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古本夜話226 六盟館と新渡戸稲造 『ファウスト物語』

本連載220の佐々木邦訳『全訳ドン・キホーテ』のところで、島村抱月、片上伸共訳『ドン・キホーテ』は「村山何とかいう人」の名訳との、宇野浩二の『文学の三十年』などにおける証言を引いておいた。そこで宇野はこの名訳が森鷗外訳『ファウスト』、上田敏訳『神曲』に並ぶものだとも述べていた。上田敏訳『神曲』は大正七年に星野商店から出されているが、これは未見で、その代わりに本連載216で古典文学研究会訳の『神曲』を紹介しておいた。
ファウスト(森鴎外訳、ちくま文庫)

さてもうひとつの鷗外訳『ファウスト』は、鷗外の文部省文芸委員会の唯一の仕事とされて、その二冊本の書影は彼の評伝やアルバムなどで見ることができる。しかし『ファウスト』には先行する訳や まとまった紹介があり、それらは前回言及した高橋五郎と新渡戸稲造によるもので、後者の新渡戸の『ファウスト物語』は明治四十三年に六盟館から出版されている。この六盟館についてふれておけば、明治三十六年に榊原友吉(文盛堂)、目黒甚七(目黒書店)、杉本七百丸(翰香堂)、西澤喜太郎(西澤書店)などによって設立された、中学教科用図書の共同出版をメインとする東京と長野を結ぶ合資会社で、彼らのそれぞれが出版社、取次、書店を兼ねていたことになる。

この新渡戸の『ファウスト物語』は、ゲーテの『ファウスト』第一部の注釈にあたるもので、彼がその「序」に述べているような事情によって成立している。

 昨秋、第一高等学校生徒の依託に応じ世界文学の代表的作物としてゲーテの『ファウスト』を講じて、其梗概を話した。其折の筆記に基き足らざるを補い、正すべきを正し、殆んど全部に加毫して出来たのが即ち此の『ファウスト物語』一巻である。


つまり『ファウスト物語』は校長を務めていた一高での講義ノードであり、これは教文館の『新渡戸稲造全集』第九巻に収録されているので、今でも容易に読むことができる。しかしこれは六盟館を底本としているにもかかわらず、尾竹國観の十数葉に及ぶミスティックな挿絵は掲載されていないし、絵文字で始まる独特の活字の組も異なっているので、菊判三百七十ページの六盟館にあった特有の雰囲気が失われてしまっている。

同書に示されているのは、新渡戸が西洋のオカルティスムやスピリチュアリズムの系譜をたどり、『ファウスト』を注釈していくという顕著な姿勢である。それは『ファウスト』の最初に置かれた「献本の詞」(「口上」)におけるゲーテの書き出しを、「幻と顕はれそめた人々の遊魂も一陣(ひとしきり)吹く霊風(かぜ)に任かせて寄り近づき集り忽ちありありと眼尖(めさき)に影ろひ現われて来た」と訳していることにもうかがわれ、それは新渡戸なりの「魔法使いのファウスト」の探求の始まりのように思える。また「天の序幕」は天国の場面であって、これはダンテ、ミルトン、スウェーデンボルグによって少しばかり描かれていたとの注釈が加えられ、『ファウスト』における『神曲』『失楽園』や『天界と地獄』の影響を示唆している。

神曲 失楽園

そして本文に入り、第一場「書斎」において、ゴシック小説や幻想文学の主人公であるかのように、髑髏とともに夜半の陰気な書斎にいるファウストの姿が説明され、それはそのまま尾竹の挿絵に描かれている。そこでファウストが本棚より大部の一巻を取り出し、「これこそはノストラダムス師が親ら書き遺したる魔術の秘書」と呟く場面を語り、「此本は十六世紀の中頃、仏蘭西で有名なる猶太人で、天文暦占に精通した学者の著者」だと述べられ、書名は記されていないにしても、これは一五五五年にフランスで出された『諸世紀』(内田秀男、大乗和子訳『ノストラダムス大予言原典』(たま出版)と見なしていいだろう。それを繰るファウストの眼は「宇宙の符号」に止まる。
ノストラダムス大予言原典

この「宇宙の符号」について、新渡戸は英語のMacrocosm , Microcosmの意味、仏教経典や中江藤樹などの言説を援用し、「森羅万象と心霊と相照らす意」だと説明し、これは「中古新プラトン学派」の中でも、ブルーノとベーメで唱道したものだと説いている。ブルーノは『無限・宇宙と諸世界について』(清水純一訳、岩波文庫)を著し、異端裁判所で焚刑に処せられたルネサンス期の哲学者ジョルダーの・ブルーノ、ベーメは後のドイツや英国ロマン派に大きな影響を及ぼした神秘学の祖というべき哲学者である。

