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古本夜話222 『独歩名作選集』とその後の内外出版協会

『児孫の為めに余の生涯を語る』
前回予告したように、内外出版協会の終焉とその後について、レポートしてみる。山縣悌三郎は『児孫の為めに余の生涯を語る』の中で、大正三年における内外出版協会の終焉事情が営業不振のために、巨額の融通手形を発行するに至ったことが原因だと記し、次のように述べている。長い引用になってしまうけれど、これは重要な証言なので、省略は最小限にとどめる。

 是の時に当り、友人桜井義肇(新公論社主)の為めに、余の裏書せる約束手形の、動もすれば不渡りとなりて、其の結果、余の財産を差押えへんと恐嚇する者を生ずるに至れるあり。而して余の使用人木下祥真(庶務係)、榎本申之(会計係)は、従来余の為めに其知人より金融をはかりて、其の利鞘を贏(まう)け得たる者、能く此の間の内情を知るが故に、万一差押のある場合、自己関係の債権に於て、亳も失ふ所なからんことを欲し、相謀りて余に進言して曰く、請ふ我等に安心を与へんが為めに、倉庫内の図書、紙型等をば、一時他に移して蔵するを許されずやと。時は二月の末、余は内外の事に疲労を極め、(中略)彼等を信じて之を許し、彼等の請ふが儘に、其の携へ来れる図書、紙型、著作権等の売渡し証書に捺印せり。木下乃ち奔走して近所に一屋を賃し求め、人夫を雇ひて荷車を用ひ、庫内の図書、紙型中、其の重要なるものを運ぶことを為す両三日にて、殆んど其の大半を移し去る。而して余は、多年勤務せる彼等を信じて、其の為す所に一任し、全く事を監せず。(中略)木下等急に其の積年の態度を一変し、其の債権者なる内山喜代太といふ者と協同して、新に東西社といふを起し、本会より運びたる図書を販売す。時に余猶ほ病蓐に在り、復た如何ともする能はず、彼らの希ふ所も、今や却て其の点に在り。是れより以後の事、余又多く言ふを欲せず、噫、内外出版協会茲に其の終焉を告げぬ。

あまりにも生々しい出版社の「終焉」の事情が語られている。このようにして多くの出版社が消えていったのであり、そしてまだ解明されていない多くの出版史の謎が残されていくことになる。本連載のひとつとして、それらの謎の解明もあるので、その後の内外出版協会の行方をたどってみることにしよう。

以前にも「阿蘭陀書房と『異端者の悲み』」(『古本探究』所収)で、倒産以後の阿蘭陀書房、本連載208などでも足助素一死後の叢文閣を見ておいたが、実はその後も内外出版協会は合資会社名が付されて存続し、少なくとも昭和初期までは出版社として活動していたのである。尾崎秀樹によれば、その後言海社と社名を変えたという。

古本探究

そのことを示す一冊を所持していて、それは内外出版協会を発行所とする『独歩名作選集』で、三六判四百余ページ、奥付に大正十四年十一月発行、同十五年七月第七版、定価二円と記載されている。編著者は東洋文芸協会、その代表者は柴田芳水、発行者は小泉準一で、柴田は文学史に名前が見えず、小泉は小川菊松の『出版興亡五十年』に通信、外交販売界の一人として名前が挙がっているが、詳細はつかめない。ただ印刷者はこれも本連載などで言及した梅原北明たちのポルノグラフィなどを印刷し、実質的に自ら「変態文献叢書」を刊行した福山福太郎とその製本印刷所が挙げられ、目に見えない出版の連鎖を想像させる。
出版興亡五十年

そしてさらに興味深いのは巻末広告で、「現代文豪名作選集」として独歩の他に、蘆花、紅葉、雪嶺、樗牛、漱石の五人、菊池寛など十五人以上のアンソロジー『現代作家傑作選集』も出され、これらも編著者は前述の柴田なる人物なのであろう。それから『浪六傑作集』が続くが、これは後述する。これら以外のものを次にリストアップしておく。

  1 大町桂月 『作例軌範文章宝鑑』
  2 伊藤痴遊 『隠れたる事実 明治裏面史』
  3 蘇堂山人 『武士道美談“仇を討つまで”』
  4 村田豊明 『思想中毒』
  5 浅野弥太郎 『人間哲学』
  6 弁護士尾山萬次郎・青木美夫 『実例を示した法律問答全書』
  7 靉靆居士 『実際を基礎としたる演説と挨拶』
  8 上田由太郎 『英語から生まれた現代語辞典』
  9 谷口政徳 『日本歴史の裏面』
  10 朝日奈知泉 『明治功臣録』

この他にも四冊あるが、それらは英語の辞典なので、あえてここにラインナップしなかった。これらのリストを見てすぐわかるのは、山縣悌三郎時代の出版物とまったく異なっていること、定価設定も三円から四円と高く、豪華本的造本にして大冊であることだ。それに「新聞さへ読める人なら誰でもわかる」とか、「新しい言葉は何んでもわかる」とかいったキャッチコピーは明らかに通販広告、もしくはすぐ役立つ実用書の印象を与える。すなわち、本連載147の「赤本」、同194や、214の「特価本」や「造り本」に分類されるものに相当する。

それゆえにこれらの多くは、倒産した出版社の紙型などに基づくと考えられ、『独歩名作選集』の奥付には「不許複製」とあるだけで、何の押印もない事実からすれば、著作権や印税も無視された出版であったかもしれない。そのことと合わせて考えられるのは、取次ルートと異なる仕入れ正味の安さで、本連載214の例で示したように二掛けでないにしても、それに近いものではなかっただろうか。

そうしたことが『浪六傑作集』全三冊各冊二円の見開き二ページ広告からうかがわれる。それは「公表当日の売高二万五千余冊」との惹句で始まり、「東京上野公園梅川亭に於ける臨時図書市会に於て本叢書の発表を公表するや人気忽ち沸騰し実に一日にして下記の如き売行を呈し爾来同業者の注文続々として堆積」とあり、一ページを使って五十冊以上仕入れた三十余の書店が挙がっている。だがこれらは千冊以上の注文が河野書店、松要書店、石渡書店、三星社、玉文社、湯浅書店、至誠堂の名前からわかるように、全国出版物卸商業協同組合の前身である東京書籍商懇話会関連の市会で、特価本業界を主体とするものだった。したがって仕入れ正味は安く、このようなルートから書店以外の古本屋、貸本屋、露店などへと流通し、通信、外交販売の商品としても採用されていた。

しかし大正七年の『東京書籍商組合員図書総目録』に、神田区小川町の合資会社内外出版協会を見つけることはできない。それは上記のような理由にもよっているが、内外出版協会という出版社名が大正三年の倒産の関係から、前出したような出版のために、特価本業界が利用しようとして残したものであるからなのだろう。

これは近代出版史における生産、流通販売の二重構造を形成することになる。しかしこちらの分野の出版物はその全体像がつかめず、出版目録も少ない。例えば、その中でも大手と考えられる河野書店=成光館の全出版物もわかっていない。だが『独歩名作選集』にみられるような、それはおそらく特価本値段で売れたことも相乗しているだろうが、半年あまりでの七版という売れ行きからすれば、多くの読者を獲得したのではないかと推測される。それは独歩だけでなく、他の作家たちも同様だったのではないだろうか。

だが出版史と同様に、文学史もこれらの二重構造を注視することはなく、独歩の著作として、まさに同時代に刊行され、奥付に「国木田」の押印のある博文館の『縮刷独歩全集』と異なり、『独歩名作選集』は挙げられておらず、その研究においても言及されていないと思われる。

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