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古本夜話322 堀内新泉『人間百種百人百癖』

前回に続き、磯部甲陽堂の出版物に関して、もう一編書いておきたい。最近になって浜松の時代舎で、三五判箱入の堀内新泉『人間百種百人百癖』なる一冊を入手しているからだ。同書について、新泉は「序」で、次のように述べている。

 現代に成功せんと欲する者は、世間の実理、実情に、最も暁通せざる可からず。然るに世間を離れて人間なく人間を離れて世間なし。世間を広く解せんと欲せば、先ず多く人間を解せざる可からざる也。
 本書は「手に胼胝のある人」以下「信仰の人」に至るまで、凡そ一百種の人間に就きて、そが(ママ)各自の性状習癖を研究し、成るべく之を具体的に描写して、未だ世上各種の人間に接触すること多からざる人人の処世文典たらしめんことに力めたり。

確かに目次にはそれぞれの癖を持つ「一百種の人間」が並んでいて、これが人間の「性状習癖を研究」する一冊で、世間を解し、成功するための「処世文典」ということになる。現在の言葉に変えれば、ありふれた自己啓発的人とのつき合い方本に分類できるだろう。しかし奥付を見ると、大正三年初版で、同十一年縮刷二十二版とあるので、類書もなく、この種の本の先駆けだったのか、ロングセラーになっているとわかる。しかも奥付裏の広告には同じ著者の『人間百種細君百癖』も見え、前著が売れたために、こちらも続刊になったと推測できる。

この二冊だけでなく、やはり縮刷の「立志小説」として、堀内新泉の『人の兄』『故郷を出づる記』『故郷』『帰郷記』が掲載され、新泉が作家だったことを教えてくれる。

そこで『日本近代文学大事典』を引くと、彼は立項されていた。

日本近代文学大事典

 堀内新泉 ほりうちしんせん 明治六・一一・?〜?(1973〜?)小説家、詩人。京都生れ。上京して東京英語学校を経て第一高等中学校に入学したが中退。小説家を志願して早くそれに筆を染め、幸田露伴の門に入る。いちじ国民新聞記者となる。明治末期から大正初期にかけて『全力の人』『人の友』『人一人』などの著作をなしたがすべて少年向きの立志小説で青少年間に人気を博した。(後略)

「立志小説」に関しては『日本児童文学大事典』によれば、志を立て精進努力した人物を扱う作品で、東西歴史上の人物の伝記が中心とされている。

同じく露伴の弟子である塩谷賛の評伝『幸田露伴』(中公文庫)を読むと、新泉は中谷無涯、田村松魚、神谷鶴伴、米光関月、藤本夕飈などと同様に露伴門下に数えられ、露伴が明治二十二年に中絶した、アイヌをテーマとする『雪紛々』を二十三年に完成させた人物として出てくる。この小説は第十四回までが露伴、その後の第六十八回までを新泉が執筆した合作として、『露伴全集』第七巻に収録されている。その他にも塩谷は露伴の言を借り、新泉はよく働き、浪費もしないのだが、財産がまったくない上に家族が多く、常に病人があり、高利の借金ゆえに負債は増えるばかりだという新泉一家の事情を記している。
幸田露伴

大正七年版の東京書籍商組合員の『書籍総目録』に堀内新泉の著作は十六点掲載され、それらは博文館と日東堂が各六冊ずつ刊行していて、この二社が新泉と密接だったとわかる。博文館からは『婦人常識百話』『常識読本現代女大学』『農村少年夜学読本』『貧児立志読本』といった女性や青少年向けの立志実用啓蒙書、日東堂からは先述した『人間百種百人百癖』『同細君百癖』の縮刷合本、立志小説『強き人』『人の兄』などが出されている。

このような新泉の著作から推測されるのは、露伴の修養的『努力編』や『修省論』のラインに博文館の実用啓蒙書があり、また教育性の高い露伴の少年文学や読み物の延長線上に成立したのが、新泉の立志小説ではないかと思われる。主として前者を博文館、後者を日東堂が出版していたことになる。おそらく博文館との関係は露伴を通じてのものであり、博文館の女婿となった元硯友社の大橋乙羽が介在していたのではないだろうか。

だが日東堂に関してはその経緯が不明であるが、大正三年初版の『人間百種百人百癖』の版元で、出版点数から考えても、新泉と深いつながりがあったはずだ。日東堂は板谷吉太郎によって営まれ、本郷区本郷に住所をおいていたけれど、大正十年前後に廃業したと見られる。それゆえに『人の兄』や『同細君百癖』も含め、版権が磯部甲陽堂に移ったのだろう。もう一度磯部甲陽堂の奥付を確認すると、そこに新泉の押印はなく、ただ「不許複製」とあるので、これは著者印税の発生しない譲受出版に他ならず、ロングセラーであっても、新泉の経済事情には何も反映されていないことを示している。

このような新泉の出版事情を考えると、特価本業界に寄り添っていた作家や著者たちが、近代文学の先達たる尾崎紅葉幸田露伴の門下にあって、それこそ文学的「立志」を果たせず、台頭してくる博文館に代表される近代出版社とは異なる、もうひとつの出版の世界へと降りていった事実を告げていよう。といってもそれらはメダルの裏表のような関係にあるのだけれど。

しかし『日本近代文学大事典』の立項に見られるように、晩年は消息持不明で、没年もまたはっきりしない運命をたどっているし、彼らの著作はほとんど顧みられていないといっていいだろう。

なお堀内については、黒岩比佐子のブログ「古書の森日記」、及びブログ「本を見て森を見ず」にも言及がある。

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