出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

出版状況クロニクル59(2013年3月1日〜3月31日)

出版状況クロニクル59(2013年3月1日〜3月31日)

アダム・スミス『国富論』第一編において、次のようなことを述べている。

国富論

労働生産力を向上させた機械の発明や改善は哲学者、もしくは思索家によってなされたのであり、社会の進歩につれて、哲学や思索は他のすべての仕事と同じように、市民の特定階級の主要で欠かせない生業となり、職業にもなったと。ただ第二編において、すべての種類の文士は最もとるに足らぬ職業に分類していたけれども。

このようなスミスの見解を日本の現在の危機の中にある出版業界に置いてみると、社会は進歩しているどころか、むしろ後退しているかのように見えるし、またJPOに対する経産省の介入にしても、スミスであれば、自由主義の立場から反対することは明白である。

大学に職を得ている所謂哲学者と思索家、一部の文士を除き、それらはもはや生業でも職業でもない時代を迎えようとしている。

だがそれが、スミスが第四編でいう「見えざる手」によるものでないことだけは はっきりしている。ここではことさらその原因明細を挙げないが、本クロニクルの読者であれば、それはもはや自明のことであろう。


1.出版科学研究所による2012年の雑誌推定販売金額は9385億円、前年比4.7%減と15年連続マイナスとなっている。97年からの月刊誌、週刊誌の内訳を含めた推移を示す。

■雑誌推定販売金額(単位:億円)
雑誌前年比月刊誌前年比週刊誌前年比
199715,6440.1%11,6990.13,9450.1%
199815,315▲2.1%11,415▲2.4%3,900▲1.1%
199914,672▲4.2%10,965▲3.9%3,707▲5.0%
200014,261▲2.8%10,736▲2.1%3,524▲4.9%
200113,794▲3.3%10,375▲3.4%3,419▲3.0%
200213,616▲1.3%10,194▲1.7%3,4220.1%
200313,222▲2.9%9,984▲2.1%3,239▲5.3%
200412,998▲1.7%9,919▲0.6%3,079▲4.9%
200512,767▲1.8%9,905▲0.1%2,862▲7.1%
200612,200▲4.4%9,523▲3.9%2,677▲6.5%
200711,827▲3.1%9,130▲4.1%2,6980.8%
200811,299▲4.5%8,722▲4.5%2,577▲4.5%
200910,864▲3.9%8,455▲3.2%2,419▲6.1%
201010,536▲3.0%8,242▲2.4%2,293▲5.2%
20119,844▲6.6%7,729▲6.2%2,115▲7.8%
20129,385▲4.7%7,374▲4.6%2,012▲4.9%

[97年には1兆5644億円であったから、この間の定価値上げも考えれば、雑誌売上は半分になったとも見なせるであろう。

しかも繰り返し書いているように、これが下げ止まりではなく、さらに落ちこんでいくことは確実で、底が見えずに進行している。ちなみに13年1月は前年比6%減、2月は同7.3%減。

書籍と変わらない雑誌の異常な高返品率については、前回既述しておいたが、12年の創刊点数は過去最低の98点で、これは1965年以来とされるし、雑誌をめぐる環境は月を追うごとに、かつてない危機状況を露呈させていくだろう]

2.1の雑誌のうちの月刊誌にはコミックも含まれているので、コミックス、コミック誌と分けて、推移を追ってみる。12年の推定販売金額は3766億円で、前年比3.5%減。

















