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混住社会論6 大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)

万延元年のフットボール


日本の戦後社会の大文字のストーリーは民主主義、文化国家のスローガンに始まり、それは高度成長期へとシフトしていった。しかしそのかたわらにあったのは敗戦と占領、それらに起因するアメリカ人たちとの混住、そして彼らによってもたらされた、世界に例を見ない急速な消費社会への移行だった。

これは繰り返し書いていることだが、一九九〇年代に経済学者の佐貫利雄の『成長する都市衰退する都市』時事通信社)に収録された「日・米就業構造の長期的変動」の図表を見ていて、アメリカの五〇年代と日本の八〇年代の産業構造がまったく重なり合うことに気づいた。それは第三次産業就業人口が50%を超える消費社会化を意味し、アメリカによる日本の占領とは、消費社会による農耕社会の征服だったことを告知していた。八〇年代の日本は全国的なロードサイドビジネスの展開と増殖によって、風景が変わってしまい、アメリカ的郊外消費社会が出現し、また東京ディズニーランドも開園し、真の意味での占領が完成した時代でもあった。すなわちそれが日本の戦後社会の無意識的な命題ではなかったかという考えに至り着いた時、私は感慨を禁じ得なかった。
成長する都市衰退する都市

そしてあらためてひとりの作家が五〇年年代から六〇年代にかけて、先駆的に戦争と農村、敗戦と占領、混住と消費社会を一貫して描いてきたことを想起した。それは作家の意図がどうであれ、優れた小説は社会科学書以上に、否応なく時代の現在とその行方を深く幻視してしまうという思いでもあった。その作家とはいうまでもなく大江健三郎であり、作品は『万延元年のフットボール』に他ならない。これは前回『飼育』と主人公兄弟や舞台を同じくするもので、その続編、後日譚としても読めるのではないだろうか。『飼育』が戦争中の「村」における黒人兵との混住を描いていることに対し、『万延元年のフットボール』は敗戦、村、アメリカ、消費社会が主たる物語コードを形成し、前消費社会の到来の揺らめきを伝えようとしているようにも思える。
死者の奢り・飼育 万延元年のフットボール

それは『万延元年のフットボール』が大江文学のひとつの集大成にして、新しい神話の創造だとされるにしても、「スーパーマーケット小説」、または郊外消費社会前史を彷彿させる作品にも相当しているからである。そうした意味において、この小説は多様な読み方を喚起する作品として在り続けているともいえよう。そのような視点から、『万延元年のフットボール』を読んでみよう。

この作品の1は「死者にみちびかれて」という章題で、「夜明けまえの暗闇に眼ざめながら、熱い『期待』の感覚をもとめて、辛い夢の気分の残っている意識を手さぐりする」と書き出されている。またしても「期待」だ。『飼育』の中でも、子供たちは敵兵の到着を待ち、「期待」で気も狂わんばかりだったし、「死者」とはあの黒人兵のイメージを引きずり、小学生の一団の石礫によって右眼の視力を失った主人公の「僕」=密三郎とは、鉈で左手をつぶされた「僕」の後身ではないだろうか。

物語としての『飼育』『万延元年のフットボール』の間には二十年以上の時間が流れている。それはまさに日本の戦後社会史を通貫していて、一九四五年の敗戦から六〇年安保を経て、後者の物語と書かれた時代を重ねるとすれば、六七年頃までが物語の歴史軸として設定されていることになる。それが高度成長期とパラレルであることはいうまでもないだろう。『飼育』からたどっていけば、二人の兄弟は谷間の村を出て上京し、大学に入り、兄の密三郎は野生動物資料の翻訳者、弟の鷹四は安保闘争に参加し、学生演劇団のメンバーとしてアメリカに渡った。兄はアルコール中毒の妻と知恵遅れの息子がいる。そして弟がアメリカから帰国するところから、物語が動き出す。

