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ブルーコミックス論42 marginal×竹谷州史『月の光』(エンターブレイン、二〇〇五年)

月の光1 月の光2 月の光3 月の光4


前々回『俺と悪魔のブルーズ』におけるテーマとしてのアメリカ音楽、しかも私はその悪魔を、フランシス・ベーコンが描いた肖像のようなと記したが、彼の画集が重要な役割を占め、さらに前回『月光の囁き』のタイトルを組み合わせたかのような作品がある。それは物語の展開はまったく異なっているにしても、marginal×竹谷州史の『月の光』で、これも「ブルーコミックス」をめぐる作品群のひとつに加えてかまわないだろう。この作品もまた次のような詩に象徴される物語であるからだ。それは生者が死者に繰り返し語りかける歌でもある。

俺と悪魔のブルーズ 月光の囁き
この胸のざわめき
遠くから呼ぶ声あり
青い月の光
人間(ひと)は誰も
男も……女も
いずこより来たりて
いずこに去るのだろう。
世界が壊れる……その前に
自分が壊れるその前に
……知りたい

『月の光』はSF、ミステリー、オカルティスム、ホラー、スパイ小説などの多彩なファクター、及び登場人物の名前からわるように、フェリーニの『道』などの映画からの引用をふんだんに盛りこんだ作品に位置づけられる。それはおそらく原作者と考えていいmarginalの、現在と社会に対するクリティックをベースにして成立している。だがそれらがポリフォニックに構成され、全4巻に及ぶ物語がかなり錯綜を見ていることもあってか、コミックとしては異例の「これまでのお話」が第3、4巻の冒頭に付されている。だがこれらも長いので、もう少し簡略にストーリーを押さえておこう。
道

東京で高級娼婦送迎のバイトをしている木暮柾彦は、北海道にいる姉の麻美が急死したとの知らせを受け、ずっと絶縁状態だった実家に戻り、その遺品として姉が最後に聴いていたCDを持ち帰る。そのCDにはラベルがなく、彼女が編集した盤かと思われたが、それを聴いて、彼は得体のしれない波動を感じ、次の瞬間に自分の肉体(ボディ)を見下ろすという体外離脱を体験する。もしかすると、自分は元に戻れたが、姉も同じ体験をし、肉体=抜け殻に戻れなくなったのではないだろうか。

柾彦は姉の死の真相を探るために、CDと体外離脱の関係を調べ始める。そのCDはアメリカの謎めいたフリージャズ奏者のアルバート・アイラーの未発表演奏だったことがわかる。だが彼は三島由紀夫の死の同日に水死体として発見されていて、なぜこのCDが体外離脱を促すのかはわからない。そのかたわらで、柾彦は空中に浮遊した自分を「幽体」と名づけ、その実験を繰り返して距離と高度を伸ばし、満月の夜空にも浮くようになり、そこでの少女の美佐、老賢者ザンパノ、バケモノのヌルヌル君、『フランシス・ベーコン画集』から離脱した男といった「幽体」に出会う。彼らに共通するのは「不安と孤独」であり、その「天空」には広大無辺なシステムが存在しているようなのだ。
『Francis Bacon』画集

この老賢者ザンパノについてふれておけば、これはフェリーニの映画『道』もさることながら、『月の光』の物語構造から類推すれば、大きな影響を与えていると思われる、マーク・Z・ダニエレブスキーのメタフィクション大作『紙葉の家』(嶋田正一訳、ソニーマガジンズ)から引かれているのではないだろうか。
紙葉の家

一方でヌルヌル君は柾彦に、アメリカにおけるアストラルプロジェクトを語る。それは体外離脱を利用した極秘の新たな軍事スパイプロジェクトで、それに姉の麻美も関わっていたのである。柾彦も美佐もそれに巻きこまれようとしていた。だがともに「霊的感受性」を備えた麻美=死者と、柾彦=生者との最後の言葉が交わされ、彼女は弟に別れを告げるかのように語りかける。

 「人間が《無意識》を自覚できないのは自我や本能がそれを妨げるからです。
 生まれる以前と死後の世界を仮に《異次元》として語るとすれば……同じように異次元もまさに人間の無意識のごとく“生者”には了解不能なのです。
 人類史における例外的な突然変異、あるいは聖者が異次元を“知覚”しても、それを他者に伝える時……比喩として方便として《物語》を使わざるをえません。
 けれどもそれは時代や地域的な善悪のバイアスで歪められた”似て非なるもの”として説かれる宿命になってしまう。
 異次元のことは(中略)物質と非物質が壮大に織りなす無限宇宙のシステムであること(中略)。
 起源と死後が同一のような胎生以前と死後の世界が同致してしまうような《無意識の領域》が人類にはあるのだと」

