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古本夜話220 東亜堂と佐々木邦訳『全訳ドン・キホーテ』

前々回に植竹書院のことを確認するために、宇野浩二の『文学三十年』などを再読し、島村抱月と片上伸の名前で出された『ドン・キホーテ』の翻訳は「村山何とかいう人」の名訳で、自分も牧野信一も愛読したし、植竹書院としては最も大きい仕事だったという記述があったことも思い出した。

これは未見なので、国立国会図書館編『明治・大正・昭和翻訳文学目録』(風間書房)をくってみると、植竹書院の『ドン・キホーテ』は大正四年に上下巻で出されていたことがわかる。しかし『同目録』に掲載があるにもかかわらず、その前年に佐々木邦によって、『全訳ドン・キホーテ』が刊行されていたことはほとんど言及されていない。ちなみに講談社の『佐々木邦全集』補巻5所収の「著作年表」にも収録されておらず、また第十巻所収の「年表」は『ドン・キホーテ物語』刊と記されていて、それらは『全訳ドン・キホーテ』そのものが稀覯本であることも影響しているのではないだろうか。

実はこの佐々木邦訳の存在は前から承知していた。大正六年に東亜堂から出されたチョーサーの金子健二訳『全訳カンタベリ物語』をかなり前に入手し、その巻末広告で『全訳アラビヤンナイト』(本間久訳)、ヴェデキント『春のめざめ』(野上臼訳)、マアテルリンク『蜜蜂の生活』(岡本清逸訳)と並んで、『全訳ドン・キホーテ』も掲載されていたからだ。そこには「勇壮と滑稽とに充てる彼が武者修行の如何に面白きかよ、本書は滑稽文学の奇才佐々木邦先生が特異の筆を縦横自在に振はれたるもの、一度巻を開けば其面白さに時を忘るゝであろう」とのキャッチコピーが付されていた。

しかし私がぜひ読みたいと思ったのはこちらではなく、菊半八百ページ近い『全訳アラビヤンナイト』のほうだった。訳者の本間久は明治文学研究者の本間久雄と紛らわしいが、同じく東亜堂から『女優ナナ』を翻訳してもいて、これも入手しておらず、『日本近代文学大事典』には立項されているものの、生没年未詳の小説家、批評家で、「文壇の枠からはみ出した人間であった」と あの『蒐書日誌』(皓星社)の大屋幸世によって記されていたから、関心を募らせていたのだ。それに『全訳カンタベリ物語』にしても『全訳ドン・キホーテ』にしても、初めての全訳であるようなので、本間訳の『全訳アラビヤンナイト』と『女優ナナ』も、内容と翻訳に一度目を通してみたいと願ってもいた。

日本近代文学大事典 蒐書日誌

だが長きにわたって両書にはめぐりあえず、その代わりに浜松の時代舎で「稀本」と銘打たれた菊判四三八ページの『全訳ドン・キホーテ』に出会ったのである。古書価は一万円だったが、これを買わざるをえなかったことはいうまでもない。まずは何よりも、佐々木による冒頭の訳文を示しておこう。ただし総ルビは省略する。

 今は昔、西班牙はマンチヤの唯有る村に一人の田舎紳士住みけりで此物語が始まるのである。申す迄もなく仮にも紳士と名がつけば、素の町人は事違つて、第一、居間の長押には槍の一本や二本は飾つて置く。次に祖先伝来の楯といふのが大の御自慢。それから瘠馬の一匹は必ず飼ひ、犬も蓄へ、猟に出ては矢鱈に野良を踏荒すので、百姓共からは敬して遠ざけられる閑人―と思へば先ずゝゞ大した間違はなからう。

私は以前に拙著『ヨーロッパ 本と書店の物語』(平凡社新書)を『ドン・キホーテ』から始めたこともあって、岩波文庫版の永田寛定などのいくつかの訳を読み比べているので、よくわかるのだが、佐々木訳はいかにも彼らしい端正な日本語になっている。引用した冒頭の文のすぐ後に、他の訳ではドン・キホーテの身をあやまらせた「騎士物語」への言及に至るのだが、その「騎士物語」は佐々木訳において、「武士や魔法使ひ等の大勢出てくる武者修行の物語」とされている。もちろんそれは佐々木が原書とした英訳の反映でもあるはずで、佐々木は「はしがき」に、それに就いても記している。彼によれば、この翻訳はJones , The Adventures of Don Quixote de la Mancha を底本とし、Shelton , The History of the Valorous & Witty Knight-Errant Don Quixote of the Mancha を参照し、「成るべく日本の読者に分り易いやうにと必掛けて書いたもの」だと述べている。読み進めていくうちに、これらの英訳にも目を通してみたくなるほど、佐々木の達意な訳文に舌をまく思いが高じてくる。

ヨーロッパ 本と書店の物語ドン・キホーテ (永田寛定訳、岩波文庫) ドン・キホーテ(牛島信明訳、岩波文庫)
佐々木がマーク・トウェインの影響を受け、明治四十二年に『いたづら小僧日記』でデビューし、また実際に『トム・ソウヤー物語』や『ハックルベリー物語』を翻訳したことは比較的知られている。だが「著作年表」のデビュー同年には全集に収録されていない『ドン・キホーテ物語』も挙がっていて、これは『全訳ドン・キホーテ』に他ならず、同時に佐々木のユーモア文学の隠し味になっているようにも思われる。

佐々木の「はしがき」は「岡山にて」という記述があるので、この翻訳は彼が六高教授時代に仕上げ、これも名前が挙がっている「旧師皆川正禧氏」の尽力によって、東亜堂からの出版に至ったようだ。東亜堂と発行者伊東芳次郎については、明治三十六年創業で、小川菊松の『出版興亡五十年』に「堂主伊東芳次郎氏は才気潑剌の手腕家木村小舟氏を招じて当時の出版界に活躍したのであるが、惜しくも成功しなかった」という記述が見られる。だが『全訳ドン・キホーテ』巻末の「東亜堂出版図書特約売捌店」リストには、東京、地方、朝鮮、満州も含めて、百店ほどが掲載され、これらは取次と書店を兼ねていたはずなので、かなり強固な流通販売のインフラを形成していたと考えられる。その理由は同じく『完訳カンタベリ物語』と異なる英語参考書などの巻末の出版広告にも表われ、東亜堂は高校や大学などの英語教科書や参考書をベースにしていたのではないだろうか。それゆえにやはり英語の旧師を通じて、東亜堂に持ちこまれ、『全訳ドン・キホーテ』は出版の運びになったと思われる。
出版興亡五十年

植竹書院の『ドン・キホーテ』も気になるが、それにしても本間久訳の『全訳アラビヤンナイト』と『女優ナナ』には、いつになったら巡り合えるのだろうか。

また最後に記しておけば、私は以前にも「幸田露伴と『日本文芸叢書』」(「古本屋散策87」、『日本古書通信』09年6月号)などで東亜堂と伊東芳次郎に言及し、東亜堂が大正十年頃に廃業し、それらの出版物は忠誠堂や金星堂に引き継がれたことを既述している。

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