■コミックス・コミック誌の推定販売金額 (単位:億円)
コミックス前年比コミック誌前年比コミックス
コミック誌合計
前年比出版総売上に
占めるコミックの
シェア(%)
19972,421▲4.5%3,279▲1.0%5,700▲2.5%21.6%
19982,4732.1%3,207▲2.2%5,680▲0.4%22.3%
19992,302▲7.0%3,041▲5.2%5,343▲5.9%21.8%
20002,3723.0%2,861▲5.9%5,233▲2.1%21.8%
20012,4804.6%2,837▲0.8%5,3171.6%22.9%
20022,4820.1%2,748▲3.1%5,230▲1.6%22.6%
20032,5492.7%2,611▲5.0%5,160▲1.3%23.2%
20042,498▲2.0%2,549▲2.4%5,047▲2.2%22.5%
20052,6024.2%2,421▲5.0%5,023▲0.5%22.8%
20062,533▲2.7%2,277▲5.9%4,810▲4.2%22.4%
20072,495▲1.5%2,204▲3.2%4,699▲2.3%22.5%
20082,372▲4.9%2,111▲4.2%4,483▲4.6%22.2%
20092,274▲4.1%1,913▲9.4%4,187▲6.6%21.6%
20102,3151.8%1,776▲7.2%4,091▲2.3%21.8%
20112,253▲2.7%1,650▲7.1%3,903▲4.6%21.6%
20122,202▲2.3%1,564▲5.2%3,766▲3.5%21.6%

[15年に及ぶ雑誌売上のマイナスが、コミック誌販売金額とパラレルであり、こちらのほうはまさに半減しているし、コンビニやキヨスクの雑誌売上とも連動している。

それに対しコミックスは健闘しているといえるのではないだろうか。これまでも指摘してきたが、ブックオフを始めとする循環市場、TSUTAYAやゲオなどのレンタル市場、11年までの『ワンピース』の爆発的ヒットの反動を考慮すれば、コミックスは落ちこんでいないと判断できる。しかも返品率はコミックス誌37.6%に対して、コミックスは28.1%である。

コミックスシェアにしても、97年は9.2%だったが、12年は12.7%と上昇しているし、文庫本市場が1326億円であるから、危機に追いやられている出版業界において、良きにつけ悪しきにつけ、コミックスが大きな支えになっていることがわかるだろう]
「ワンピース」69巻

3.講談社の決算が発表された。13年度売上高は1178億円で、前期比3.3%減、当期純利益は15億円。2000年からの業績推移を示す。

講談社決算の推移(単位:百万円)
年度総売上高前年比雑誌前年比書籍前年比当期利益前年比
2000189,384▲4.0%123,961▲5.8%38,7133.9%2,041▲47.2%
2001179,784▲5.1%116,937▲5.7%35,495▲8.3%3,17755.7%
2002176,928▲1.6%120,5283.1%28,971▲18.4%776▲75.6%
2003171,287▲3.2%114,929▲4.6%29,1640.7%▲16
2004167,212▲2.4%111,783▲2.7%28,504▲2.3%1,416
2005159,827▲4.4%104,947▲6.1%28,9891.7%▲73
2006154,572▲3.3%99,685▲5.0%28,658▲1.1%5,215
2007145,570▲5.8%90,830▲8.9%29,9504.5%1,539▲70.5%
2008144,301▲0.9%88,552▲2.5%31,5515.3%1,058▲31.3%
2009135,058▲6.4%83,003▲6.3%29,064▲7.9%▲7,686
2010124,522▲7.8%78,771▲5.1%27,685▲4.7%▲5,722
2011122,340▲1.8%78,757▲0.0%26,602▲3.9%561▲109.8%
2012121,929▲0.3%74,834▲5.0%27,9265.0164▲70.8%
2013117,871▲3.3%72,183▲3.5%24,681▲11.6%1,550845.1%

[不動産売却益などで当期利益は出しているが、実質的に赤字とみなしてかまわないだろう。

講談社でも売上高と雑誌の落ちこみはパラレルになっていて、こちらも下げ止まる気配はない。97年に雑誌売上は1350億円、総売上は2030億円あったわけだが、ここでも両者とも半減しているといっていい。ここでは挙げていないが、広告収入のマイナスはさらに激しく、01年に239億円だったのが、13年には85億円と3分の1近くに減っている。

