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古本夜話248 佐々木孝丸訳『ファンニー・ヒル』と解説「十八世紀英京倫敦遊里考」

本連載21などで、翻訳者としての佐々木孝丸にふれ、彼が梅原北明のポルノグラフィ出版人脈の一人で、昭和二年にジョン・クレランドの『ファンニー・ヒル』の最初の翻訳者であることを記しておいた。

しかしこの『ファンニー・ヒル』は城市郎の『発禁本』(「別冊太陽」)などで書影は目にしていたにもかかわらず、長きにわたって入手できなかったので、読めないでいた一冊だった。以下タイトルは三重表記とする。

発禁本

もちろん吉田健一訳の『ファニー・ヒル』(河出文庫)や江藤潔訳『ファーニイ・ヒル』(富士見ロマン文庫)はかなり以前に読み、とりわけ後者の江藤による「解説」の「ジョン・クレランド―人と作品」は示唆に富むものだった。一七四八年という前ヴィクトリア朝時代に刊行され、二百年にわたりポルノグラフィとして発禁の書だった背景が、作者、文体と構成、成立過程、さらに出版者、時代、影響も含め、丁寧にたどられていたからだ。これ以上の作者と作品に関する言及をいまだ目にしていない。それは研究社の『英米文学辞典』第二版にも立項されていないことに表われているし、現在でも同様だと思われるので、簡略に紹介しておきたい。
ファニー・ヒル 英米文学辞典

作者のジョン・クレランドは一七〇九年に生まれた。父ウィリアムはスコットランド人で、相当の官職にあったようだが、政変に絡んで致仕し、その後は文人と交わり、特にポープと親しく、新聞に反骨のある健筆をふるったと伝えられている。ジョンは長じてトルコの領事館を経て東インド会社に入り、理由は定かではないが、退職して英国へと戻った。しかし海外生活から足を洗ったものの、故国での生活はきびしく、借財だらけになってしまう。そこで書かれたのが英語によるポルノグラフィの最初の傑作とされる『ファーニイ・ヒル』、原題はFanny Hill or Memoirs of a Woman of Pleasure ということになる。それは父譲りの文才と読書量、海外での体験と見聞を生かし、自らを不遇と借財の生活に追いこんだ同時代の社会の欺瞞に満ちた実相を、女性の目を通して描き、そこにはあわよくば、借金も返せるのではないかとのジョンの目論見も含まれていた。
Fanny Hill or Memoirs of a Woman of Pleasure

『ファーニイ・ヒル』は孤児となった貧しい田舎娘がロンドンに出て、娼婦の世界に入り、様々な性の体験を経て、最初の愛人と結ばれるハッピーエンドへと至るのだが、このファーニイの物語は、彼女が知己の夫人に書き送った二通の告白的手記から構成されている。

この若い女性を主人公とした書簡体小説は同時代の英国で、サミュエル・リチャードソンが一七四〇年に『パミラ』、四七年に『クラリッサ』を刊行し、好評を得て、版を重ねていたことに範を求めていた。そのベストセラー『パミラ』(海老池俊治訳、『リチャードソン・スターン』所収、『筑摩世界文学大系』21)は翻訳されているが、最も長い十八世紀の英国小説と伝えられる『クラリッサ』の邦訳はなく、テリー・イーグルトンの評論、『クラリッサの凌辱』)(大橋洋一訳、岩波書店)によって、その内容を想像するしかない。しかしその陰影は異なるにしても、リチャードソンの小説とクレランドの『ファーニイ・ヒル』は若い女性と書簡体形式によって、十八世紀英国社会を浮かび上がらせることで通底しているはずだ。

パミラ(原田範行訳、研究社)Clarissa(Clarissa) クラリッサの凌辱


この『ファーニイ・ヒル』の経済にもふれておこう。クレランドはこれを出版者のラルフ・グリフィスに売り、原稿料は二十ギニー、わずか二ポンドだったが、その二巻本はグリフィスに一万ポンドの収益を与えた。だがその後二百年にわたり、ポルノグラフィと見なされ、解禁となるのは一九六三年を迎えてからだった。吉田健一や江藤潔訳もそのような世界的解禁状況を受け、翻訳に至ったのであり、それ以前には欧米と同様に日本でもアンダーグラウンド的出版物の分野に属し、その嚆矢が佐々木孝丸の『ファンニー・ヒル』だった。