だが最後に彼女は弟に、それらのすべてを「忘れなさい」と言う。彼は美佐と愛し合い、生者の道を歩き始めていたからだ。それに夜も明け、「青い月の光」は消えていこうとしていた。アストラルプロジェクトは破綻しつつあり、CDもまた粉々に砕かれるであろう。

どうもうまく物語を要約できず、断片的になってしまったが、これは『月の光』が織りなすスペキュレーションコミックという性格も必然的に作用している。『月の光』の英語タイトルはまさにAstral Project であり、それは前述したアメリカの幽体を利用したスパイプロジェクトのことでもあるが、同時にその他のアストラルの意味も含んでいると思われる。アストラルは、ルドルフ・シュタイナーの神智学の身体における感情を司る部分をさすアストラル体、十九世紀のオカルティストのエリファス・レヴィのいう四大精霊の物質的本体を表わすアストラル・ライトとも関連づけられるだろう。それにアストラルプロジェクトの責任者はユング主義者と設定されているように、「国家」と「幽体」の共同の不可能性、あるいは「現実」と「異次元」や「無意識」の非同一性を、麻美の言葉を借りれば、「物語」として語ること自体が困難であることを告げているのかもしれない。それでもこれらに共通しているのは「青」のイメージであり、本連載28の秋里和国『青のメソポタミア』で言及した「地球は青かった」というガガーリンの言葉でのこだまを感じることができる。
青のメソポタミア

またそのイメージに関して、この『月の光』の物語に十九世紀末に立ち上げられた英国心霊研究協会のことを重ね合わせてしまう。とりわけ幽体と化した柾彦たちと地球の姿は、協会の会長を務めたF・W・H・マイヤーズのHuman Personality and Its Survival of Bodily Death(Hampton Roads)の表紙の絵と相似していることと偶然ではないように思われる。だがここは「ブルーコミックス論」の場であり、それらにこれ以上深入りするわけにはいかないので、ここで止める。興味のある読者はその書影も含んだ拙稿「水野葉舟と『心霊問題叢書』」(『古本探究3』所収、論創社)を参照されたい。

Human Personality and Its Survival of Bodily Death 古本探究3


次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」41 喜国雅彦『月光の囁き』(小学館、一九九五年)
「ブルーコミックス論」40 平本アキラ『俺と悪魔のブルーズ』(講談社、二〇〇五年)
「ブルーコミックス論」39 中村珍『羣青』(小学館、二〇一〇、一一、一二年)
「ブルーコミックス論」38 山田たけひこ『マイ・スウィーテスト・タブー ―蒼の時代』(小学館、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」37 山岸良子『甕のぞきの色』(潮出版社、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」36 金子節子『青の群像』(秋田書店、一九九九年)
「ブルーコミックス論」35 原作李學仁・漫画王欣太『蒼天航路』(講談社、一九九五年)
「ブルーコミックス論」34 原作江戸川啓視、漫画石渡洋司『青侠ブルーフッド』(集英社、二〇〇五年)
「ブルーコミックス論」33 原作江戸川啓視、作画クォン・カヤ『プルンギル―青の道―』(新潮社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」32 高橋ツトム『ブルー・へヴン』(集英社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」31 タカ 『ブルーカラー・ブルース』(宙出版、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」30 立原あゆみ『青の群れ』(白泉社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」29 高田裕三『碧奇魂 ブルーシード』(新装版講談社、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」28 秋里和国『青のメソポタミア』(白泉社、一九八八年)
「ブルーコミックス論」27 やまむらはじめ『蒼のサンクトゥス』(集英社、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」26 原作・高山 路爛、漫画・やまだ哲太『青ひげは行く』(集英社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」25 柳沢きみお『青き炎』(小学館、一九八九年)
「ブルーコミックス論」24 島本和彦『アオイホノオ』(小学館、二〇〇八年)
「ブルーコミックス論」23 石川サブロウ『蒼き炎』(集英社、一九九〇年)
「ブルーコミックス論」22 志村貴子『青い花』(太田出版、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」21 羽生生純『青(オールー)』(エンターブレイン、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」20 入江亜季『群青学舎』(エンターブレイン、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」19 さそうあきら『さよなら群青』(新潮社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」18 篠原千絵『蒼の封印』(小学館、一九九二年)
「ブルーコミックス論」17 木内一雅作・八坂考訓画『青龍(ブルードラゴン)』(講談社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」16 松本充代『青のマーブル』(青林堂、一九八八年)
「ブルーコミックス論」15 やまじえびね×姫野カオルコ『青痣』(扶桑社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」14 やまじえびね『インディゴ・ブルー』(祥伝社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」13 よしもとよしとも『青い車』(イースト・プレス、一九九六年)
「ブルーコミックス論」12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1