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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話213 左翼系出版社、南蛮書房、『絵入版ロシア大革命史』

前回少しだけふれた梅田俊英の『社会運動と出版文化』(お茶の水書房)は、大正デモクラシー期から始まる社会運動と出版文化の歴史をたどり、検閲を含めたその状況と動向を、サブタイトルにある「近代日本における知的共同体の形成」という視点から論じている。

私見によれば、そのような出版と社会運動の一体化のスプリングボードとなったのは、叢文閣によった足助素一と有島武郎の活動であったように思われる。それは有島というスター性を持った著者に依拠していたゆえに、注目度と反響は群を抜いていたと推測できるからだ。

梅田は大正、昭和初期のひとつの特徴として、左翼系刊行物の専門出版社の簇生を挙げ、それらは運動の一環としての出版と商業的出版との二つがあると述べ、司法省の研究資料から、次のような出版社と社主の名前をリストアップしている。これらに、わかるものはその社主の前身と主要出版物を添えてみる。なお叢文閣と足助は既述しているので、除外する。

白揚社(中村徳二郎)/大正六年取次と出版の三徳社を創業し、十年に白揚社と社名変更し、『レーニン著作集』『日本封建制講座』などを出版。
希望閣(市川義雄)/共産党委員長の市川正一の弟。新聞記者、出版従業員組合常任委員を経て、大正十三年設立。雑誌『マルクス主義』など。
共生閣(藤岡淳吉)/鈴木商店を辞め、堺利彦に師事し、社会主義運動に身を投じ、大正十五年に立ち上げ、初めてのレーニンの『国家と革命』を出版する。パートナーはモスクワのクートベに学んだ荒川実蔵。
木星社書院(福田久道)/翻訳者としてミレー伝、ドストエフスキーの手紙などを出した後、大正十三年文芸美術誌『木星』を創刊、『唯物論研究』などを編集発行。
鉄塔書院(小林勇)/大正九年岩波書店に入り、昭和三年に退職し、三木清をブレインとして創業。翌年には雑誌『新興科学の旗の下に』を刊行するために新興科学社も興し、プロレタリア科学研究所関連のものを刊行。
マルクス書房(難波孝夫)/『東京毎夕新聞』編集局長を経て、その退職金で昭和二年に創立し、プロレタリア芸術連盟機関紙『プロレタリア芸術』を出版。

国家と革命

これらは『出版人物事典』『近代日本社会運動史人物大事典』『日本近代文学大事典』などを参照し、注記を加えたもので、本連載でも白揚社や鉄塔書院は既述しているが、梅田の挙げているうちの半分しかアウトラインが描けない。その他の南蛮書房(松風宮晴)、左翼書房(田代常二)、自由社(古河停)、労働者書房(中沢寛)、大田黒研究所(大田黒年男)、プロレタリア書房(中大路良三郎)、イスクラ閣(川崎吉之助)は社主のプロフィルや経歴も不明だし、南蛮書房を除いて、それらの出版物も入手していないこともあって、正直に申せば、取りつく島がないといってもいいだろう。

出版人物事典 近代日本社会運動史人物大事典 日本近代文学大事典

それはおそらくこれらの出版社と左翼出版物に共通する、流通や販売の特有性にも起因していると思われる。すなわち通常の雑誌や書籍と異なる取次や書店、あるいは組織買いといった流通販売ルートに対する依存度が高かったことにもよっているのではないだろうか。ちなみにそれらのことを示すかのように、『日本出版百年史年表』を確認しても、これらの出版社は一社たりとも見出せない。したがって、所謂左翼系出版社の流通や販売も含めたトータルな実態は、秘密のヴェールに包まれたままだといっていいだろう。

それでも南蛮書房だけは、ロシア国立図書出版所編『絵入版ロシヤ大革命史』という三巻本を持っているので、この本について参考までに記しておこう。これらは昭和四年から六年にかけて刊行され、第四巻の予告も見ているが、実際に出たかは確かめていない。菊判ソフトカバーで、列車と建物、銃を持つ民衆とレーニンやトロツキーらしき写真のコラージュに雷のような赤い亀裂が挿入され、そこにタイトルが書かれている。そして背も裏表紙も同じく赤く、当時とすれば、革命的扇情さに充ちていたと考えていい。

原書はドイツ語版で、カラー挿絵、多くの写真と版画に加え、伏字も多用され、革命の臨場感を醸し出している。訳者は広島定吉と高山洋吉で、二人は同時代に産業労働調査所とプロレタリア科学研究所に属していたことから考え、神田区西今川町の南蛮書房と社主の松岡宮晴もその近傍にあったと見られる。

第一巻の共訳者として、松本信夫の名前も記されているが、彼も同様であろう。彼は巻末広告のルツポール『レーニンと哲学』の訳者でもあり、他の書目として、ピオントコフスキー『ソヴェート政権獲得史』、レーニン『農業問題とマルクス批判家』、昇曙夢編『ソヴェートロシヤ漫画ポスター集』も挙げられているので、南蛮書房はロシア革命関係書を出すことによって始まったのではないだろうか。それに『絵入版ロシヤ大革命史』の第二、三巻の巻末広告を見ていくと、高山洋吉編訳「コミンテルン叢書」五巻や冬木圭訳『絵入版ドイツ大革命史』全三巻、様々な翻訳パンフレットなども加わり、出版活動が広く展開されていったとわかる。高山洋吉については本連載150で言及しているので、ここでは省略する。

しかし何よりも興味深いのは、この『絵入版ロシヤ大革命史』第一巻がただちに発禁になったことに伴い、第二巻の巻末に次のような文言が掲載されていることだ。

 支配階級は本書の前に如何に恐怖し萎徴したか?その血迷へる魔手が全四巻を絞殺せんとしてゐる事によつて明瞭である。
 本書房は断然その魔手に戦を宣し身を似てその闘争に殉ずるであらう。本書は解放戦線史の完結であり、被圧迫階級のパイロットである。前金を以て本書を守れ!

最後の「前金」以下の文はゴチックで記されている。これはすなわち取次・書店ルートではなく、南蛮書房が読者への通販を主とするシステムによっていたことを示しているように思われる。

念のために、城市郎の『発禁本』(別冊太陽)を確認すると、『絵入版ロシヤ大革命史』ばかりか、同じ南蛮書房の『第三戦線』『コミンテルンの宣言綱領・規約』などの他に、先に挙げた出版社の発禁本の書影も見ることができた。その意味で、大正十四年の治安維持法を背景とする出版弾圧は、昭和に入ってさらに激しくなり、出版が国家に抗する闘いである時代を迎えていたことになる。

発禁本

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