『アンダーカレント』と題された作品がある。鮮やかな紫みの青とされる花色のA5判のカバーに、一人の女性が川に沈んだオフェーリアのように横たわっている姿が描かれ、上の白い部分にこれもまた花色抜きで、そのタイトルが記されている。作者は豊田徹也で、彼には他にB6判の短編連作集『珈琲時間』があり、そこには「リトル・ガール・ブルー」という作品が収録されている。これらのこと以外に豊田のことは何も知らない。
それらのことはともかく、最初に『アンダーカレント』=undercurrent はその表紙のイメージから「地下水脈」を意味しているように思われた。実際に表紙をめくると、扉には講談社の『英和中辞典』の定義が引かれ、「1下層の水流、底流 2〘表面の思想や感情と矛盾する〙暗流」とあった。それならば、『アンダーカレント』とはどのような物語であるのか。
『アンダーカレント』は月の湯という銭湯を舞台とし、その経営者であるかなえをヒロインとして始まっている。タイトルと銭湯名だけでも、これまで言及してきたように青を想起させる水と月を含み、さらに1章の冒頭には浴槽に湯を張っている場面が置かれ、続けて見開き二ページに、川に下半身をつけているかなえの姿が、水や岸辺の草とともに描かれている。
これらはエピグラフとして引用されているundercurrent の定義である「水流、底流」や「暗流」を暗示するシーンだと考えられる。このかなえと川のシーンはこれからも何度も再現され、『アンダーカレント』という物語のひとつの大きな謎の伏線を示すことになる。そうしたかなえ個人をめぐる謎の痕跡の提示に加え、彼女の夫もまた2ヵ月ほど前に謎の失踪をとげ、いまだもって行方はわからない。その間かなえは月の湯を閉じていたが、とりあえず開けることにしたことで客が入り、その湯船での会話などから、それらの事情が伝わってくる構成となっている。そして翌日、銭湯組合に依頼していた手伝いの男が訪ねてくる。その堀という男は「真面目そうだ」が、「なんだか流れ者っていうか職の渡り鳥みたいなところ」があった。それでも彼は月の湯に住み込みで働くことになった。このイントロダクションだけで、かなえ、失踪した夫、新たに出現した堀という三人の登場人物が抱えている謎が、すでに物語に散種されたのである。
そして様々な謎と並んで、『アンダーカレント』の物語を特徴づける対話が、かなえと堀の間で交わされる。彼女は夫の安否を気にし、テレビや新聞のニュースに気をつけていて、彼にニュースや新聞記事になる自殺と、報道されない自殺の差は何かと問う。すると彼は一日100人近くが亡くなっているから報道しきれないし、死ぬ理由が特殊だったり、悲惨だったりすることが考慮されているのではないかと答える。さらに死や自殺をめぐる対話が続いていくのだが、それは省略する。このような対話は、かなえと大学時代の同級生、堀と手伝いのおばちゃんとの間でも交わされる。
そうした対話はかなえと、夫の捜索を依頼した探偵山崎との間でさらにエスカレートしていく。その会話の要点だけを引用してみる。
「さっきからずっとお話聞いてて思ったんだけど、なんかこう見えてこないんですよ。あなたのご主人悟さんのパーソナリティみたいなものがさ」
「……ずい分はっきりと仰(おっしゃ)るんですね。山崎さんは悟さんに会ったこともないわけでしょう。わかりもしないのに決めつけて……」
「ええ会ったこともありません。では4年間交際してさらに4年結婚生活なさってたあなたは彼のことがわかるんですか?」
「それは……全てわかってるとはいいません。でも少なくともあなたよりはわかっているつもりです」
「ふむ……それではひとつ訊きたいんですが、人をわかるってどういうことですか?」
「それは……その……共に時間を過ごしたり……その人の考え方を知ったり……それは……その……」
これがかなえと山崎の対話である。しかも初対面の。そして別れ際に彼は彼女に言う。「あなたはどうですか? あなた自身のことは彼にわかってもらえていたのですか?」と。
それでいて山崎は狂言廻しの役も務め、何と二回目に会った時にはかなえをカラオケ店に誘い、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「裏切り者の旅」を歌い、彼女にも「デュカ」を歌わせ、伴奏もするのだ。探偵と依頼者がカラオケを歌う場面はその歌詞と相俟って、『アンダーカレント』の物語をパロディ化しているようでもあり、他ではお目にかかれないシーンのように映る。そういえば、近所の住人で元テキ屋のサブ爺も同じ狂言廻しの役を引き受けているといっていい。そしてこの二人はクロージングにおける別れの場面の立会人も務めることになる。
そのような山崎とサブ爺の捜索と語りによって、かなえ、失踪した夫、新たに出現した堀の秘めていた謎が次第に明らかになっていく。それはまた『アンダーカレント』のタイトルにこめられた物語の「水流、底流」や「暗流」が何であったのかを復元すること、とりわけかなえの繰り返しフラッシュバックされる川と水の記憶の真相を再現することでもあった。
このような物語構造ゆえに『アンダーカレント』はコミックに他ならないにしても、読後感はその印象がきわめて薄く、そのドラマツルギーとダイアローグは演劇のような臨場感を与える。それはそのように意識的に巧妙にコミックとして仕立てられているからではないだろうか。残念なことに表紙カバーに象徴される、紫みの青である花色の意味は解明されていないにしても。
またこれはいうまでもないかもしれないが、その読後感は映画を、しかもとても静かな映画を一本観たような思いを残してくれる。ミステリー仕立てでもあることから、その謎には言及しなかった。それに加えてシリアスにしてコミカルなといっていいこの『アンダーカレント』は、一冊にしてコミック、演劇、映画の三位一体の感覚を楽しむことができる作品なので、ぜひご一読あらんことを。