無限・宇宙と諸世界について

そうして新渡戸は彼らのいう「その符号」に関して、西洋の中世天相家や天文学を参照し、自ら想像した「その符号」を描く。それは占星術における天体と個人の関係を占う手段として最も重要なコンセプト、英語でZodiac と呼ばれる「黄金十二宮」図である。続けてそれに対比させる意味もこめ、ある古書で知った「ファウストが宇宙の符号を見るの図」、及びアグリッパの『哲理秘事』(Occulta philosophia)から「善霊を降すに用いる符号」として五つの図を引いている。「ある古書」は書名が明らかではないが、やはり錬金術や魔術に通じたアグリッパの『哲理秘事』とは翻訳は出されていないにしても、『オカルト哲学』などとして伝えられている一冊であろう。幸いにして挿画と異なり、これらの「符号」は全集版において削除されていないので、興味ある読者はぜひ参照されたい。

この「符号」を見たファウストは「立(たちどころ)に神通(しんつう)を感じ」、「霊界に入るの門は閉鎖(とざさ)れず、/閉ぢたるものは爾(なんじ)の目なり」と悟り、「曙の虹に心を洗ひ清めよ」と謳う。これは中世マニ教の霊魂観に基づき、ここでファウストはノストラダムスの「真意(まごころ)」と「宇宙の完相」「真一の霊心」を感得したと、新渡戸は述べている。さらに次に「地霊の符号」も取り上げられ、ユダヤ人の神秘学としてのカバラへの言及もなされている。

この第二十五場からなる『ファウスト物語』において、第一場である「書斎」に関する注釈が最も長く、その前に置かれた「『ファウスト物語』の由来」なども含めれば、四分の一にあたる九十ページ以上を占めているので、新渡戸が最も力を入れているとわかる。しかし高橋義孝訳『ファウスト』(新潮文庫)を参照すると、新渡戸が長きにわたって注釈を施し、また私が紹介した部分は次のように始まる三十行ほどの詩歌に相当している。最初の四行を引いてみる。
ファウスト(高橋義孝訳、新潮文庫)

 逃げ出せ、さあ、広やかな精霊の世界へ。
 そして、この、高名な占星術者自筆の、
 神秘の書を供とすれば、
 おまえはその世界へ出て行かれるはずだ。

ここに「高名な占星術者自筆の神秘の書」と示されているように、具体的に著者名も書名も記されておらず、それはその後の『ファウスト』の展開においても同様である。したがって既述した著書名や書名は、新渡戸の『ファウスト物語』の中にオリジナルに散種されたものということになる。もちろんそれが新渡戸の参照したテーラーの英訳や各種の参考文献によっているとしても、ここでの新渡戸の姿勢はゲーテの『ファウスト』読解にあたって、ノストラダムス、ブルーノ、ベーメ、アグリッパ、また後の章に出てくるので記さなかったが、パラケルススなどの十六世紀の神秘家たちを召喚し、さらにマニ教やユダヤ神秘学のカバラまでをも総動員していることだろう。

しかしこのような新渡戸の『ファウスト』読解は、その生涯をキリスト教に基づく教育者として過ごし、『武士道』も上梓し、札幌農学校、京都帝大教授、東京女子大初代総長を歴任し、国際連盟事務局次長も務めた経歴からすれば、奇異な思いに駆られるかもしれない。だが新渡戸は英国心霊研究協会に関心を寄せ、その会員であったベルグソンやオックスフォード大学のマレー教授などと心霊問題を討議し、心霊現実を事実だと考えるに至っていたことからすれば、『ファウスト物語』に見られる注釈は必然的な試みだったともいえるのである。
武士道

それに『ファウスト物語』が刊行された明治四十三年は心霊研究関連の著作や翻訳が相次いで刊行された年でもあった。それらを挙げてみれば、スウェーデンボルグの鈴木大拙訳『天界と地獄』(有楽社)、ブラヴァツキーの宇高兵作訳『霊智学解説』(博文館、復刻心交社)、柳田国男『遠野物語』(聚精堂)、高橋五郎『心霊万能論』(前川文栄閣)が続けて出されている。英国心霊研究協会関連の翻訳書に関しては、拙稿「水野葉舟と『心霊問題叢書』」や「心霊研究と出版社」(いずれも『古本探究3』所収)を参照されたい。

遠野物語  古本探究3

またそのような心霊的環境にあって、新渡戸と柳田は郷土会を設立し、大正末年にはともにジュネーブの国際連盟に仕事に携わり、二人は同時代を併走していたといえる。それゆえに新渡戸の関心だけが特別であったのではなく、同時代の人々が『ファウスト物語』に示された読解に関心を持っていたゆえに、新渡戸の講義もまた成立したように思われる。

なおベーメの征矢野晃雄訳『黎明』(大村書店、復刻牧神社)が刊行されるのはやや遅く、大正十年になってからである。それにもうひとつつけ加えておけば、本連載217でふれた河原万吉訳によるスウェーデンボルグの『天界と地獄』(新生堂)も昭和五年に刊行されている。

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