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古本夜話236 博文館「近代西洋文芸叢書」とシユニツツラア、楠山正雄訳『広野の道』

これから楠山正雄の編集者としての軌跡をたどっていくつもりだが、その前に早稲田文学社の『文芸百科全書』に続く仕事として、博文館の「近代西洋文芸叢書」におけるシユニツツラアの『広野の道』の翻訳にふれておきたい。

博文館の「近代西洋文芸叢書」は『博文館五十年史』に述べられているように、明治四十五年に企画された創業二十五年記念事業としての、菊判総クロス天金の七大叢書のひとつである。この「叢書」は大正時代に新潮社を始めとして、多種多様に刊行されていく外国文学の翻訳シリーズの先駆けともいえるもので、これらの翻訳出版がベースとなって、円本時代の各種の世界文学全集が編まれていくことになる。

「近代西洋文芸叢書」もやはり紅野敏郎『大正期の文芸叢書』に立項され、その十二冊の明細が挙げられている。そしてそれらのフローベールからゴンクールに至る翻訳陣は楠山、中村星湖、相馬御風、片上伸、吉江孤雁、前田晁の早稲田関係者に、森田草平小宮豊隆、阿部次郎、鈴木三重吉といった「漱石門下生=木曜会メンバー」が加わったもので、名のみ伝えられていた近代西洋文学の内実が「はじめて適切なかたちで根をおろした功績、それははかり知れぬほど大きい」と紅野は評している。
大正期の文芸叢書

この「叢書」のうちのフローベール生田長江訳『サランボオ』については本連載186でふれ、横光利一の『日輪』に与えた影響を既述しておいた。その他のフランス文学として、モーパッサン、ピエール・ロティ、ゴンクール、またロシア文学として、ツルゲーネフ、ドストエフスキイ、トルストイ、ゴーリキーたちの作品が収録され、「近代西洋文芸叢書」の特色が、いち早いフランス文学とロシア文学の紹介であったとわかるが、そうした中で楠山はウィーン文学のシュニッツラー(以下表記はこちらを採用する)の紹介を担ったことになる。
日輪

しかしそれからシュニッツラー以外の文学者は大半が全集も刊行され、研究も進み、新訳も出され、様々な意味において一巡してしまった感があった。もちろん思いがけない近年のドストエフスキイの光文社古典文庫新訳のベストセラー化はあったにしても。

だがその中でも、シュニッツラーは一九八〇年代を迎え、グスタム・クリムト、エゴン・シーレ、オスカー・ココシュカなどの世紀末ウィーン美術への注視の高まりと相俟って、『輪舞』(岩淵達治訳、現代思潮社)に代表される、プレイボーイと可愛い街娘が綾なす性の物語と異なるシュニッツラーに照明が当てられてきたように思える。
輪舞

それらは彼の自伝的回想『ウィーンの青春』(田尻三千夫訳、みすず書房)、池内紀・武村知子訳『夢小説・闇への逃走他一篇』、池内紀編『ウィーン世紀末文学選』(いずれも岩波文庫)といった新訳にも表われていた。そして九〇年代になって、シュニッツラーの『カサノヴァ最後の恋』がアラン・ドロン主演で公開され、続いて「夢小説」をベースとするスタンリー・キューブリックの『アイズ・ワイド・シャット』がトム・クルーズ主演で制作され、ちょうど一世紀後であるにしても、世紀末ウィーンの性と死を再現するかのようだった。そしてさらに今世紀になって、ピーター・ゲイの『シュニッツラーの世紀』(田中裕介訳、岩波書店)も翻訳された。

ウィーンの青春 夢小説・闇への逃走他一篇 ウィーン世紀末文学選カサノヴァ最後の恋 アイズ・ワイド・シャット シュニッツラーの世紀


これらはそれぞれが異なる印象で迫り、シュニッツラーと世紀末ウィーンの多様な姿を伝えてくれた。だがこれらの新訳や映画以上に先駆的で、しかも決定的だったのは、八三年に刊行されたカール・E・ショースキーの『世紀末ウィーン』(安井琢磨訳、岩波書店)であった。とりわけ同書の1の「政治と心情」はシュニッツラーとホフマンスタールへの言及で、しかもシュニッツラーに関しては、唯一の長編小説『自由への途』(Der Weg ins Freie)に焦点があてられていた。この作品は楠山が訳した「近代西洋文芸叢書」の『広野の道』に他ならず、その後も新たな訳を見ていない長編小説なのである。
世紀末ウィーン

ショースキーは『自由への途』が、ウィーンにおける反ユダヤ主義の衝撃と自由主義社会の解体を背景にして書かれ、そのタイトルは若い世代が病んだ社会から抜け出て、開かれた世界への途を発見しようとする絶望的な試みをさしているという。そして芸術家にして貴族である主人公は、ウィーン世紀末の文化的英雄を代表し、彼を通じて「一つの理想の緩やかな死」を明らかにするとし、次のように指摘している。

 彼の小説の示すように、政治の領域では本能が事実上解き放たれ、議会は大衆を操るための単なる舞台となり、性欲はそれを包む掟から解放された。公(おおやけ)の死の舞踏が力を増すにつれて、私(わたくし)の生の舞踏はますます大胆に旋回する。こうしてシュニッツラーは伝統的価値への新たな帰依と、この価値を無用の長物化してしまう近代の社会的・心理的現実の科学的な見方との間に、宙吊りになるのである。

さらにショースキーは『自由への途』の物語と登場人物の分析を進め、この小説には真の結末も主人公における悲劇的昂揚もないが、「一つの文化的思想の死の宣言とみれば、この小説には力がある」し、「世紀末ウィーンの崩れゆく道徳版―唯美的文化を、彼は余人の及ばぬほどに描いた」と述べ、シュニッツラーへの言及を閉じている。

このようなショースキーの見解に対して、楠山も『広野の道』は「ゲオルクとアンナの情話を経とし、他の幾つとない恋愛の挿話を緯として、一篇の派手で憂鬱なヰイン生活の浮世絵模様を織出してゐる」が、シュニッツラーは生粋のウィーン人にしてユダヤ人の血を引く立場から、オーストリアの政治や芸術の混沌たる状況に対し、鋭い警告を与えていて、恋愛小説というだけでなく、「一種の高等な文明批評」だと述べている。

楠山の訳文にふれてこなかったので、ショースキーと楠山の見解の一端をのぞかせる『広野の道』のクロージングの文章を引き、この一文を終えることにしよう。

 ゲオルクの心の中にはさまざまにもつれた歓楽と哀傷に、今静かに離れて行く告別の声が聞こえて、それが今日暫らく跡に見捨てる谷の底に、微かに消えて行くのだった。と、同時に未来の日が彼の青春の世界の遠い奥から、彼を迎へて呼ぶ声がきこえて来た。

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