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古本夜話225 前川又三郎、前川文栄閣、小島烏水『日本アルプス』

山縣悌三郎の内外出版協会のところで、『文庫』やその編集者の小島烏水にもふれたこともあり、烏水の山岳紀行文学の重要な著作を刊行した前川文栄閣のことも書いておこう。

それは『日本アルプス』であり、岩波文庫に同様のタイトルで、アンソロジーが収録されている。「山の風流使者伝」とサブタイトルが付された『小島烏水』(創文社)を著した近藤信行は、その第十九章を「『日本アルプス』刊」に当て、次のように始めている。

日本アルプス 小島烏水

 『日本アルプス』第一巻は、明治四十三年七月、前川文栄閣より刊行された。このシリーズは大正四年出版の第四巻に続くことになるが、烏水の山の生涯における記念すべき大作であり、あたかも日本アルプス探検時代の主役をつとめてきた彼を象徴するかのように、名実ともみごとな出来栄えをしめすものであった。明治三十年代から山岳を総合的にとらえようとしてきた烏水が、(中略)あるときは哲学者として人生をみつめ、あるときは科学者的な風貌をみせて、山そのものと対峙する。そこにはつねに詩人的感性がみちあふれている。『日本アルプス』はこのような烏水にして、はじめて可能な著作であったといえるだろう。好評のうちに六版をかさねた『不二山』や『富士山大観』(編著)『山水美論』を出した如山堂から刊行するはずであったが、版元の資金上の都合から、前川又三郎の手によってまとめられた。

ここに前川文栄閣の前川又三郎の名前が出てくるが、近藤は後にもう一度前川の名前を挙げ、『日本アルプス』の原稿料が買切で百円だったこと、烏水がそれを登山費用にあてて登山記を書き、『日本アルプス』四巻がまとめられていったことにもふれ、「明治末葉から大正初期にいたる烏水の探検登山の成果を考えるとき、蔭の功労者として前川又三郎の名を逸することはできない」とまで記している。だがそれだけで、「あとがき」において、「日本近代の出版文化史のなかで、画期的名品といわれる『日本アルプス』全四巻」という言及はあるにしても、前川のプロフィルや前川文栄閣の出版物には筆が及んでいない。

『日本アルプス』第一〜四巻

その『日本アルプス』の第一巻だけは所持している。近藤の巻末の解題によれば、函入とのことだが、手元にあるのは痛みが激しい裸本で、明らかに古本屋による修復がなされている。しかしそのような痛みや修復にもかかわらず、この明治末年に出された一冊は、山岳紀行や登山を愛する読者を欣喜雀躍させたと想像するに難くない。烏水の「序」に記されているように、この一冊を読むことの意味が「そこには恍惚があるから」だと読者が思わずもらしてしまわんばかりの造本であり、菊判の中に組みこまれた挿絵、写真、木版、地図などが烏水の端正な文章と相俟って、まさに彼の「山の生活における記念すべき大作」と呼ぶにふさわしいと思えるし、山岳紀行や登山に不案内な私ですら、そのような印象を受ける。そして『日本アルプス』のような本を送り出した前川又三郎なる出版者に目を向けざるをえない。

その前川が小川菊松の『出版興亡五十年』に出てくる。小川は「春陽堂本に迫った一群」という章で、明治後半における文芸図書美本の系譜をたどり、春陽堂、吉岡書店、文緑堂、金屋文淵堂、如山堂の名前を挙げ、如山堂は小島烏水の山岳書を次々に出し、登山趣味を大いに鼓吹したと述べ、次のように続けている。
出版興亡五十年

 これらの美本組の一群は、いい合わせたように、京橋中橋広小路の前川文栄閣に集つた。それは店主の前川又三郎氏が、同業者や製本屋へ小金を貸していたからで、月末勘定が足りなくなると、皆そこへお参りする。前川氏も片手間に小野鵞堂氏の「文の手ほどき」と題する習字本や、中村秋香氏の「古今集詳解」などを出版して、毎年大市でも能く売れた。小島烏水氏の『日本アルプス』という同店不似合な本を発行したのは、著者と関係の深い如山堂君が、金談成り立たずして持込んだものではなかつたかと思う。この『日本アルプス』が出たころから、高山登山熱は、更に嶮峻な日本アルプスその他の山岳の探検に転じて行つた。

ここに示された『日本アルプス』の出版事情は先の近藤の指摘と符合するが、例によって小川の見解は思い違いもあり、前川文栄閣については少し修正を施す必要があろう。小川によれば、赤本出版に携わり、如山堂との関係から「不似合な本」である『日本アルプス』を出版するに至ったことになる。だが『日本アルプス』の巻末広告には、小川菊松が挙げた二冊の他に、アメリカ人牧師ブラウンと『聖書』を邦訳し、後に評論家、翻訳者となった高橋五郎の著作や『フアゥスト』の翻訳、伊藤銀月の紀行文、綱島梁川の宗教書、さらに様々な仏教書、俳書、翻訳書、木下尚江の小説『良人の告白』や『火の柱』など百冊以上が掲載されている。

これらの書名のうち、正岡子規の『俳人芭蕉』は金尾文淵堂から出されているはずだと思い、石塚純一『金尾文淵堂をめぐる人々』(新宿書房)などの出版目録と照らし合わせてみると、綱島梁川『病間録』、中村春雨『密航婦』、五十嵐力『児童の研究』、上田敏『文藝講話』など少なくとも十冊が金尾文淵堂の出版物だったとわかる。つまり金尾文淵堂は倒産によって前川から借りた金を返すことができず、その代わりにこれらの著作権を前川文栄閣に譲渡したことになる。その事実から考えると、前川文栄閣の多彩な出版物も他の出版社からの譲渡によっているのかもしれない。
金尾文淵堂をめぐる人々
小川は前川が関わっていた「出版街の裏路で行われる金融事業」について、親しい出版仲間に小金を貸すもので、「日歩五銭(年一割八歩)から八銭(年二割九歩弱)」の利息であり、担保は取らず、信用で手形の割引をしていたという。この「出版街の裏路」もいくつもの通りがあり、この闇も深く、そこにはまだ明かされていない多くの出版史の謎が秘められているにちがいない。だがそれにしても『日本アルプス』も含めて、前川文栄閣の編集者は誰だったのだろうか。

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