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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話228 『婦人之友』と『羽仁もと子著作集』

続けて内外出版協会にふれ、その光というよりも影の部分にずっと焦点を当ててきたので、最後となる今回は、同協会から巣立った雑誌と出版社に言及してみる。

内外出版協会の創業者山縣悌三郎の自伝『児孫の為めに余の生涯を語る』(弘隆社)において、明治三十六年のところに『家庭之友』の創刊事情が記されている。
『児孫の為めに余の生涯を語る』

 四月三日(神武天皇祭)雑誌家庭之友を創刊した。羽仁もと子専ら編輯を担当せられた。初め羽仁吉一、(中略)其の妻の為めに適当なる賃仕事(ジョブ・ウアーク)を与へんことを懇請せられた。(中略)協議の上、新に家庭雑誌を発行して、編輯を担当せしめ、毎月一定の報酬(金参拾円)を贈ることに決した。(中略)斯くて内外出版協会に於て、明治四十一年一月まで、其の発行を継続せるが、漸次発行の部数を増し、彼女の名も亦広く知らるゝに至りたるを似て、彼女は余との関係を絶ちて、自ら婦人之友を発行せらるゝことになつた。

その最初のタイトルの『家庭の友』創刊号の写真が、『田中穣が見た羽仁吉一・もと子と婦人之友社100年』婦人之友社)に掲載されている。菊判三十六ページで、表紙の下の部分に目次が示され、ヨーロッパをモデルとする近代家庭の営みを伝えんとする雑誌だとわかる。女子教育と家庭教育の時代を迎えていたのである。『家庭之友』から『婦人之友』への転換はやはり明治四十一年で、その表紙レイアウトは『家庭之友』を踏襲している。主婦之友社の『主婦之友』や講談社の『婦人倶楽部』が創刊されるのは大正時代になってからで、まさに『婦人之友』は戦後まで隆盛をきわめる婦人誌の先駆けであった。
家庭の友創刊号 (復刻)      田中穣が見た羽仁吉一・もと子と婦人之友社100年

山縣の証言によれば、羽仁もと子が『婦人之友』を創刊後も、しばらく『家庭之友』を発行していたが、読者を失い、廃刊せざるをえなかったという。だが羽仁たちのために「幾分(いくらか)其の生計を助けんとするに在りたれば、創刊の目的は茲に全く達成した」と山縣は述べ、その他にも羽仁もと子の希望により、彼女の弟の松岡正男を編集者として『青年之友』を同じく発行したが、長続きしなかったとも語っている。

すでに見てきたように、その後の内外出版協会は茅原華山と『第三帝国』を創刊したけれども、どのような事情があってか、この雑誌と茅原からも離れ、大正三年に倒産してしまう。山縣は『少年園』を創刊することで児童文学や雑誌の画期的模範を示し、『文庫』によって多くの人材を送り出した、不世出の出版者であるにもかかわらず、明治後半における近代出版業界の成長の過程で脱落してしまった存在だといえよう。

その敗者となった山縣と対照的に、羽仁たちの婦人之友社は成長し、大正十年には女子教育のための自由学園を創立し、『婦人之友』と自由学園はともに手を携え、百年の道を歩んだのである。そして羽仁吉一は勝者としての出版者の記述を残すに至る。『雑司ヶ谷短信』(婦人之友社)の中に、「家庭之友の創刊」という一文が置かれている。

 (前略)山縣悌三郎氏の経営しておられる内外出版協会で家庭向きの雑誌を出したいが、その編輯を引き受けてくれないかという話があり、ちょうど自分も一時新聞関係から離れていた時でもあったので喜んで引受けた。新聞には多少の経験も自信もあったが、雑誌の編輯ははじめての仕事であった。

山縣の回想とまったく逆の経緯が語られている。雑誌や出版企画をめぐって、経営者と編集者の発言がまったく異なるのはよくあることだが、山縣の自伝が刊行されていなければ、羽仁の記述が近代出版史の事実として承認されていただろう。そしてまた『我が愛する生活』自由学園出版局)の「羽仁吉一先生年譜」も同じように、「山縣悌三郎氏の要請により、『家庭之友』を発刊」、また「多忙を理由に青年之友、家庭之友を廃刊、もと子と共に婦人之友の編集発行に専念」とある。額面通りに読めば、羽仁が『青年之友』と『家庭之友』の廃刊を決定し、『婦人之友』に専念したことになるが、前二誌は内外出版協会が発行していたのだから、実際には山縣が廃刊の判断を下したのであって、羽仁によるものではない。

このような出版史の操作は何に起因しているのであろうか。おそらくそれは『婦人之友』が家庭と女子教育の栄光に包まれていく過程で、羽仁たちも神話化され、山縣と内外出版協会は単なる背景へと追いやられていったことを物語っているのであろう。

そして羽仁もと子の神話化は昭和二年に婦人之友社から刊行され始めた『羽仁もと子著作集』全二十巻に多くをよっている。赤い布地に草花をあしらった平福百穂装丁の第一巻が手元にあるが、奥付を見ると、発行者は羽仁吉一となっている。著者が妻で、発行人が夫なのだ。円本時代には三百数十種の全集やシリーズ類が刊行されているけれど、自らが営む出版社から自らの著作集を出版した例はこれ以外にないと思われる。
(『羽仁もと子著作集』第1巻人間篇、新版)

だからこそ、『羽仁もと子著作集』は異例の円本であり、夫がプロデューサーで、妻がヒロインを務めた出版ドラマと解することもできる。以前にも「夫婦で出版を」(『文庫、新書の海を泳ぐ』所収)で、三上於莵吉と長谷川時雨に言及し、いずれ本連載でも北原武夫と宇野千代の出版事情にふれるつもりでいる。だが羽仁夫婦の出版活動はキリスト教をベースとして、大正時代の新雑誌と教育と宗教の動向を反映して成長し、円本時代をもくぐり抜けていったとわかる。それを可能にしたのはやはり自由学園を伴い、併走していたからであろう。
文庫、新書の海を泳ぐ

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