しているのだとわかる。二人とも髪は長い。後者の言い方に従えば、前者は「あーた」、後者は「あーし」となる。前者は後者を「あんた」と呼んでいるが、ここでは金髪の女の呼称を使用する。電話で話されているのは「あーた」の夫を「あーし」がうまく殺したかということだった。

そして第1話の幕開けとなり、BMWに乗った彼女たちが夜の首都高速を走っていく場面がプレ逃避行のように描かれ、途中でヒッチハイカーのギャルを拾ったものの、二人はホテルに宿泊する。
「あーた」がギャルに一昨日見たサスペンスのことを語る。

 「三十路手前のレズビアンが出て来たの。
レズビアンには10年以上ずっと思い続けた大好きな女がいて……その女っていうのは、夫の物凄い暴力や浮気性に悩む、同い年の人妻で、酷い家庭生活に疲れきった人妻は死んじゃおうかと思い詰めるんだけど、そんな時そのレズが夫を殺してくれるの。
ムリして男を床に誘って、処女を捨てて、……レズビアンなのに男とセックスして、何もかも捨てた果ては、殺人犯。
 殺しの数日前……、レズは好きな女を一晩だけとっても大事そうに抱いて、…言ったわ……「大丈夫だから」って…―」

この話に対して、一昨日は選挙特番で、サスペンスはなかったとギャルは応じるのだ。これから繰り返し語られるであろう「あーし」による「あーた」の夫殺しの事情とアウトラインが、ここに提出されたことになる。

そのような殺人とパラレルワールドのように、「あーし」と「あーた」の名門女子高時代が物語のルーツとして挿入されている。「あーし」はこの頃からレズビアンとして知られ、「あーた」にあこがれ、その「あーた」は陸上部に属し、インターハイで2位となるほど足が速かった。しかし「あーし」が「お嬢様」であることに対し、「あーた」は「犬小屋みたいな家」に住み、「ブタみたいな親父」を持っていたが、足が速かったので「名門のお嬢様学校」にスカウトされ、学費は全額免除という立場に置かれていた。二人はキーワードのように使われる「理解と差別」の関係にあり、「あーた」は足の故障とスパイクの万引き発覚などで奨学金が打ち切られ、退学するしかなくなるが、「あーし」は破格の金銭援助を申し出る。「そこらの男に体売って生きてく」よりも、「名門学校出てマシな企業に入って玉の輿にでも乗るんだね」。そして二人は孤立しながらも高校生活を終える。そして「あーた」はそれを実現させたのだが、物語の前史としての「玉の輿」の詳細はまだ明らかにされておらず、冒頭で伝えられた夫殺しに至る「あーた」の十年近い生活は、ほぼ空白のままだといっていいだろう。

ホテルで「あーた」は「あーし」に阿弥陀籤を示し、「どこに行こうかと思って悩んだんだけれど、私にはもうわからないから、選んでいいわよ」という。しかしこれもまたあのギャルに見出されるのだが、選択肢のすべてが「行き止まり」になっている阿弥陀籤だったのだ。それは「あーし」と「あーた」のこれからの逃避行を暗示しているようで、『羣青』の物語もそのような色彩に覆われ、展開されていくのである。

もちろんこの『羣青』にも先行する様々な作品や物語の投影を見ることができる。二人の女を共犯とする夫殺しは桐野夏生『OUT』、殺人の後の逃避行は岡崎京子『エンド・オブ・ザ・ワールド』、二人の女性のロードサイドムービーとしてのリドリー・スコット監督の『テルマ&ルイーズ』などが浮かび上がってくる。

OUT エンド・オブ・ザ・ワールド テルマ&ルイーズ

それに本連載19のさそうあきらの『さよなら群青』で、「群青」が海の彼方と黄泉の世界のメタファーであることを示し、また同1415のやまじえびねの『インディゴ・ブルー』『青痣』と、同22の志村貴子の『青い花』において、レズビアンや女子高における同性愛のゆらめきを論じてきてもいる。

さよなら群青 インディゴ・ブルー 青痣 青い花

だが中村珍の『羣青』は、それらのコミックとは一線を画する強度な物語の異物的感触を有していて、何ゆえの殺人と逃避行なのか、二人の関係の必然性とは何なのか、それらが何に起因しているのかは下巻まで読み進めていかないと了解できない仕掛けになっている。そして深読みするならば、近代家族を超えるジェンダーレスな現代家族、もしくは必然的に社会と逆立してしまう疑似家族の問題が浮かび上がってくるようにも思える。中村が下巻の「あとがき」で「羣」について、「重く圧し掛かる“君”を華奢な足で支える」姿だと語っているのは、そのことを示唆しているのではないだろうか。


次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」38 山田たけひこ『マイ・スウィーテスト・タブー ―蒼の時代』(小学館、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」37 山岸良子『甕のぞきの色』(潮出版社、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」36 金子節子『青の群像』(秋田書店、一九九九年)
「ブルーコミックス論」35 原作李學仁・漫画王欣太『蒼天航路』(講談社、一九九五年)
「ブルーコミックス論」34 原作江戸川啓視、漫画石渡洋司『青侠ブルーフッド』(集英社、二〇〇五年)
「ブルーコミックス論」33 原作江戸川啓視、作画クォン・カヤ『プルンギル―青の道―』(新潮社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」32 高橋ツトム『ブルー・へヴン』(集英社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」31 タカ 『ブルーカラー・ブルース』(宙出版、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」30 立原あゆみ『青の群れ』(白泉社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」29 高田裕三『碧奇魂 ブルーシード』(新装版講談社、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」28 秋里和国『青のメソポタミア』(白泉社、一九八八年)
「ブルーコミックス論」27 やまむらはじめ『蒼のサンクトゥス』(集英社、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」26 原作・高山 路爛、漫画・やまだ哲太『青ひげは行く』(集英社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」25 柳沢きみお『青き炎』(小学館、一九八九年)
「ブルーコミックス論」24 島本和彦『アオイホノオ』(小学館、二〇〇八年)
「ブルーコミックス論」23 石川サブロウ『蒼き炎』(集英社、一九九〇年)
「ブルーコミックス論」22 志村貴子『青い花』(太田出版、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」21 羽生生純『青(オールー)』(エンターブレイン、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」20 入江亜季『群青学舎』(エンターブレイン、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」19 さそうあきら『さよなら群青』(新潮社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」18 篠原千絵『蒼の封印』(小学館、一九九二年)
「ブルーコミックス論」17 木内一雅作・八坂考訓画『青龍(ブルードラゴン)』(講談社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」16 松本充代『青のマーブル』(青林堂、一九八八年)
「ブルーコミックス論」15 やまじえびね×姫野カオルコ『青痣』(扶桑社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」14 やまじえびね『インディゴ・ブルー』(祥伝社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」13 よしもとよしとも『青い車』(イースト・プレス、一九九六年)
「ブルーコミックス論」12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1