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古本夜話323 丸山ゼイロク堂と小川霞堤『蛙の目玉』

前回の堀内新泉のように、いくつかの立項や言及が見られる作家はまだ幸運だといえるのかもしれない。これもかなり長きにわたって気にかけているのだが、まったく手がかりが浮かび上がってこない作家がいて、それは小川霞堤である。

その名前を知ったのは岡田八千代の『形見草』の奥付裏の広告で、そこに小川の『晴ゆく空』『明せぬ胸』『露のちぎり』『子の行くへ』『母のまごろこ』『女の涙』が一ページを占め、いずれも三版から七版とあり、版元と小川の関係、並びに位置づけを伝えていた。

岡田の『形見草』は大正十年に大阪市北区曽根崎の丸山ゼイロク堂から出された一冊で、この出版社らしからぬ社名と発行者の丸山他三郎の名前は、脇阪要太郎の『大阪出版六十年のあゆみ』にも見えている。しかしそのプロフィルはつかめないけれど、本扉には贅六出版部とあり、奥付記載によれば、西区に分店をかまえていたようなので、出版と書店を兼ねていたのではないだろうか。

まず最初に『形見草』にふれておくと、背には「形見草」、表紙には「かたみくさ」、本編の冒頭は「片身草」となっていて、この表記と同様に、『形見草』も評価が定まっていないのか、岡田八千代のいくつかの立項や年譜にも、その書名も見出せず、出版社に至っても同様である。小山内薫の妹にして、画家岡田三郎介の妻、演劇運動への参加、長谷川時雨との『女人芸術』の創刊なども様々に絡んでいるのだろう。ただここではこの一冊が装丁も鮮やかな三五判上製で、四百三十ページに及ぶ長編小説であることだけを記し、もう少し出版事情がつかめれば、後に内容も含め、取り上げてみたいと思う。

さて小川霞堤に戻ると、その後彼の著作を入手するに至っている。それは『蛙の目玉』という一冊で、大正十三年に東京の内外出版協会から出されたものであり、この小泉準の内外出版協会については、本連載222ですでに言及している。そこで既述しておいたように、これもまた特価本出版社のひとつであった。それは奥付にも明らかで、発行所は東京だが、印刷所は大阪となっていることからすれば、印刷所が『蛙の目玉』の紙型を内外出版協会に譲渡することによって成立した譲受出版だとわかる。おそらく大阪の出版社が行き詰まり、印刷費を払えなくなったことから生じた処置だと考えられる。

だがそのような出版事情があったゆえに、生粋の大阪の作家と見なせる小川を読む機会がようやく得られたことになる。四六上製判、四百ページ余の『蛙の目玉』は次のように始まっている。

 露次内の石畳を、軋轢(がらがら)と荷車の轍の音が表街路へ消えて行つたと思ふと、南隣の入り口を閉める音がして、聞き狎れたお杉さんの声が北隣の軒前で二三人の女の声に雑つて聞え出した。中音(アルト)のお富さん(北隣)、高音(ソプラノ)のお米、それに男性とも女性とも判別の付かぬテノールで、無闇八鱈と喋る酒屋の内儀さん、それらが管弦楽(おーけすとら)のやうな合奏を一ト頻奏る、利休下駄を引摺る音が格子前を閾の中へ流れ込んで、
 『太田はん、太田はん。』
 とお杉さんの声が階下から呼び上げた。

先に挙げた小川の小説のタイトルからして、お涙頂戴的家庭小説を想像していたのだが、この書き出しはそうした先入観を否定する文章を形成している。露次の石畳、荷車の轍の音、女たちのオーケストラを連想させる声の合奏、利休下駄を引摺る響きの中から、主人公の太田の名前が呼び上げられるイントロダクションは、大阪の下町の棟割長屋の生活を浮かび上がらせるかのようである。

同時代において、このような達者な筆致の作家を立ちどころに浮べることはできないし、どうして近代文学史に小川の名前が残されていないのか、あらためて疑問を呈さざるを得ない。おそらくこのような筆力を有していたゆえに、それなりに読者は存在し、丸山ゼイロク堂から、すくなくとも六点が刊行されていたのであろう。

『蛙の目玉』はこのシーンに続いて、電車の敷設による棟割長屋からの立ち退き、それに伴う主人公の半六とお半夫婦の別れ話、そして実際に二人は別居し、半六は郊外の寺に間借りし、お半は料理屋の給仕女になる。それでいて二人の関係は続いているのだが、半六は愛人をつくり、お半もそれに気づき、半六にどちらをとるのかと迫るところで終わっている。『蛙の目玉』というタイトルが意味するのは、蛙は遠視眼で、目と餌の間に多少の距離があると飛びつくが、すぐそばに持っていくと無関心な態度になる、つまり半六のお半や女たちに対する接し方のメタファーだといえよう。

これらを読みながら半六の猫好きと三角関係からは、谷崎潤一郎の『猫と庄造と二人のおんな』、お半の料理屋勤めなどからは織田作之助の『夫婦善哉』が思い浮かんだ。調べてみると『猫と庄造と二人のおんな』は昭和十二年、『夫婦善哉』は同十五年に同じく大阪の創元社から出版されている。小川霞堤の『蛙の目玉』がこれらの作品のヒント、もしくは影響を与えた可能性はかなり高いと考えても、あながち間違っていないような気がする。

猫と庄造と二人のおんな『猫と庄造と二人のおんな』 夫婦善哉 『夫婦善哉』

ちなみに最後に付け加えておけば、半六は売れない作家、でこれまで生活の大半「角田」という「出版屋」が面倒を見てきていたが、別居に際して金が必要だったので、商売仇の「S出版屋」から金を引き出したことが語られている。ひょっとすると、「角田」という「出版屋」は丸山ゼイロク堂、『蛙の目玉』を出し、倒産し、紙型を売るはめになったのは「S出版屋」をモデルにしているのかもしれない。

なお『挑発ある文学史』(かもがわ出版)の著者の秦重雄に、「小川霞堤―大正期『悲劇小説』作家の経歴」があるようだが、まだ読む機会を得ていない。

挑発ある文学史

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