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古本夜話211 ラディゲ、波達夫訳『肉体の悪魔』と土井逸雄

前回、昭和五年に小牧近江が波達夫のペンネームで、ラディゲの『肉体の悪魔』をアルスから翻訳刊行し、発禁となったことを既述した。これはもう少し後のアルスに関する連載でふれるつもりでいたが、叢文閣との絡みもあるので、ここで書いておくことにする。

手元にあるのは昭和五年六月刊行の四六判仮綴の改訂版で、表紙に著者とタイトルがフランス語で記され、日本語表記はない。だが城市郎の『発禁本』(「別冊太陽」)に見える初版は同じ装丁であるけれど、大きく日本語タイトルが示された箱の掲載もあることからすれば、改訂版も箱入りだったのかもしれない。『肉体の悪魔』という訳名は扇情的な響きを伴っていたゆえに、発禁処分を受けたとも推測され、城の注記にはその理由として「一不良少年の自叙伝、人妻との不倫関係の記述情愛挑発の傾向著し」が挙げられている。その余波もあってか、より原題のLe Diable au Corps に近い江口清訳『魔に憑かれて』も、昭和九年に春陽堂の「世界名作文庫」の一冊として刊行されたが、こちらも同様の理由で発禁となっている。
発禁本

これらの事情に加えて、戦後になって製作されたジェラール・フィリップ主演の映画も、日本では『肉体の悪魔』と銘打たれて公開されたために、各文庫や世界文学全集などもすべてがそれにならってしまい、内容にそぐわないと思われる『肉体の悪魔』が定着し、今日に及んでいることになる。この事実はタイトルも含めた外国文学の初訳のもたらす影響の一端を示唆していよう。ただ最新訳の光文社古典新訳文庫版の中条省平は『肉体の悪魔』の訳題を評価し、あえてこちらを採用していることも注記しておく。

肉体の悪魔 DVD 肉体の悪魔 (中条省平訳)

しかし初訳タイトルの多大な影響はともかく、その訳文は初めての邦訳にふさわしい新鮮さに充ちていたといっていいい。省略を施さざるをえないけれど、冒頭のセンテンスを引いてみる。

 僕はいろんな非難をうけるだらう。だが、どうすればいいといふのだ? 戦争のはじまるすこしまへ、満十二歳だつたからつて、それが僕のせいだらうか? (中略)戦争といふものが、あんなに多くの少年たちにとつてどんなものだつたか、それを想像してみるがいい。なんのことはない、四年間の大休暇だつたのだ。

ここに表出しているのはこの『肉体の悪魔』が表面的には「一不良少年の自叙伝」をよそおい、「人妻との不倫関係」を描いているにしても、紛れもない戦争文学だという告白にも似た響きであろう。しかも大人たちにとって戦争が従軍や戦闘、負傷や戦死を意味することに対し、少年たちにとってみれば、「四年間の大休暇だつた」ともいえるのだ。これはジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』の原題『二年間の休暇』(朝倉剛訳、福音館)をもじっているのだろう。
二年間の休暇

桜井哲夫は主としてフランスの第一次大戦を論じた『戦争の世紀』(平凡社新書)において、ラディゲのいうこの「四年間の長い休暇(quatre ans de grandes vacances)」に言及し、戦場に赴いた青年たちばかりでなく、後方の社会の残された少年少女たちの精神形成に与えた影響にふれている。それをラディゲは、少年と出征兵士の妻との恋愛、及びその死を通じ、究極の心理小説として描き、『肉体の悪魔』ならぬ『魔に憑かれて』というタイトルにこめていたのだ。
戦争の世紀

しかしこのようなフランスの古典的心理小説の訳者として、小牧近江がふさわしくないと考えて当然であろう。それに小牧の『ある現代史』(法政大学出版局)の「略年譜」には「ラディゲの『肉体の悪魔』を、波達夫のペンネームで共訳」との記述が見つかるし、アルス版を原本としたと思われる昭和十五年刊行の改造文庫は、小牧と土井逸雄の共訳となっているので、土井が翻訳し、それが小牧と共訳のかたちで刊行されたのではないだろうか。

その事実はアルス版の『肉体の悪魔』の「訳者の言葉」にも表われ、「訳者のわづかな自負は、この訳書が、すでに六年前からラディゲへの深い関心と、二十世紀の子であるラディゲと同じ息を吸つて来たものの手によつて、生れたことである」と記されている。だが小牧は一八九四年生まれで、六年前にはバルビュスやシャルル・ルイ・フィリップなどの翻訳に携わっていたはずで、それらと異なるラディゲの心理小説に親しんでいたとはとても思われない。

また幸いなことに土井逸雄は『近代日本文学大事典』に立項されている。それによれば、土井は一九〇四年京都生まれで、ラディゲの〇三年とほぼ同じ「二十世紀の子」と見なしうる。東大仏文科中退、翻訳家としてラディゲの『肉体の悪魔』も挙げられていることから考え、実質的に波達夫は土井と見なしてかまわないだろう。
日本近代文学大事典

それまでの土井と小牧の翻訳の関係をいえば、『足助素一集』の「出版目録」にあるように、叢文閣のファーブルの『昆虫記』第十巻、本連載187でふれた新潮社の『フィリップ全集』第二巻所収の恋愛小説『マリ・ドナデイユ』の翻訳は土井が担っている。おそらくそれらを接点として、アルス版『肉体の悪魔』は波達夫名義の翻訳で刊行されるに至ったと推測できる。これらの翻訳の他に、土井は世界文学全集の編集、新劇や映画プロデューサーとも記されているが、それらの仕事が何であったのかが気にかかる。

このような東大仏文科、翻訳、編集、映画といった土井の経歴から思い出されるのは、『影武者徳川家康』(新潮文庫)の隆慶一郎のことである。隆も二十年ほど遅れてだが、また同じような道をたどり、東京創元社に勤め、岸田国士の『カサノヴァ回想録』(岩波文庫)の翻訳は彼の手になるものだと伝えられている。その後映画の『陽のあたる坂道』『にあんちゃん』などの脚本家となり、『吉原御免状』(新潮文庫)で、特異な時代小説家としてデビューしている。また同じく戦後になって、澁澤龍彦が小牧近江と共訳で、クラウスの『かも猟』(村山書店)を刊行しているが、これも土井や隆の流れに連なるものであろう。

影武者徳川家康 陽のあたる坂道 にあんちゃん 吉原御免状

外国文学の翻訳において、土井や隆のような代訳者の存在が多く控えていたにちがいない。だがそれらはほとんど翻訳出版史の闇の中に閉ざされたままである。


〈付記〉
この一文を書いてから、榊原貴教の「ラディゲ翻訳作品年表」によって、昭和二十七年の三笠書房版において、小牧が「あとがき」で、前半を小牧、後半を土井が担当したと述べていることを知った。しかし私の推理は出版史をめぐるものでもあり、そのまま残しておくことにする。

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