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古本夜話261 坂東恭吾と帝国図書普及会

さて遅ればせになってしまったが、やはり特価本業界のヒーローとでもいうべき坂東恭吾と帝国図書普及会についても、ここで一編書いておいたほうがいいだろう。

この出版業界の寅さんと称していい坂東は『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』においても、個人の写真が三枚も掲載され、その異例な扱いは、彼が長きにわたって、特価本業界の立役者だったことを示していると思われる。彼は「バンちゃん」と呼ばれ、親しまれていたようだ。そのうちの一枚の下に、次のような説明がある。

 坂東恭吾が「小さいころ本が読みたくても貧乏で読めなかった」という思いが、月おくれ雑誌の販売、帝国図書普及会の設立と同会による円本や辞典の展示特価販売や通信販売となり、坂東の歩んだ波乱の人生ともなる。

その坂東の本にまつわる「波乱の人生」は、尾崎秀樹・宗武朝子編『日本の書店百年』(青英舎)所収の坂東へのインタビュー「三冊で一〇銭! ポンポン蒸気の中で本を売る」に詳しい。これは無類に面白い、通常の取次や書店ルートと異なる出版物の流通販売史であり、特価本業界のオーラルヒストリーでもあるので、ぜひ読んでほしいと思う。

私も以前に「特価本書店・帝国図書普及会」(『書店の近代』所収、平凡社新書)を書き、坂東に言及しているが、今回は帝国図書普及会の円本特価販売ではなく、出版のことを取り上げてみたい。それに本連載223で帝国実業学会、同253で国民教育普及会などの造り本出版社にふれているけれども、両者も人脈的にいって坂東、及び帝国図書普及会と交差しているはずだからだ。
書店の近代

帝国図書普及会は満州での特価本販売を目的として、昭和六年に坂東、檜村音次郎、磯山盛雄によって組織され、七年以後は台湾、九州、北海道、樺太と販売行脚を重ね、九年には有楽町のビルに本部を設け、『三十年の歩み』に収録されているように、全国紙の一面に新聞広告をうち、通信販売も行なっている。

これらのことはかなりよく知られているが、帝国図書普及会が出版にも携わっていた事実は、これまで伝えられてこなかったのではないだろうか。その一冊が手元にあり、それは『図解建築と家相』である。昭和七年三月増訂改版、菊判箱入三百四十ページ、定価二円二〇銭で、発行者を坂東恭吾として刊行されている。しかし同書の箱にも本体にも扉にも著者名の記載はなく、それはようやく奥付に見つかる。しかもそれは二人で、毛利正人、平野日宗とある。

その理由をこの本の構成から探ってみると、『図解建築と家相』はタイトル通り、「建築」と「家相」の二部から構成され、前者が毛利、後者が平野の手になるもので、おそらくまったく別の本が合本化され、一冊になったものだと推測できる。それは「序」に「本書は地相、家相を詳述し、其の他九星の原理等あらゆる吉凶を調べ、住宅を趣味の立場から研究」と述べられていることからも判断される。「家相」が百ページ、「建築」が二百四十ページの構成だが、両者はつながっておらず、明らかに造り本である。平野が書いたと思われる初版の「序」は昭和六年、帝国図書普及会版は七年刊行となっているから、平野の家相の本の紙型が帝国図書普及会に流れ、それに関東大震災後に出版された多くの建築書の一冊が組み合わされ、「増訂改版」が出されたことになるのだろう。この例はそうしたプロセスを経て、造り本が送り出されていくことを教えてくれる。

さてそれ以上に興味深いのは、前述した特価本や造り本の人脈の交差である。実は奥付に記された帝国図書普及会と発行者の坂東の住所が、神田区表神保町一番地と記されていることに注目してしまう。なぜならば、本連載218227でふれた今田澄の三星社、同250のやはり甲子出版社と同じ住所であるからだ。しかも三星社の出版物は簗瀬富次郎の東光社と三陽堂からも出されていた。

この二人の本と出版社をめぐる関係から想像すると、『三十年の歩み』に近田と簗瀬については言及されておらず、プロフィルも描かれていないけれど、大正時代から昭和初期にかけて、特価本業界の重要な位置にあったと思われる。しかしこちらも出版社と同様に浮き沈みも激しいのか、同書に近田は、これも本連載243の平凡社の『世界美術全集』を一冊十一銭で十万部引き取った人物、簗瀬は大京堂の神谷泰治が修業した九段の簗瀬三陽堂として、かろうじて出てくるだけで、昭和九年の「全国見切本数物卸商一覧」にも彼らの名前は見えなくなっている。坂東によれば、簗瀬は帝国図書普及会設立の際のスポンサーだったはずなのに。だがその坂東の帝国図書普及会も大阪の倉庫にあった在庫が台風ですべて海中に帰し、消滅してしまうのである。

これらの事実から考えると、坂東と帝国図書普及会は近田の営んでいた特価本の卸と取次、三星社や甲子出版社などの出版業の跡を引き継いでいたのだろう。そうして刊行された一冊が『図解建築と家相』ということになる。

坂東は帝国図書普及会の消滅後、特価本業界の近傍に常にいた木村小舟が構想した雑誌『興国少年』(後に『皇国日本』)に取り組み、今度は雑誌刊行に挑んでいき、それにも七年間携わることになるのだが、まだその雑誌を見ることができず、坂東のもうひとつの物語については描けないままに現在に至っている。

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