そこで兄弟は2のタイトルにある「一族再会」を果たすと同時に、お互いに新しい生活を始める必要性を伝え合う。兄はいう。「いうまでもなく、僕は新生活をはじめたい。しかし、僕の草の家がどこにあるかということが問題だ」。弟はそれに応えていう。「東京でやっているすべてのことを放棄して、おれと一緒に四国へ行かないか? それは新生活のはじめ方として悪くないよ」。兄弟の姓は根所なのだ。それに柳田民俗学の引用からして、『万延元年のフットボール』のテーマのひとつが、日本人のルーツ探求でもあることも暗示している。

弟の目論見は次のようなものだった。アメリカでスーパー・マーケット(以下引用以外はスーパーと略す)を視察にきた日本人旅行団の通訳をした。彼らの中に自分の姓に興味を示す人物がいて、それが四国のスーパーチェーンのオーナーで、谷間の村のある地方を支配する大金持だった。彼はわが一族の百年来の倉屋敷を買い、それを東京に移築し、郷土料理屋を作る計画でいる。

「おれたちから、あの古ぼけた木造の怪物を、厄介ばらいさせてくれる新興の地元資本家があらわれたわけなんだよ。(中略)解体される倉屋敷をおれたちも見届けに行くべきだと思うんだ。(中略)そのためにも、おれはアメリカから帰ってきたんだ」。

消費社会史からも実例を挙げれば、六二年にダイエーの中内㓛は、シカゴで開催された全米スーパーマーケット協会記念式典に視察を兼ねて参加している。ちなみにダイエーは同年に売上高百億円を超え、この訪米を機としてさらに発展し、七二年には日本一の売上高三千億円を達成し、デパートの三越を抜いた。紛れもなく『万延元年のフットボール』が書かれた六〇年代後半は、スーパーの時代だったのである。

ちなみに日本の消費社会史におけるモニュメンタルなスーパー論である中内の『わが安売り哲学』(日経新聞)が刊行されたのは六九年で、『万延元年のフットボール』と共時的に出されたことになる。

わが安売り哲学
そのスーパーの時代と、百年前の万延元年に根所一族がかかわった農民一揆もオーバーラップしてくる。しかし谷間には大女ジンや隠遁者ギーといった、兄弟にゆかりのある人々はまだ残っているにしても、一族はすでに離散していて、それらは謎に包まれている。だがここではそれらには言及しないで、「identity」を失い、「uprooted」と化した根所一族とは逆に発展し、時代の落とし子でもあったスーパーについての話だけをたどっていこう。

村にもスーパーが出現したことによって、日常生活が激変したとされ、それについては村の住職が語る。

 「村の商店は、一軒だけ酒屋兼雑貨屋のそれも酒屋の部分がつぶれないでいるのを除けば、谷間に進出して来たスーパー・マーケットの圧力で総崩れになったんだが、商店の連中はそれに対して自衛しなかったばかりか、いまはたいていの連中が、なんらかの形でスーパー・マーケットに借金をためていますよ。(中略)たった一軒のスーパー・マーケットが昔でいえば村ぐるみの逃散しかないようなところに、谷間の人間を追いこんでしまったんだなあ!」

この部分はスーパーに仮託して語られた、来るべき八〇年代から九〇年代にかけての、ロードサイドビジネスによる郊外消費社会の隆盛を迎え、急激に露出してきた旧来の商店街の没落を予見しているかのようだ。だが当時の六〇年代から七〇年代のスーパーの時代において、実際にはスーパーと商店街はまだ共存、混住していたし、「逃散」もまだメタファーにとどまっていて、現在のような全面的な「逃散」状態に追いこまれてはいなかったことを付け加えておこう。

