今回の『軽薄と水色』の「水色」は、前回のような夏休みを具体的に表象する色彩ではなく、若さ、それは「軽薄」の代名詞でもあるが、に伴う様々な感情のメタファーと見なせるだろう。
それを示すかのようにfrivolité et blue clair というフランス語訳タイトルが付せられている。もちろんパリに住んでいるらしい、かわかみの意向もあるにしても。frivolitéは「軽薄」に加えて、移り気、つまらないこと、くだらないことなどの意味も含み、それにblue clair=「水色」が寄り添っていることを、このタイトルは物語っている。
しかしこの『軽薄と水色』は六つの短編で構成された作品集であるが、同じタイトルのものは含まれていないので、この六つの作品のトータルがその表象ということになろう。だから本来であれば、これらの六つの短編のシノプシスを述べ、タイトルにこめられた世界を浮かびあがらせるべきかもしれない。だがそれらはいずれも好短編であり、紹介していくとそれだけで長くなってしまうので、ここでは冒頭に置かれた「バイバイラジオスター」に限りたい。これは豊島ミホの『日傘のお兄さん』(新潮文庫)所収の原作に負っているにしても、かわかみの『軽薄と水色』の世界のニュアンスを最もよく伝えているように思われるからだ。
「バイバイラジオスター」は車で就活中のチセがFMラジオを聴いている場面から始まる。ラジオでしゃべっているのは大学の先輩で、初めてつきあったノブオだった。二人は別れてしまったこともあって、チセはノブオがラジオ局に就職したことを知らなかった。彼女は東京から北の町にある大学に入り、初めての冬のたくさんの雪と静かすぎる夜に結ばれたこと、彼が自分を呼ぶ時の小さくはじけるようなくすぐったい音のする声を思い出した。結局最後には自分がフラれたのだと思う。そのチセも今や大学四年になり、去年の夏からつきあっている同学年の大樹もいる。しかし大学に入った時にめざしていた仕事とは関係なく、色んな会社を受けて落とされ、「何やりたいのかわかんない状態」に陥っていたし、それは友人たちも同じ状態にあり、大樹も就職をあきらめ、卒業と同時に「自分さがしの旅」に出るらしいのだ。
そういえば、ノブオと別れたのも、彼が就職でナーバスになっていたからだ、あの頃はその別れの意味がまったくわからず、彼が自分のことを面倒くさくなっていたと思っていた。でも今はあの時のノブオの気持ちがちょっとだけわかる気がした。「私は別れるのがヘタらしい。」
四月から始まったノブオの番組は桜が散り、緑の匂いが伝わり始めると人気が出て、「ノブオはラジオスター」になった。相変わらず就職が決まっていなかったチセは、実家のある東京の会社を考え、就職課のファイルを繰っていて、ノブオがこの大学から始めて放送局に入ったことを知る。しかも「どうしても入りたい」と努力していたことも。でもあの頃、ノブオはそれを話してくれなかったし、自分も何も考えていなかったのだ。その時の自分と現在の自分は何も変わっていないのかもしれない。しかしとりあえず、今自分にできることだけはしようと決意した。それは東京で就活すること、もうひとつはノブオの番組に本名でリクエスト葉書を出すことだった。東京に移れば、このFMは入らなくなるし、ノブオの声を聴くのも最後になってしまうからだ。その曲はカーペンターズの「スーパースター」である。
彼女は東京に向かう車の中で、それがかかりノブオによってチセの葉書が読まれ、彼が曲について語っているのを聞く。私たちもそれを聞いてみよう。
「……すごく切ない曲なんですよね。昔の恋人の声が甘くきれいにきこえるのに、それはラジオなのっていう……
でもこの詞、男の側からしてみるとどうなるのかな。離れていても自分の声が昔の彼女に届くわけでしょう?……いいですよね。実は僕は昔ラジオ好きの女の子とつきあっていて、それがきっかけで、この仕事につきたいと思ったんですが。
だから今でも時々ソーゾーするんですよ。いつか、いつか彼女がどこかでこの番組を聴いたらびっくりするだろうなあ、なんてね。(中略)つい口がすべりましたが……」
チセは「うそ、そんなの知らなかった。考えもしなかったよ、ノブオ」と思い、運転しながら涙を流す。そのチセの顔を、かわかみは様々な角度から五コマにわたってアップで描き、「目/腫れる……」と彼女に呟かせている。そして「道はとっくに分かれてる」し、「きっとそれでいいんだ」とも。
もちろん村上春樹の影響を否応なく感じてしまうけれども、このような場面とその展開の中に、かわかみならではの恋愛コミックの文法を読み取りたくなる。他の五編も同じような文法によって成立していて、それらの全体に対して、『軽薄と水色』となるタイトルを付した、かわかみの用意周到な配慮にオマージュを捧げたくなる。私が他の作品に見られるセンチメンタルとユーモアの共存も好むからでもあるが。
そしてさらに付け加えれば、「ラジオスター」の原作者の豊島ミホは『夜の朝顔』(集英社文庫)しか読んでいないが、こちらもかわかみじゅんこと同じfrivolité=「軽薄」ならぬélégance=「巧妙さ」を感じてしまう。つまり「軽薄」をよそおった若い女性の「巧妙さ」をも。とすれば、「水色」の意味も変わってしまうだろう。かわかみにしても豊島にしても、いずれもこれらの一冊しか読んでいないし、まだ未読のものが多く残されているので、それらを読むことによって、さらなる「水色」の揺曳を確かめてみよう。