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古本夜話299 前田文進堂と鈴木重胤『和歌作語大辞典』

特価本業界の辞典について続けてみる。脇阪要太郎の『大阪出版六十年のあゆみ』の中に、出版物への言及はないけれど、前田文進堂とその主人梅吉の名前が出てくる。明治三十年代に立ち上がった出版社のようで、日露戦争の勇士で戦傷者、細君が店を守っていて、「細君も愛想よし。御自慢の骨董、どれもこれも掘り出し物という愛すべき人」なる評が見え、脇阪の同書の中でめずらしいほめ言葉なので、それが印象に残り、前田文進堂の名前を記憶することになった。

そのように評された前田の人柄が出版物に反映されているのかどうかはわからないけれど、前田文進堂も「造り本」と考えられる辞典を出していて、それは大正十四年発行の鈴木重胤の『和歌作語大辞典』である。私の所持する一冊は同十五年再版、定価二円五十銭とある。

その巻末広告を見ると、金子薫園『歌に入る道』、若山牧水『和歌講話』といった和歌、歌作書、参考書、俳句研究会編による子規、其角、芭蕉、蕪村、一茶などの「名句集」の「名家俳句叢書」が並び、この時代に前田文進堂が和歌や俳句に関する分野の出版を担っていたことがうかがわれる、もちろんそれだけでなかったと推測できるにしても。そうした出版傾向から、この『和歌作語大辞典』は刊行されたのであろう。

ところがこのタイトルは箱の背に置かれたもので、箱の表と本体の背、及び本扉には『今古(きんこ)和歌宇比麻奈飛』とあり、また奥付には『今古和歌うひまなひ』とひらがな表記になっている。これは鈴木重胤によって編まれた、春夏秋冬、及び恋に始まる様々なテーマをめぐって実例を挙げ、用語のバリエーションを示し、それに見合った和歌のアンソロジーとでもいった一冊と見なしていいだろう。

冒頭には序にあたる一文が弘化三年八月十日の日付で、平学重なる人物によって、この書はわが師橿屋大人=鈴木重胤が編んだ「歌よみ習はむ人々」のための一冊という意味のことが綴られている。すなわち江戸時代の出版物『今古和歌宇比麻奈飛』が、著作権の発生しない「造り本」=『和歌作語大辞典』として、ここに刊行されたことになる。

さてここで気になるのは鈴木重胤という未知の編者のことだが、幸いにして『増補改訂新潮日本文学辞典』『日本古典文学大辞典簡約版』(岩波書店)にも立項されているので、前者を引いてみる。

増補改訂新潮日本文学辞典 日本古典文学大辞典簡約版

 鈴木重胤 すずきしげたね 文化九−文久三・八・一五(一八一二−六三)江戸後期の国学者、姓は穂積、通称は雄三郎、のち勝左衛門。橿廻家(かしのや)と号した。淡路国の生れ。代々庄屋の家で、ことに和漢の書に通じた父重威の感化により、皇典を学ぶ機縁を得、独学でこれを大成させた。博覧強記、古典の注釈・考証に幾多の業績を残した。豪放、寡欲で、若いころから近畿、江戸に遊学し、諸士と広く交わった。始め平田篤胤の学風を慕い、これに師事しようとしたが、篤胤すでに没して果さなかった。のち感情的もつれから、篤胤の養子銕胤らと不和を生じ、かつ学風、思想も平田学派のそれとはかなり違ったものとなってきたこともからみ、江戸在住中に凶徒の手にかかって暗殺された。著述は、大著『日本書紀伝』(三〇巻)、『延喜式祝詞講義』(一五巻)(中略)『世継草』など(後略)。

なお最後の『世継草(よつぎぐさ)』は子孫繁栄草と同じ意味で、これは関東や東北における間引堕胎の風習を押しとどめるために、古道を解説して人心を教導する目的で書かれたものであり、『国学運動の思想』(『日本思想体系』51所収、岩波書店)に収録されている。

国学運動の思想
それはともかく、鈴木が国学者として暗殺されたということも異例であろうし、立項の引用からは省いてしまったが、彼は注釈、考証の方法において、アイヌや朝鮮の伝承を引くといった博引旁捜と独創的ひらめきがあったとされる。それが平田学派と抵触し、暗殺される回路をたどったのかもしれない。

ここで最初に戻るのだが、「どれもこれも掘出し物という愛すべき人」前田梅吉はこの鈴木重胤の『和歌作語大辞典』を「造り本」としてだけでなく、彼の再評価も含んで刊行したのかもしれないし、それが「愛すべき人」の出版にふさわしいようにも思える。ただ残念なのはこの一冊にそうした出版事情と、介在したはずの編集者の存在が見て取れないことである。

さらに調べてみると、昭和十二年に『鈴木重胤全集』全十三巻が刊行されている。これは鈴木重胤先生学徳顕揚会によるもので、もちろん未見であるにしても、東京で編まれたとは思えない。谷沢永一編『なにわ町人学者伝』(潮出版社)、中村真一郎『木村蒹葭堂のサロン』(新潮社)、テツオ・ナジタ『懐徳堂』(子安宣邦訳、岩波書店)が教えてくれるのは大阪の街頭のアカデミズムとでも称すべき、悦ばしき知の光景である。淡路国出身とされる鈴木重胤もこのような系譜に連なっていたと信じたいし、そうした大阪の地から鈴木重胤先生学徳顕揚会が立ち上げられ、全集が編まれ、刊行されるに至ったのではないだろうか。
なにわ町人学者伝  木村蒹葭堂のサロン  懐徳堂

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