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古本夜話249 松本苦味訳『どん底』と金桜堂「パンテオン叢書」

大正時代の文芸叢書をまた見つけてしまった。それは金桜堂書店の「パンテオン叢書」の一冊で、ゴオリキイ作、松本苦味訳『どん底』である。

しかしこれは初めて見るものではなく、本連載203などでふれてきた硨島亘の『ロシア文学翻訳者列伝』(東洋書店)のカバー表紙の写真に掲載されている一冊だった。ところがそれにもかかわらず、同書では「ロシア文学翻訳年表」の大正三年のところに挙げられているだけで、翻訳者と叢書に関しては何の言及もなされていなかった。

ロシア文学翻訳者列伝

それは紅野敏郎の『大正期の文芸叢書』(雄松堂出版)における「パンテオン叢書」に関する「これまで適確にとりあげ、位置づけたものはなかったのではないだろうか。いわば放擲に近い存在であった」という指摘と通底しているのだろう。その理由として、金桜堂とその発行者たる内藤加我、翻訳のみならず監輯を担っている松本苦味について、よくわからないことも挙げられている。とはいえ、松本は『日本近代文学大事典』に立項されているので、それを引いてみる。

大正期の文芸叢書 日本近代文学大事典

 松本苦味 まつもとくみ 明治二三・七・?〜?(1890〜?)劇作家、翻訳家。東京京橋生れ。本名圭亮。国民英学舎、東京外語(現・東京外語)露語専修科に学ぶ。明治末期から大正初期にかけて貧しい底辺の人たちを描いた戯曲を発表したが、それ以後は名訳といわれるツルゲーネフの『春の水』(大七・一二文正堂書店)、ゴーリキー『どん底』(大三・一〇金桜堂書店)などロシア文学の翻訳(中略)がある。関東大震災以後消息不明。

このように翻訳はわかるにしても、戯曲は不明であることを反映してか、『演劇百科大事典』(平凡社)において、松本は立項されていない。

さて出版社の金桜堂のほうだが、東京書籍商組合編『東京書籍商伝記集覧』(復刻青裳堂書店)によれば、内藤加我は山梨の出身の絵双紙屋で、明治十六年に金桜堂を創業とある。つまり内藤と金桜堂は近代出版業界へ至る過渡期にスタートしたゆえに、出版社、取次、書店(絵双紙屋)を兼ねていたと考えられる。以前にもふれているが、明治十九年に鶴声社から刊行された、山陽亭芸生の『真書太閤記』第四集の巻末には、「府下大売捌」として、金松堂(辻岡文助)、兎屋(望月誠)、春陽堂(和田篤太郎)、明三閣(覚張栄三郎)、金泉堂(鈴木金次郎)、文苑閣(鈴木喜右衛門)、柳心堂(山中喜太郎)と並んで、金桜堂(内藤加我)も見られる。

これらの事実からすると、明治二十年の博文館の創業に始まる出版社・取次・書店という近代出版流通システムが立ち上がる以前に、金桜堂と内藤は、生産、流通、販売兼業の近世出版流通システムを出自とし、明治後半から大正時代までサバイバルしてきたことになる。そしてどのような経緯と事情があってかはわからないが、本連載205などで既述してきたように、大正時代という新たなる演劇の勃興を迎え、内藤は松本と出会い、「パンテオン叢書」を刊行するに至ったのではないだろうか。

この松本苦味監輯「パンテオン叢書」は、『どん底』が出された大正三年十月時点で、同じく松本訳、チェーホフ『農夫』、昇曙夢訳、ソログーブ『死の勝利』、秋田雨雀訳、メエテルリンク『アグラベーヌとセリセツト』が既刊となっていて、『農夫』は三刷、『死の勝利』と『どん底』は再版とある。そして「逐次刊行」書目として、森鷗外訳、フェルハーレン『僧院』、佐藤春夫訳、フランス『エピキユーラスの庭』、相馬御風訳、ポー『詩集』を始めとする十四編が掲載されているが、これらは出版に至らなかったようだ。

紅野の調査によれば、「パンテオン叢書」は大正四年の昇曙夢訳、ザイツエーフ『静かな曙』の七編までは判明しているが、前出の第八編の松本訳、ツルゲーネフ『春の水』は文正堂書店版しか確認できなかったという。おそらく金桜堂は新たなる戯曲の翻訳シリーズの菊半截判フランス装「パンテオン叢書」を創刊し、当初は版を重ね好評であったにしても、巻を追うごとに売れなくなり、「叢書」から撤退してしまったのではないだろうか。全身が絵双紙屋であることを考えても、流通、販売がスムーズにいったとは思えない。それゆえに訳了していた『春の水』が数年のブランクを経て、文正堂から刊行されたように思われる。

さてもう一度松本苦味に戻ると、『どん底』に添えられたキャッチコピーは「江戸ツ子の訳者、今この名編を露文より訳す。真に理想的の名訳!!」とあり、その奥付には本所区松井町の松本の住所が記されている。「江戸ツ子の訳者」の訳は、中村白葉訳『どん底』(岩波文庫)などと比べると、確かに歯切れのいい訳に仕上がっているので、それを示すために、冒頭の肉入饅頭、これはピロシキのことであろう、売りの女クワーシニヤのセリフを挙げてみよう。

どん底

 クワーシニヤ。厭だねえこの人は。そんなことならもうあつちへお出でよ。わたしはね、もう散々叩いて来たんだよ…だから他人(ひと)が焼いた蝦を百匹上げるつたつて、誰が嫁になんぞ行くもんか!

しかしこのような松本訳は、もはや「パンテオン叢書」でしか見ることができないのではないだろうか。円本の第一書房の『近代劇全集』第三十三巻所収の『どん底』は昇曙夢訳だし、実際の上演では小山内薫訳『夜の宿』が大正から昭和にかけても主流とされてきたからだ。

昭和に入って松本の痕跡や消息が途絶えてしまったのは、やはり関東大震災によって行方不明になったことが原因だと考えるしかない。しかし翻訳者、編集者として、紅野も記しているように、松本苦味は興味深く、さらに調べる必要があると思われる。

なお小川菊松の『出版興亡五十年』によれば、金桜堂は日本橋通り三丁目で書店も兼ね、矢田挿雲の『江戸から東京へ』を出し、大正時代のベストセラーになったという。
出版興亡五十年

中公文庫の『江戸から東京へ』を確認してみると、朝倉治彦の解説によって、金桜堂が後に東光閣と改名し、同書もそのまま出されていたことを教えられた。
江戸から東京へ

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