講談社に代表される大手出版社はマス雑誌を中心として、それに書籍の大型企画を配置し、これもマス出版の文庫、コミックも併走させ、日本的出版のビジネスモデルを確立してきた。それに見合って構築されたのが、取次の流通システムであり、書店の販売体制に他ならなかった。だがそのビジネスモデルがもはや通用しなくなっていることを、この講談社の業績推移はあからさまに示しているといえよう]

4.札幌のリーブルなにわが閉店。跡地には文教堂のアニメなどのセレクトショップが出店予定。

5.京都のパルナ書房が自己廃業。

6.明屋五反田店が閉店。

7.トップカルチャーが日本最大の3000坪の蔦屋書店仙台泉店を開店。

8.大垣書店神戸市中央区に650坪で兵庫県に初出店。

9.大阪屋の子会社が丸の内に本、雑貨、文具、カフェの複合店のマルノウチリーディングスタイルを出店。

からは書店の主な出店、閉店状況である。
前回のクロニクルで、1月の出店がゼロで、閉店が97店、1万坪近い減床をレポートしておいたが、まだこれからも閉店は続いていくと考えられる。それらの閉店面積を新規店がカバーすることは難しく、毎月減床を重ねていくだろう。そうして書店のある風景がまたしても次々と消えていくのだ。

福嶋聡がブログ「本屋とコンピュータ」124で、1月に閉店したジュンク堂京都BAL店にふれ、「本の街」四条河原町の変貌について書いている。かつては多くの書店がそれぞれの特色を出し、共存し、その世界は懐が深かった。

「京都丸善があった。駸々堂京玉店があった。オーム社が、京都書院があった。小さいがその性格が明確だった、共産党系のミレー書房、そして山の本で有名だったその名は何故か海南堂という店もあった。萬字堂、そろばん屋・・・。」

ジュンク堂が京都に出店したのは1988年で、今世紀に入って、その「本の街」も大きく様変わりしてしまった。

「大小を問わず書店の多くが閉店した。駸々堂は倒産し、京宝店のあとにはブックファーストが入ったがやがてビル建て替えのため撤退、京都丸善は、何とカラオケ屋になってしまった。結果的に、界隈の大型店としては、四条富小路の京都店とBAL店のジュンク堂2店が残った。『ライバルがいなくなって万々歳!』などとは、とんでもない。2店合わせても、かつて書店でにぎわっていた90年代の京都店1店の売上に届かなくなる。書店が消えていくのに、比例して、四条河原町を訪れる読者も減っていってしまったのだ。」

それでもジュンク堂のように、BAL店の代替店として2月に、近くの朝日会館店を出し、読者のアマゾンへの移動を食い止める試みを実行できるところは幸いである。4、5、6のいずれの書店も長きにわたって営業を続けてきたわけだから、各店ならではの多くの読者がいたにちがいない。しかしそのかなりの部分がアマゾンへと流れてしまうのではないだろうか。

それらはともかく、京都に関連して記しておけば、奢㶚都館の廃業=一般流通からの撤退が三月書房販売速報115に報告されている。これも四条河原町の変貌と無縁ではないと思われる]

10.これはイレギュラーなので、別項としたが、佐賀県武雄市立図書館の中に、蔦屋が90坪の書店を開店。

[CCCが同図書館の指定管理者として民間委託で運営することに関しては様々に論議されているが、書店は90坪で、代官山店のコンセプトとノウハウを導入し、図書館と融合させた店舗と伝えられている。

この書店併設と貸出におけるTカードのポイント付与などについて、書協が市長に「質問書」を送付したが、市長は「何ら問題はない」と回答。

本クロニクル52で、図書館の委託に関してはCCCのお手並み拝見といった意見を述べておいた。しかし書店を設置することは少し安易すぎないだろうか。複合店のセルとレンタルの組み合わせから発想され、MPDによる優遇開店条件によって出店の運びとなるのであろう。しかし図書館と書店が共存することはどう考えても無理で、実験的試みということであれば、CCCにしても市長にしても、それなりの説明責任があってしかるべきだろう。

