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古本夜話235 楠山正雄『近代劇十二講』

しばらく飛んでしまったが、大正時代の戯曲や演劇のことにもう一度ふれてみたい。
大正時代の戯曲や演劇をめぐって何編か書き、『秋田雨雀日記』なども参照してきたが、それらに必ず登場してくる人物がいて、それは楠山正雄である。金子洋文の『投げ棄てられた指輪』の巻末広告にある新潮社の海外演劇のストリンドベルク、メエテルリンク、ヴェデキントなども彼の翻訳となっているし、本連載205の年表で示した様々の劇団にも関係し、その名前が広く見出される。

そしてゴシップ的にいえば、『秋田雨雀日記』に苦々しげに書かれているように、島村抱月の死後、松井須磨子が楠山に懸想していたことなどを考えても、楠山は大正時代の演劇運動の中心人物の一人だったと見なせるだろう。また雨雀と楠山は大学の同級生でもあった。平凡社の、『演劇百科大事典』における楠山の項を引いてみる。

 くすやままさお 楠山正雄(1884〜1950)劇評家・翻訳家。明治一七年東京に生れ、早稲田大学英文科卒業後、「菊五郎と吉右衛門」と題するすぐれた演劇評論を発表し、演劇評論家としての地位を確立した。以後多くの劇評の筆をとる。また井上正・桝本清の新時代劇協会、島村抱月の芸術座などに関係し、多くの戯曲・小説を翻訳・脚色上演した。また童謡に興味をもち、古童話・古伝説の集成を志し、世界児童文学古典『模範家庭文庫』を編集するとともに「童話劇作家協会」を創設した。晩年は冨山房の『国民大百科辞典』の事業を主宰した。イプセンやストリンドベリなど西欧近代劇の翻訳や、『近代劇十二講』その他多数の著書がある。

これが演劇の側から見られた楠山のささやかなプロフィルだが、その後の『日本近代文学大事典』の立項においては、彼の業績と評価が見直されたこともあってなのか、一ページ以上に及ぶ記述となり、二冊の著書の解題も含んだ詳細な多方面に及ぶポートレートに変化している。
日本近代文学大事典

私が楠山に注目してきたのは演劇方面に関してではなく、編集者としての楠山であった。その軌跡を簡略にたどってみる。彼は大学卒業後の明治三十九年に早稲田文学社に入り、島村抱月のもとで『文芸百科全書』の編集に従事する。これは本連載189で既述したように、同四十二年に草村北星の隆文館から刊行され、後に中央公論社の『世界文芸大辞典』のベースとなった。同四十四年坪内逍遥の推薦で冨山房に入り、大隈重信主宰の雑誌『新日本』の編集に携わり、劇評、翻訳、脚色に取り組み、演劇界に深く関わるようになる。

一方で児童文学において、大正五年から冨山房が出し始めた『模範家庭文庫』全二十四巻の編集に参画し、それに『イソップ物語』『世界童話宝玉集』『日本童話宝玉集』を執筆し、また『赤い鳥』や『童話』にも多くの作品を寄稿することになる。さらに編集者として同じく冨山房『日本家庭大百科辞彙』全四巻、『国民大百科辞典』全十五巻にも取り組み、「冨山房百科文庫」もまた彼の企画だった。このようにたどってみると、楠山が大正時代を通じて、きわめて多彩な役割を演劇と編集において果たし、横断的に活躍していたとわかる。

そのひとつの達成として、ここでは『近代劇十二講』を取り上げてみたいと思う。これは前出の『演劇百科大事典』の立項でも書名が挙げられ、彼の代表作とされ、また『日本近代文学大事典』にも書影の掲載があるにもかかわらず、いずれも解題は施されていないからだ。

これは大正十一年八月に刊行され、私の所持する一冊は同年九月六版となっているので、演劇の時代における満を持した著作として、読者に迎えられたことを告げているように思われる。その四六判七百五十ページに及ぶ浩瀚な一冊は、それにふさわしい内容に仕上がっている。そのことに対し、楠山も自負があったらしく、「例言」で「人と作篇と題目の各般にわたつてほゞひろい近代劇の展望図を、多少とも系統立てゝ画がき出したといふ位が、この講話が大体、外国の学者たちの研究を基礎にしながら、幾分でもそれに超絶した強味である」と述べている。そして『近代劇十二講』は次のように格調高い宣言として始まっている。

 ロメン・ローランは、近代の不思議は芸術家が民衆を発見したことだといつている。(『民衆の芸術』序論)わたしはこの言葉につけ加へて、近代劇はこの新しい発見の上に成立つた新しい芸術だといひたいと思ふ。
 詩が貴族の遊戯であり、小説がブルジョワの暇つぶしの読物である時代に、演劇は民衆の必要物である。民衆の力の大いに伸びた時代に演劇も大いに伸びる。政治上や経済上に民衆の権力が伸びないでも少くとも時代の文化に民衆の生活が大きな影を投じてゐる時代に演劇は栄える。時代の民衆文化の全局を把持する大戯曲家の生れた時に演劇は栄える。

日本の大正時代が民衆の発見であり、それが近代劇の発祥であり、詩が貴族、小説がブルジョワに属していることに対し、演劇は「民衆の必要物」だというテーゼが語られている。このような演劇の新しい時代の到来があって、本連載205で述べたような多くの劇団の開花が生じたのかとあらためて理解できるのである。そして楠山は最初に近代劇の揺籃を見て、それをロマン主義、自我主義、現実主義、自然主義、反自然主義へとたどっていき、民衆と芸術の結びつきによる新しい劇場と新しい戯曲、すなわち民衆劇の誕生までを跡づけている。日本の民衆劇についてはそれこそ揺籃中であることから言及されておらず残念だが、いまだに類著のない一冊としてあり続けているので、講談社の学術文庫、もしくは筑摩書房の学芸文庫で、復刻されることを願う。

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