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古本夜話244 杉谷代水と『書翰文講話及文範』

楠山正雄のことを確認するために『冨山房五十年』に目を通していて、冨山房の創業時代の功労者で故人となった人たちを写真入りで紹介している数ページがあり、そこに杉谷代水も含まれていることに気づいた。その写真は他の編集者たちよりも大きく、それは付された文章も同様で、冨山房にとっても杉谷がきわめて重要な位置にあったとわかる。それを引いてみる。

 冨山房編集部の創立者。名は虎蔵、代水はその筆名。明治七年鳥取県堺港に生れた。鳥取県立中学校を終へて後、二十二歳で上京、早稲田の東京専門学校に入り、病気のため中途退学、三十一年九月坪内博士の推薦を受けて冨山房編輯部に入り、最も坂本社長の信頼を受け、坪内博士の小学国語読本編纂を扶け、傍、文芸の著述翻訳に従ふ。宿痾のため社会的活動の自由を殺がれたが、却って内に静慮工夫の緻密を得、天成の文才と相俟つて篇々珠玉のやうな著作を成した。著作、芳賀博士と合著の「作文講話及文範」「書翰文講話及文範」翻訳、「希臘神話」「アラビヤンナイト」等何れも今に長き声価を保つている。(中略)大正四年四月神奈川県逗子町に没した。年四十二。

やはり同書にある正宗白鳥や中島孤島の証言によれば、坪内逍遥の監修により、その門下が参加した「通俗世界文学」と「少年世界文学」の完結後に、杉谷が「模範家庭文庫」を発案し、自らが第一編『アラビヤンナイト』、中島が第二編『グリムお伽噺』を執筆したが、間もなく杉谷は他界してしまったという。ちょうど『アラビヤンナイト』の刊行と杉谷の死は同じ大正四年なので、その書影からもうかがえる、華麗な装丁の上下本の刊行を見ずにして亡くなってしまったのかもしれない。私にしてもかなり前からこの『アラビヤンナイト』を探しているのだが、入手に至っておらず、実物を目にしていない。

それはともかくそのような事情から「模範家庭文庫」の編集は楠山正雄が手がけ、また続けて自著の『世界童話宝玉集』『日本童話宝玉集』上下を刊行しているので、楠山の印象が強いにしても、企画は杉谷によってなされたことになる。

このような代水の企画編集や著作もさることながら、冨山房にとって代水が最も貢献したのは、紹介にもある『作文講話及文範』『書翰文講話及文範』だったのではないだろうか。それについて『冨山房五十年』も大正期の重要な出版物として、「有名な芳賀博士・杉谷代水氏合著の『作文講話及文範』『書翰文講話及文範』の二書も、この時代に出て、文章学に新眉目を点じた一大名著であるが、病身の代水氏が最新鏤骨の意匠は今に輝いてゐる」と述べてもいるからだ。ここで装丁も代水が担っていると知らされる。

作文講話及文範 講談社学術文庫版)

前者は講談社学術文庫で復刻され、後者は入手していて、以前にも拙稿「実用書と図書館」(『図書館逍遥』所収)でふれている。だがここでは視点を変え、代水の側から見てみる。まず装丁と造本から始めると、辞典をブランドにしていた冨山房を反映してか、辞典を彷彿させる新案特許とある外函に入り、しかもそれは千ページを超える菊判二冊本で、所謂実用書的イメージはまったくなく、風格が伝わってくる「講話及文範」といった体裁であり、確かに代水の「最新鏤骨の意匠は今に輝いてゐる」とまで称せられたニュアンスがわかる。

図書館逍遥  

その奥付を見ると、売れ行きもすばらしく、上下巻合わせて二円八十銭、大正二年十一月初版、三年三月十四版とあるので、冨山房の当時の売上に群を抜いて貢献したにちがいない。内容を要約すると、上巻は手紙についての話と書き方、下巻は年始状から旅信などに至る文例集で、しかもそれらには歴史上の人物や現代の作家の「内外名家」の様々な「文例」が添えられ、明らかに手紙の百科辞典を想定し、編まれている。

そして芳賀矢一杉谷代水合編と謳われているにしても、芳賀が冒頭に寄せた一文を読むと、彼は監修の立場で、実際の編纂と執筆は代水が担当していることは歴然で、それは前作『作文講話及文範』も同様だったと思われる。エピグラフに「書束は人の身後に残るも最も意味深き記念物なり」というゲーテの言葉が記されている。近代とはまさに手紙の時代だったのであり、本連載223でふれているように、大正五年に大町桂月の『作法文範書翰文大観』(帝国実業学会、復刻柏書房)も出ているが、これはタイトル、内容から考えても、『書翰文講話及文範』をそれこそ範として編まれたと判断してかまわないだろう。この例からわかるように、昭和の時代を迎え、さらに戦後の高度成長期まで無数の手紙の本が出版されてきたが、その起源ともいうべき一冊が『書翰文講話及文範』であったのだ。

また多くの愛読者もいたに相違なく、その一人である中野重治は『本とつきあう法』(ちくま文庫)において、「刑務所の中の官本で読み、出所してから古本屋で買い求め、愛読している」と述べ、次のように評している。

本とつきあう法  (『中野重治全集』第25巻)

 そこのあるのは人生のすがただ。
 ああ、学問と経験のある人が、材料を豊富にあつめ、手間をかけて、実用ということで心から親切に書いてくれた通俗の本とは何といいものだろう。

それが杉谷代水であったことになる。
またこのように記した中野も手紙魔のような存在で、おそらく『書翰文講話及文範』を読みながら、澤地久枝編」『愛しき者へ』(中公文庫)などに収録された膨大な手紙を書き、また最近になって、妻の原泉による」『中野重治書簡集』(平凡社)も出された。このような機会だからまず『愛しき者へ』を再読してみよう。
中野重治書簡集  


その後、杉谷訳の『希臘神話』は入手したが、『アラビヤンナイト』はいまだに見つけられない。

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