代官山店をモデルとする図書館運営方針もミスマッチだし、Tカード導入にしても書店設置にしても、迷走だと見なすしかない。あまりにも早く馬脚が露われ、お手並みどころか、後始末をどうするのかに関心が向かってしまう次第だ]

11.10で図書館のことにふれたので、図書館建築プロジェクト小説ともよぶことができる小説を紹介しておきたい。それは松家仁之の『火山のふもとで』である。

火山のふもとで

[遅ればせだが、息子から昨年の収穫として勧められていた一冊で、ライトに師事した建築家が国立現代図書館を設計するストーリーを中心として進行していく、深い奥行と時間のスパンの双方を備えた作品に仕上がっていて、久しぶりに端正な小説を読んだという気持ちにさせられる。
ここでは図書館に関する建築家の発言を引いてみよう。

「本をテーマにそって並べるというのは、きちんと考えてもらう価値があるね。これまでの図書館というのは、本選びを利用者に委ねる受け身のシステムだったわけだ。(中略)しかし、これだけ膨大な本が刊行されている時代に、一九世紀の図書館と同じ考え方でやっていても、死蔵される本が増えていくばかりだ。利用者になるほどと思われるような新しい提案が必要だろう。ただこういう提案は、言葉による説明だけで納得させるのは難儀だよ。建物のデザインそのもので有機的に説明できないと」

次は主人公の発言である。小学校の図書館がひとりでいることができる場所だったことをふまえて語っている。

「ひとりでいられる自由というのは、これはゆるがせにできない大切なものだね。子どもにとっても同じことだ。本を読んでいるあいだは、ふだん属する社会や家族から離れて、本の世界に迎えられる。だから本をよむのは、孤独であって孤独でないんだ。子どもがそのことを自分で発見できたら、生きていくためのひとつのよりどころになるだろう。読書というのは、教会にも似たところがあるんじゃないかね。ひとりで出かけていって、そのまま受けいれられる場所だと考えれば」

とりわけ後者の発言は、図書館のひとつの意味を語って見事なものであり、CCCの書店設置がいかにミスマッチかわかるだろう。

この二つの発言だけでも『火山のふもとで』が優れた小説であることが伝わってくるはずだ。モデル探しも楽しめるので、読んでいただければとてもうれしい。

今月はもう一冊、建築に関する好著を読んだので、こちらも挙げておく。それは田中純の『冥府の建築家ジルベール・クラヴェル伝』(みすず書房)で、作家にして南イタリアのフォルニッロという洞窟住居の建築家の評伝である。これはアカデミズム内の著作ではあるが、両者の著書や訳書が引用されているように、澁澤龍彦や種村季弘の影響なくしては成立しなかったように思える。ここでも『薔薇十字社とその軌跡』の水脈が流れていると考えられる。

冥府の建築家ジルベール・クラヴェル伝 薔薇十字社とその軌跡

12.たまたま2のコミックに関連して、『ユリイカ』(3月臨時増刊号)が総特集「世界マンガ大系」を組んでいる。

ユリイカ
[これまで外国における日本のコミックはプロパガンダ的に「クール・ジャパン」の一環として語られてきた。しかし本クロニクル45などでも既述してきたように、それが虚妄的幻想にして、でっち上げであることも指摘してきた。

その事実の一端はこの特集の関口涼子「マンガ翻訳者という職業」でも報告されている。確かに04年頃、フランスでも儲かるとされ、マンガ翻訳のバブル期を迎えたが、現在では日本のマンガは安値安定といったところで、出版部数は平均3000部、4000部に達すれば成功、小出版社の場合は1500部、実質は1000部以下ということもあり、文芸作品と同等のジャンル、もしくはそれよりも少ない発行部数になっているようだ。

