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古本夜話308 田中宋栄堂と近藤元粋評訂『李太白詩集』

また続けて大阪の出版社のことにふれてきたので、田中宋栄堂=秋田屋宋栄堂を取り上げておきたい。この版元に関して、特価本業界とダイレクトな関係は見ていないけれど、本連載279で示したように、ずっと参照してきた『大阪出版六十年のあゆみ』の著者の脇坂要太郎が日本出版社を創業する前に勤務していた版元である。それに田中宋栄堂の漢文の和本を所持しているし、たまたま先日もその中等学校教科書と小さな辞書を目にしたところでもあるからだ。

その前になぜ田中宋栄堂が秋田屋宋栄堂と二重表記されるのか、そのことを説明しておこう。『日本出版百年史年表』所収の明治七年の「大阪府管下書林」に見られるように、秋田屋は河内屋と並んで、江戸時代の大阪書林仲間以来の一大勢力であった。その中のひとつが田中太右衛門の秋田屋宋栄堂で、この先代が死んで老舗の経営困難が重なった際に、賢夫人田中霜子刀自が長女と大塚卯三郎をめあわせ、立て直しを計り、大塚は「国文叢書」として池辺義象の『大鏡』などの新しい中等参考書を刊行し、明治三十年代初期には大阪出版業界の一流の列に復活させた。そして大塚は当代太右衛門を継ぐことになり、この流れの中に秋田屋宋栄堂から田中宋栄堂への移行があるのだろう。なおちなみに脇坂の言によれば、明治末期から大正にかけて田中霜子刀自と駸々堂の大淵なみ子は大阪出版業界の二大女傑だったという。
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この田中宋栄堂が復活した時代に関して、脇坂は『大阪出版六十年のあゆみ』で次のように述べている。これはその時代の大阪出版業界の簡略なチャートにもなっているので多少長くなるが、それを引いておこう。

 明治三十五、六年頃より四十年にかけて、大阪出版業界の活動期に入った感がある。そして前にのべた講談出版社のほか、各店が主たる出版物の傾向が判然としだした時期で、所謂出版業者の態勢ができ、組合組織の確立したのもこの時代である。
 この頃では、中村鐘美堂(ナショナルリーダー)、名倉昭文館(西洋占い=東京浅草版の販売)、駸々堂(時刻表、絵はがき、新小説)、秋田屋宋栄堂(習字分、玉篇、地図帖)、天善と此村欽典堂(お経本)、武田交盛館(玉篇、用文章)、千葉久栄堂(浄るり本、習字本)、石塚松雲堂(英和字典)、柳原書店、宝文館、盛文館などは東京版の取次問屋の形態をなし、矢部福音社(聖書)、積善館、鈴木修文館(中等教科書)、又間精華堂(通俗書=「医者の来る迄」はよく売れた)、日下わらじや(地図)、中でも特別大書すべきは、三木開成館の「大和田建樹、鉄道唱歌」で、全国津々浦々まで「汽笛一声新橋を……」の歌声で埋めつくしたヒット出版がある。

これに駸々堂と並ぶ文芸書の青木嵩山堂、及び「前にのべた講談出版社」も具体的に付け加えれば、岡本偉業館、博多成象堂、三宅英吉(同盟館)、中川玉成堂、柏原圭文堂、井上一書堂、岡本増進堂などで、主たる大阪の出版社をリストアップできたと思う。

近代出版業界の流れからいえば、明治二十年に創業した博文館によって、東京を中心とする出版社・取次・書店という近代出版流通システムが稼働していく中で、出版業界全体が成長する過程をたどっていくわけだが、大阪もその影響を受け、明治三十年代に東京と同じような活況を呈するに至ったと判断していいだろう。

それについて、「当時の大阪出版界の人々は、卑俗な出版、安易な出版を追って利ざとく動いたので、東京に対抗する文芸書出版社が誕生しなかった」と脇坂は自嘲的に書いているが、確かに東京では多くの文芸書出版社が立ち上がっていたけれど、大半が消えてしまい、存続したのはわずかだし、基本的に近代出版とは東京でも「卑俗な出版、安易な出版を追って利ざとく動いた」ことに変わりはないのである。

さて前置きが長くなってしまったけれど、田中宋栄堂が昭和六年に刊行した南州近藤元粋先生評訂『李太白詩集』を手にすると、その簡素にして瀟洒な風格に思わず襟を正したくなるし、大阪ならではの近世出版の佇まいを彷彿させるような気がする。四六半裁判の柿渋色の和本が五巻、タイトルとナンバー入り題僉がそれぞれに付され、同じ判型の帙ケース入りで、こちらは本体よりも濃い茶色である。これは伊予松山の近藤元粋が李白の詩を選んで編み、それに評を加えたもので、句読点は打たれているにしても、全文が白文からなっているといっていいし、それは上に置かれた鼇頭の標語も同様で、とても私ごときに歯が立つものではない。

それでも知っている李白の詩「月下独酌四首」を探してみると、巻の五に見つかり、「花間一壺酒独酌無相親挙杯邀明月対影成三人」とあった。最初の一句を句読点を省略して引いたが、花の下で独り飲み、相手はいないが、杯を挙げて月の昇るのを迎え、月と自分と月に照らされたその影で三人になったという詩だ。これは以前に青木正児の『中華飲酒詩選』(筑摩叢書)を少しずつ読んでいて覚えたものである。
中華飲酒詩選
同じく巻五の奥付を見ると、昭和六年六月二十二版、定価一円二十銭、発行兼印刷者は田中太右衛門、発行元は大阪南区安堂寺橋通と東京市神田多町の田中宋栄堂と記されていた。二十二版の記載は、このような和本、白文の『李太白詩集』が明治三十四年からのロングセラーとして版を重ね、読者が存続していたことを教えてくれる。発行者名は大塚が田中の命名を受け継いだこと、二ヵ所の発行元住所は大阪の出版業界の発展に従い、東京にも進出し始めていたことを告げていよう。

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