『ファーニイ・ヒル』の出版をめぐる一九六四年の英国訴訟事件を付録に収めたH・M・ハイドの『ポーノグラフィの歴史』(笠倉貞夫他訳、新泉社)によれば、『ファーニイ・ヒル』の出現以来、ポルノグラフィの出版は増加する一方で、秘密出版、闇値販売として繁盛をきわめ、それは後期ヴィクトリア朝時代に頂点に達したという。この事情はスティーヴン・マーカスの『もう一つのヴィクトリア時代』(金塚貞文訳、中央公論社)に詳しい。それはフランスも同様であり、佐々木が参照した原本は小牧近江がフランスアから持ち帰ったものだと伝えられている。

もう一つのヴィクトリア時代
さてその佐々木訳『ファンニー・ヒル』だが、実はこれをブックオフで入手したのである。銀座書館という出版社から、『相対会研究報告』や『生心リポート』などの復刻が出されていて、その中に『続・禁書類従』も含まれ、そこにこの『ファンニー・ヒル』の収録があったのだ。ブックオフのバーゲンセールで500円のシールが貼られていたことからそれを手に取り、収録の事実を初めて知った。佐々木訳は次のように始まっている。

 奥様
 私は心から貴女のご希望に添ふやうに致しませう。かなり辛いことではございますけれど、でも、放埓な私の生涯の、面目次第もない破廉恥な身の上も、事細かに申し上げることに致しませう。今日では、まあどうにかそのやうな生活から足を洗つて、仕合せなことに、愛と健康とを楽しむことが出来るやうになつてゐるのでございますが。

佐々木はこの訳に先駆けて、スタンダールの『赤と黒』の最初の翻訳者でもあるので、抄訳の問題はひとまず置き、吉田や江藤訳と比べても遜色のない訳文であり、一貫してそのポルノグラフィらしからぬ品位を保とうとする配慮が伝わってくる。それゆえに本人はこの翻訳を生涯にわたって恥じていたようだが、これまた『ファンニー・ヒル』の最初の翻訳者としての栄誉を佐々木に与えたくなる。

しかし佐々木の翻訳以上に興味深いのは、同書の半分近くを占める「十八世紀英京倫敦遊里考」で、「当時倫敦は、夕暮れになると、遊び人と女達によつて充たされるのであつた。倫敦児の風俗頽廃はその極に達してゐた」社会状況の懇切なるレポートとなっている。ロンドンの酒場や妓楼に関する記述は、カサノヴァや『倫敦妓楼誌』からの引用であることは明らかだが、この『ファンニー・ヒル』の「解説」に当たる長文を書いたのは誰なのだろうか。

カサノヴァへの言及、それに他ならぬ『倫敦妓楼誌』が英語ではなくフランス語文献であり、これもフランスから持ち帰ったものだと判断できることから、この「倫敦遊里考」の著者は小牧近江だと考えるしかない。本連載で既述してきた佐々木と小牧、及び原書との関係、それに小牧は大正十五年に国際文献刊行会から『カサノワ゛情史』の翻訳を刊行していることも考慮すれば、まず間違いないように思われる。それゆえに佐々木訳『ファンニー・ヒル』の刊行にあたって、英国の知られざる社会状況を明らかにする意図も秘められていたのかもしれない。

これは以前にブリジット・ブローフィによる『ファンニー・ヒル』書評が収録されていることから読んだのだが、丸谷才一編著『ロンドンで本を読む』(マガジンハウス、後光文社知恵の森文庫)の中で、丸谷がイギリスの書評ジャーナリズムに関して、「レーフ・グリフィスがクレランドの『ファニー・ヒル』の大当たりで得た金をつぎこんで『マンスリー・レヴュー』を出したころから」始まったと見ることも可能だと述べていた。この視点からすると、ポルノグラフィと書評紙の始まりも連鎖していることになるし、ポルノグラフィの刊行と隆盛、それがもたらす経済はまだ明かされていない多くの他の出版物を生み出したようにも思われる。それは日本においても同様だったのではないだろうか。

ロンドンで本を読む
なお、この一文を書いた後で、これもよくあることだが、古書目録に佐々木孝丸訳『ファンニー・ヒル』の掲載があるのを見つけた。

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