その代わりにグラフィックノベルとして受容され、ファン層も形成されていることが座談会などから伝わってくる。それは日本においてマンガが週刊誌による膨大な量として普及していったことに比べ、フランスなどにおいてはあくまでクオリティに従って伝播していることを物語っているのだろう。

座談会に登場している大友克洋、浦沢直樹、それからフランスで人気が高い谷口ジローのことを考えると、グラフィックノベルとして受け入れられている理由がわかるように思われる。

12年は多くの秀作が生まれたと見なされるが、それらの真造圭伍
『ぼくらのフンカ祭』(小学館)、穂積『式の前日』(同前)、九井諒子『竜のかわいい七つの子』(エンターブレイン)などもグラフィックノベルのようにも読める。日本のコミックも様々な意味において、過渡期に至っているのではないだろうか。

なお私も本ブログで[ブルーコミックス論]を一年ほど連載していたので、よろしければ一読されたい]

ぼくらのフンカ祭 式の前日 竜のかわいい七つの子

13.これも3に関連することだが、月末になって講談社の『Grazia』『GLAMOROUS』の休刊が発表された。前者は96年創刊の「30代ミセスのライフスタイル提案誌」、後者は05年創刊の「大人のカジュアルファッション誌」である。

Grazia Grazia

で講談社の雑誌の凋落を見たばかりだが、その他の既存の女性誌4誌『with』『ViVi』『VoCE』『FRaU』の行方も気になるところだ。

本クロニクル58で、講談社だけではない雑誌の全体の返品率の推移を示し、それが12年にはかつてなかった書籍とほぼ変わらない37.6%に及んでいることを既述しておいた。もしこの雑誌返品率が40%を超えるような事態になれば、雑誌休刊はさらに続出すると予想される。

実際に13年1月には雑誌(月刊誌・週刊誌合計)返品率が40.6%、月刊誌返品率が43.2%に及んでおり、すでに危険水域に入っていると見なすこともできよう]

with ViVi VoCE FRaU

14.丸善CHIホールディングスの小城武彦社長が退任し、DNPの役員で会長の西村達也が社長に就任。

[丸善に関しては松丸本舗の失敗、及び第3期連結が売上高1722億円で、当期純利益4億円の減収増益の黒字決算が発表されているが、この流れの中に社長交代もあるのだろう。

結局のところ、DNPも小城も、丸善のコングロマリット化は実現できても、出版流通システムの改革はなされず、ジュンク堂、丸善、文教堂などのリアル書店やネット販売の「店舗・ネット販売事業」は相変わらず赤字のままで、売上高786億円、前期比6.1%減となっている]

15.角川GHDは連結子会社9社を吸収合併し、6月に商号を「株式会社KADOKAWA」に変更すると発表。

これによって角川書店、アスキー、メディアワークス、角川マガジンズ、メディアファクトリー、エンターブレイン、中経出版、富士見書房、角川学芸出版、角川プロダクションの連結子会社9社は解散する。

[KADOKAWAは出版、映像、版権、デジタルコンテンツ事業会社として、世界で通用するブランドをめざすとしているが、映像はともかくKADOKAWAの出版が世界で通用するコンテンツとなることは可能なのだろうか。

本クロニクル58で、角川GHDの角川歴彦会長の電子書籍ビジョンや〈クール革命〉に対する疑義、それらを担うクール・ジャパンの失墜にふれておいた。

かつて日本の家電業界は全盛を誇っていたが、現在はどこも苦境の中にある。それはトップが描いたビジョンが間違っていたことに起因している。まして出版は世界で通用する英語と異なり、あくまで日本語という制約はついて回るからだ]

16.山口昌男が亡くなった。

[どのような著者であれ、学者であれ、必ず陰険な側面の気配をうかがわせることがつきものだが、山口はそれを感じさせなかった。だからこそ、トリックスターとして「悦ばしき知識」を実践したことになるのかもしれない。彼には拙著を書評してもらったこともあるし、山口のポートレートをあしらったその表紙カバーの原画は壁にかけてあり、亡くなった今でも、ポーやヴェルヌやボルヘスたちと図書館に並んでいる姿をすぐに目にすることができる。

