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古本夜話298 佐藤周一、牧書店、アリス館牧新社

福島の古書ふみくらの佐藤周一が亡くなった。まだ六十代半ばであり、早世というしかない。彼には「出版人に聞く」シリーズに、『震災に負けない古書ふみくら』論創社)として登場してもらった。しかもそれは胃癌の手術、東日本大震災原発事故というトリプル危機の中にあってだった。そこで追悼の意をこめて一編書いておくことにする。彼もまた特価本業界の流れと無縁ではないからだ。

震災に負けない古書ふみくら

その前に佐藤へのインタビューの中で、東日本大震災の直接的体験は別にして、最も印象に残っていることを記せば、昭和二十年代に生まれた私たちの世代の、本に対する特別な愛着、もしくは執着というのは何なのかという質問のところで、彼が「まあ、一言でいってしまえば、病気ですね。自分でも古本屋までやるようになったのも、病気だと思うしかないですね」と答えたことである。

これは私などがそこまでの考えに至らなかった、明快にして、まさに正鵠を得た答えであり、ひとつの謎が解けたようにも思われた。その「病気」の原因を突き止める課題が私に残されたのであるが、佐藤もそうした「病気」ゆえに、取次のバイトから始まり、TRCの前身の学校図書サービス、アリス館牧新社などを経て、古書ふみくらという「古本屋までやるようになった」といえよう。彼は一貫して本に携わる仕事から離れることがなく、現役のままでなくなったと考えられるので、絵ハガキの収集、研究、販売にみられるように、早世ではあっても、その人生は充実していたにちがいない。

さてここで書いておきたいのは、佐藤が在籍していたアリス館牧新社についてである。これはアリス館と牧書店が一緒になって設立された児童書出版社で、その後アリス館と社名変更になり、佐藤によれば、資本関係が変わったのではないかという。

実はこの牧書店が『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』の中に出てくる。昭和二十年にその前身の出版物卸商業組合が七十九名によって設立され、そこに「牧重治[牧書店]千代田区西神田二−一〇」とその名前が記されているし、牧は『出版人物事典』にも立項がある。
出版人物事典

 [牧義雄まき・よしお]一九一〇〜一九六九(明治四三〜昭和四四)牧書店創業者。長野県生れ。一九二八年(昭和三)須坂中学卒業後上京して、金井彰文館に勤務、営業部門で働く。四七年(昭和二二)独立、牧書店を創業(中略)。教育書・児童書・珠算問題集を中心に学校図書館向き指導書などの出版を続けた。(後略)

おそらく牧が勤めていた金井彰文館が特価本業界に属する出版社であり、牧書店も出版物から考え、その系譜上に成立したと見なしていいだろう。私が佐藤から聞いた牧書店のこととアリス館との合併事情を要約してみる。

牧書店の主要出版物は珠算練習帳で、これは消耗品であるから、繰り返し需要が生じるという、本としてはめずらしい商品に他ならず、書店よりもそろばん塾に営業をかけ、出版社としては機械的に増刷を重ね、利益率も高かった。しかしそのドル箱だった珠算練習帳もそろばん塾の衰退とともに翳りがさし始めた頃、課題図書選定の知らせが届いた。

わかりやすいたとえでいえば、課題図書は児童書の芥川、直木賞のようなもので、ベストセラー間違いなしの選定だとされる。しかも課題図書は買切で、返品もできない。ところがそれは建前で、現実的には返品を取らざるを得ない。これは児童書出版社であれば、自明のことだが、牧書店の営業態勢がそろばん塾一辺倒だったこともあり、それを理解していなかった。そのために取次と書店からの過剰な大量注文を満数刷ってしまい、大量返品をこうむり、たちまち倒産に追いこまれてしまったという。

昭和三十年代初頭に出された牧書店の児童書が二冊手元にある。一冊は成田忠久『川と生活』で、巻末広告を見ると、それが「図解による新日本地理」全15巻のうちの第7巻だとわかる。それには投げ込みチラシがはさまれ、毎日出版文化賞産経児童出版文化賞受賞の「学校図書館文庫」全50巻などが掲載され、当時の牧書店の児童書出版社の一端がうかがわれる。もう一冊は代表を坪田譲治が務める児童文学者協会の『児童文学入門』で、こちらはタイトルから想像できるように、その啓蒙的内容から、牧書店が戦後の児童文学運動を歩みをともにしてきた出版社であることも伝えている。しかしこのような児童書出版も、珠算練習帳の売れ行きに支えられていたことになる。

さて倒産した牧書店は名古屋の学参出版社である洛英社=アリス館に吸収され、アリス館牧新社となり、児童書出版社として再スタートする。佐藤はそこで、図書館などへの巡回販売、営業と編集を兼ね、四年間勤めるのである。

ここで最後にアリス館牧新社の出版物にふれておこう。後に岩波書店に版権が移った斎藤惇夫『冒険者たち』は劇として上演され、よく知られているが、私にとってのアリス館牧新社は翻訳物のイメージが強い。その中でもとりわけ、ジョン・ヴァーノン・ロードの『ジャイアントジャムサンド』安西徹雄訳)の印象が強く、子供たちが小さかった頃、よく読んでやり、喜ばれたものだった。それもあって、プレゼント用によく買い、小さな子供のいる家へのお土産にしたり、贈ったりした。そのような時代ははるかに過ぎ去り、あらためて考えると、それは一九八〇年代のことだったと思い出される。

冒険者たち ジャイアントジャムサンド

そして佐藤は亡くなってしまい、これらの証言も含んだ『震災に負けない古書ふみくら』が残されたことになる。

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