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古本夜話210 『種蒔く人』と『クラルテ』の翻訳

これまでしばしば小牧近江と『種蒔く人』のことを取り上げてきたので、『足助素一集』に小牧の寄稿は見られないが、ここで叢文閣のとの関係を記しておこう。
小牧はパリでバルビュスのクラルテ運動に参加し、その日本での実現をめざし、大正八年に帰国する。小牧の自伝というべき『ある現代史』法政大学出版局、昭和四十年)の説明によれば、「クラルテ」とは「光」のことで、光は万人のものではあるが、万人は闇の中に眠っている。バルビュスの思想はこの眠りから覚めさせることで、文学者や思想家たちが、再び呪われた戦争が繰り返されないように国際的に連帯し、社会、労働運動を通じて「思想のインターナショナル化」を結成し、真理のために互いに闘おうとするものだった。帰国に際して、小牧はバルビュスから日本での広範な反戦運動の要望を受け、その実現としての『種蒔く人』創刊に至るのである。小牧のパリ時代と『種蒔く人』創刊までの軌跡は、北条常久の『種蒔く人 小牧近江の青春』筑摩書房)に描かれている。
種蒔く人 小牧近江の青春

まず最初に金子洋文や今野賢三たちと計らい、大正十年二月に土崎版『種蒔く人』を創刊する。タイトルは小牧と金子が決め、表紙にミレーの同名の絵を配置し、部数は二百部だった。今野の当時の日記を採録した佐々木久春編『花塵録』無明舎出版)は、その創刊号を表紙に採用している。本連載でミレーのことにしばしば言及してきたが、大正から昭和前期にかけて、ミレーの絵画はアイコンとなっていたのだ。
 『種蒔く人』

しかし土崎版は三号で終わり、同年十月に東京版『種蒔く人』へと引き継がれていく。東京版の発刊に賛同したのは村松正俊と佐々木孝丸で、その宣言の最後の結びの一節は「僕たちは生活のために、革命の真理を擁護する。“種蒔く人”はここにおいて起つ―世界の同志と共に」であった。村松は本連載118でふれたシュペングラーの『西洋の没落』の訳者である。そして資金も集められた。小牧はそれについて、『ある現代史』で次のように述べている。
西洋の没落

 雑誌発行の資金は皆で手分けして集めることになりました。佐々木の師匠格の秋田雨雀先生が相談にのってくれ、叢文閣主人の足助素一氏と会うことになり、それを通じて有島武郎さんにも接近することになりました。叢文閣で、まず“クラルテ”の訳本を出そうではないか、翻訳料は前払にしよう、といってくれたのは地獄に仏でした。(後略)

足助の配慮の他に、佐々木を通じての中村屋の相馬黒光からの何百円かのカンパ、有島から陣中見舞いに頂戴した梅原龍三郎の「裸婦」を高利貸に売った六百円などを得て、創刊号の発禁にもかかわらず、関東大震災のために廃刊となるまでに全二十一冊を刊行し、プロレタリア文学運動史にあって、画期的な役割を果たしたのである。それは土崎版と異なり、おそらく足助などの口添えもあり、創刊号三千部は取次を通じ、全国各地へと流通し、書店で販売されたことによっている。取次のことは直接ふれられていないが、「新雑誌の売上げを待つには、ほぼ半年かかる」という小牧の言がそれを物語っている。

その翻訳料の前払いを受けたバルビュスの小説『クラルテ』の出版は三年後の大正十二年になって、ようやく実現している。この翻訳は小牧と佐々木の共訳で、小牧が滞仏中にその出版記念の席において、バルビュスから翻訳を委任され、直接手渡された一九一八年初版本をテキストとしている。私の手元にあるのは大正十二年四月発行、五月第四版と奥付に記載されているので、それなりに売れたことを示していよう。それはともかく、訳者たちの「まえがき」にあたる「読者に」の一節を引いておこう。

 この小説は、一昨年即ち一九二一年から、翻訳に取り掛り、累々予告ばかりして然も仲々完成の域に達せず、遂に足掛け三年の長月日を閲して、今日初めて上梓される運びに到つたのであるが、その間、私達が叢文閣足助素一から蒙つた好意は、私達が到底忘れることの出来ないものである。(中略)然も、この書を日本に紹介するといふことは、単に私達二人の個人的な仕事ではなく、私達の今日の生命である雑誌『種蒔く人』同人全体の義務であつたのだ。

足助がいわば『種蒔く人』のスポンサーであり、『クラルテ』の翻訳を通じて援助の手を差し伸べていた事実を知ると、二人の言葉がさらにリアルに迫ってくるだろう。

さてここで小牧も佐々木もあえて言及を避けている翻訳についてふれなければならない。それらはポルノグラフィと見なされた作品であり、バルビュスの『地獄』ですらもホテルの壁の穴から覗かれた隣室の情痴の世界というテーマからして、まさにポルノグラフィの定番ともいえる色彩に覆われていたことになる。小牧はこの『地獄』を新潮社の円本『世界文学全集』32の『現代仏蘭西小説集』に訳出している。これは昭和四年だが、同五年には波達夫のペンネームで、ラディゲの『肉体の悪魔』をアルスから翻訳刊行して発禁となり、その翌年には国際文献刊行会からカサノヴの『カサノヴ情史』を刊行している。

地獄 (田辺貞之助訳) 肉体の悪魔(中条省平訳)

また一方で、佐々木も昭和二年に文芸資料研究会からジョン・クレランドの『ファンニー・ヒル』を翻訳し、これも発禁処分を受けているが、この原書は小牧がフランスから持ち帰ったものだとされている。
ファニー・ヒル(吉田健一訳)

小牧は帰国に際し、『種蒔く人』の範となったスイスの文芸思想誌『ドマン』のバックナンバー一式などを携えてきたことを語っている。しかしその他にもかなり本を持ち帰り、その中にポルノグラフィも混じっていたのではないだろうか。そしてそれらの翻訳によって、『種蒔く人』以後に創刊した『文芸戦線』の資金を調達していたのではないだろうか。もちろん『地獄』の印税が自宅の建築資金に回されていたことも承知しているが、それが小牧や佐々木の沈黙の理由であるように思われる。

それに加えて、小牧のパリ時代をたどっていくと、彼が拙著『ヨーロッパ 本と書店の物語』(平凡社新書)でふれた、オデオン通りの本の友書店の常連で、店主のモニエとも親しかったこと、藤田嗣治の装丁で豪華本の詩集を出していることなどを知り、本と書店にまつわるエピソードは、小牧の人柄を知らしめるような印象を与えるものだった。しかも最近になって、林洋子の『藤田嗣治 本のしごと』(集英社新書)を読んでいて、まさに藤田の装丁と挿絵入りのKomaki Ohmia , Quelques Poèmes , La Belle Edition,1919の書影と内容を見ることができた。林によれば、版元のベル・エディション社はゾラやネルヴァルの出版で知られ、挿絵本をしばしば手がけていたという。本の世界を探っていくと、必ず何らかのつながりが見つかり、楽しい思いを喚起させてくれる。

ヨーロッパ 本と書店の物語 藤田嗣治 本のしごと
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