図書館逍遥
しかし山口の死に際しても、出版状況がどうしても重なってくる。私たちが読み、影響を受けてきた戦後の著者たちを考えてみると、埴谷雄高や澁澤龍彦は全集に間に合ったけれど、江藤淳にしても吉本隆明にしも、もはや全集は出されないだろうし、それは山口も同様のように思われる。それはひとえに出版危機によっているし、文学全集のみならず、個人全集時代が終わったことを告げている。もちろん予想が外れてくれれば、何よりであるが]

17.元筑摩書房の菊地史彦が『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー)を刊行した。敗戦から3・11までを、〈社会意識〉の変容をたどって論じた一冊。

「幸せ」の戦後史
[本ブログ「混住社会論」16で、同書の長い書評を掲載する予定なので、ここではそこで言及できなかった、菊地の筑摩書房の倒産体験にふれてみる。

筑摩書房は78年に会社更生法を申請して、事実上倒産する。それは彼が入社して二年後のことだった。

「ここで、私は大きな勘違いに気づく。それまで、経営者とは、世の中の動向も商売のコツも十分にわきまえたオトナであると思い込んでいたが、倒産後に聞かされた話から、彼らがそれほど賢明でも鋭敏でも強靭でもなかったことを知って、私の幼い先入観は消えた。実は多くの年長の同僚たちも、多かれ少なかれ私と同様の子どもっぽい会社観に泥(なず)んでいた。先輩社員が旧経営陣を批判する言葉が、じつは素朴な庇護期待の裏返しであることは容易に察知できた。」

この菊地の感慨を引いたのは、私がこの十年間出版業界の全体に対して抱いている思いとまったく たがわないからである。

筑摩書房の倒産は、日本の出版業界が抱えている再販委託制下における書籍出版の根本的脆弱さに基づいていて、それは同姓のもう一人の菊池明郎へのインタビュー『営業と経営から見た筑摩書房』に目を通した読者であれば、これらの事情がすぐに了解頂けるだろう。
営業と経営から見た筑摩書房
ただ菊地史彦は、その後の80年代の十年間、倒産によって活気が生まれ、風通しのよくなった編集部で働き、90年代に転職し、出版とは異なる「世間」を通過し、『「幸せ」の戦後史』を上梓するに至ったのだ。

なお「出版人に聞く」シリーズには、よく筑摩書房の営業の故田中達治の名前が出てくるが、彼が私にもらしていた将来の筑摩書房政権構想によれば、自分と菊地史彦、冨板敦(現フリー編集者)を中枢とするというものだった。ところが菊地も冨板も退社してしまい、田中のビジョンは潰え去ってしまったことになる。

それが田中の死を早めたとは思わないが、80年代のエピソードとして、ここに書きとめておくことにしよう]

18.「出版人に聞く」シリーズは『薔薇十字社とその軌跡』が好調に売れている。例によって書評はひとつも出ていないので、口コミやネットの影響に支えられていると考えられる。それが続き、何とかシリーズ初の重版ができますように。

〈11〉の古田一晴の『名古屋とちくさ正文館』は遅れているが、何とか連休前には出したい。また待望の人物へのインタビューを予告したが、近日何とか実現しそうなので、来月にはその名前とタイトルを公表できるのではないかと思う。


《最新刊》
薔薇十字社とその軌跡


《既刊の「出版人に聞く」シリーズ》

「今泉棚」とリブロの時代 盛岡さわや書店奮戦記 再販制/グーグル問題と流対協 リブロが本屋であったころ 本の世界に生きて50年 震災に負けない古書ふみくら 営業と経営から見た筑摩書房 貸本屋、古本屋、高野書店 書評紙と共に歩んだ五〇年