そして5の章に至って、「スーパー・マーケットの天皇」というタイトルが掲げられ、谷間の醸造家の酒倉が買収され、スーパーとなり、そこに「3S2D」と縫い取られた旗が風にはためいている場面が出てくる。それはスーパーの天皇がアメリカで学んできたシステムを意味する「SELF SERVICE DISCOUNT DYNAMIC STORE」の略語で、特売日の旗だった。「特売日には、森ぞいの部落からはもとより、隣村からもバスで川沿いの道をさかのぼって買物客があるというわ」。農耕社会だった谷間の一帯がスーパーの出現によって、「町」のように、つまり消費社会化したことが語られている。そのことによって生じた変化への言及もなされ、それはゾラの消費社会小説の嚆矢『ボヌール・デ・ダム百貨店』(伊藤桂子訳、論創社)に見られる一節のようだ。

ボヌール・デ・ダム百貨店

 すでに買物を終えた女たちも、入口と出口を隔てる広いガラス窓(中略)の前にたむろして引揚げようとしない。(中略)やがて買物のつまった紙袋をかかえたひとりの農婦が、インディオの女のように極彩色の毛布を肩から頭にかぶって出てくると、外にたむろしていた女たちの間を羨望の溜息のツムジ風が走り廻った。毛布をかぶった小柄な農婦は、彼女を囲んで猿臂を伸ばし毛布にさわりにくる女たちから擽られでもするかのように上気した高笑いをたてて身もだえしていた。谷間を永いあいだ離れていた僕の眼に彼女たちはみなこの集落の外からやってきた人人のように感じられるが、それは当然そうではないだろう。谷間の住人たち自体にこの種の風俗が現われたとみなければなるまい。

ここに農耕社会から消費社会への移行がくっきりと浮かび上がり、ゾラもまた消費への欲望によって、女性たちがドラスチックに変化していくさまを、同じように描いている。

さらに前出の住職は谷間の家々が餅をつかなくなったと語る。それはスーパーで買うようになったからだ。「そういう風に谷間の生活の基本的単位が、ひとつずつ形をうしなって行くんだなあ」と。

そしてこのスーパーの「天皇」が帰化しているにしても、かつては在日朝鮮人で、谷間の森で強制労働させられ、戦後に村から彼らに払い下げられた土地を独占して買い上げ、それをベースにして、現在のスーパーの「天皇」の地位へと昇りつめたことが明かされていく。その「天皇」という呼び名は、谷間の人々の「底深い悪意」がこもっているとされるが、それは外部からもたらされてきた消費社会の象徴ともいえるスーパーに対するアンビヴァレンツなメタファーともなっているのだろう。もう少しふみこんで読めば、天皇制の出自と消費社会の位相をも照射していることにもなろう。密三郎はスーパーの天皇を見て、思うのだ。

 僕は進駐軍のジープが最初に谷間に入って来た日の光景を明瞭に思い出す。スーパー・マーケットの天皇の一行は、あの真夏の朝の穏やかに勝ち誇った異邦人たちに似ている。はじめて自分の眼で具体的に国家の敗北を確認したその朝も、谷間の大人たちはなかなか被占領に慣れることができなくて、異邦の兵士らを無視し自分たちの日々の作業を続けながらも、かれらの躰全体には「恥」が滲んでいた。ただ子供たちだけが新状況にすみやかに順応してジープについて走り、ハロー、ハロー、と国民学校で即席の教育を受けた喚声をあげて罐詰や菓子をあたえられた。

イメージは重層的に絡み合っている。ここではスーパーも天皇も、敗戦と占領、GHQとマッカーサーのダミーだったことになろう。そのスーパーに向けて、10の「創造力の暴動」とでもいえる、鷹四によるスーパーへの一揆が仕掛けられていくのだが、物語としてのスーパーのアウトラインはたどってきたし、もうすでに長くなりすぎているので、ここで止めることにする。その他の、物語に張りめぐらされた多くのファクター、登場人物たちの行方とスーパーについての結末に関しては、ぜひとも『万延元年のフットボール』を読まれたい。すでに書かれてから半世紀近くが経っているけれども、まだすべての謎は解かれていないように思われる。「第二の敗戦」の今こそ、読まれなければならない作品とも考えられるからだ。


次回へ続く。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1