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古本夜話324 出口米吉、『性の崇拝』、『頭註東海道中膝栗毛』

特価本業界における成光館の出版活動、及び梅原北明人脈や宮武外骨中山太郎とのつながりについて、前回も含め、本連載194などでも既述してきた。

この他にも多くの出版人脈が成光館へと流れこみ、その全体像は明らかでないにしても、驚くべきほどの多種多様な出版物が刊行されたと考えられる。

そうした一人に出口米吉がいる。彼のプロフィルはずっと定かにつかめないままだが、『発禁本3』(「別冊太陽」平凡社)の「性神研究」のページに、、『日本生殖器崇拝略説』、正続『日本性器崇拝資料一覧』といった限定私家版、エドマンド・バックレイ『日本に於ける生殖器崇拝』の訳書が書影入りで紹介され、まだ民俗学が確立されていない時代における生殖器神の研究書に位置づけられていた。
発禁本3

またそのページには『日本に於ける生殖器崇拝』の出口による「はしがき」の一部が掲載され、同書は一八九五年(明治二十八年)にシカゴ大学出版部から出されたバックレイの博士論文で、スタール博士が来阪の際に出口の頼みにより貸与してくれたものだと記されていた。これによって、出口が大阪在住の、お札博士フレデリック・スタールの関係者だとわかった。そこでスタールの『お札行脚』(国書刊行会)に目を通すと、その中の『四国行脚』の「逆戻りした元の大阪」のところで、出口氏たちは人類学や考古学に関する趣味の会の温古会に属し、それにスタールが招かれ、天満宮で人類学の講演をしたとの記述に出会った。ここにしか出口の名前は出てこないが、この時に、彼がスタールにバックレイの著書を頼んだと考えて間違いない。これで出口が在阪の温古会会員であることだけはわかった。

お札行脚

それから前述の出口の著書などは入手しなかったが、代わりに名古屋の古本屋でもう一冊の訳書を見つけ、購入してきた。その出口の訳書はクリフォード・ハワード原著『性の崇拝』である。大正十一年に東京市京橋区の発行者を町田濱雄とする扶桑社から出されている。発行者の名前から、扶桑社が明治後半から大正にかけて、ほぼ黒岩涙香の著作の専門出版社だった扶桑堂のことだとわかる。

出口は序文にあたる冒頭の一文で、本書の邦訳に対して原著者が快諾された旨を記し、それを証明するように、ハワードの邦訳版英語序言を掲載し、さらにそれを「和訳『性の崇拝』序言」として収録している。ハワードはそこで出口について言っている。「同君は自ら性崇拝の問題に関する著者たるのみならず、英語にも通ずる士である。故に其翻訳は巧で、又同感的理解を似てせらるゝであらうと信ずる」と。

『性の崇拝』の内容に関しても、ハワードは「原序」で適切に述べているし、それを出口が要約しているように、「総ての宗教が性の崇拝を基盤として成立することを簡明に論述したもの」で、「同崇拝の大意を一読の下に会得せんとする人にも、最適当なる書」とされている。そして十章一四八ページに及ぶ翻訳が提出されているわけだが、そこでの出口に真骨頂は八一、しかも九一ページに及ぶ「付註」で、日本だけでなく世界の「性の崇拝」に通じているらしい出口の広範な知識を垣間見せてくれる。しかしそれらはともかく、どうしてこのような翻訳書が涙香専門出版社の扶桑社から出されたのかの疑問にはまったく答えてくれない。ひとつだけ考えられるが、それは実証する事実をつかんでいないので、ここでは言及しない。

ところが出口の「註」に関するもう一冊があり、それは性崇拝とまったく異なる『頭註東海道中膝栗毛』で、その版元が成光館なのである。奥付には大正十五年十月発行、昭和三年三版発行、編者は出口米吉となっているが、彼の押印はなく、ただ「著作権所有」と記されていることからすれば、これはいうまでもなく、成光館の譲受出版ということになる。タイトルには『頭注』『評注』も使われているが、内容から考え、ここでは『頭註』に統一した。

この四六判七百ページの『頭註東海道中膝栗毛』も、序に当たる一文が出口によって書かれていて、そこで彼は述べている。

 余も幼時より此書を愛読したが、此の如き難解の語句に接する毎に、隔靴掻痒の感を抱いたけれど、大体において其意を酌むことが出来たので、特に之を調査する心もなく、其儘に過して居た。然るに去る頃ふと此書の註解を思ひ立ちてから、読書の際に其助となるべき事を見る毎に筆録したれど、猶不明なる所多し、廔書を先輩知友に送つて教えを乞うた。

それゆえに文学の研究に身を委ねる者ではないにもかかわらず、二千余の「頭註」に至ったと。しかもその「先輩知友」として、一人だけ名前が挙げられているので、それを引いてみる。「故饗庭篁村翁は、本書につきて常に懇篤なる教示を賜つたので、本書が翁に負ふ所は実に大なるものがある」。そして口絵写真の「一九自画賦扇面」も翁から送られたものだとの言葉も添えられている。

ここで定かではないにしても、出口のアウトラインが描ける。大阪在住の人類学や考古学を趣味とする温古会会員で、性崇拝の研究者にして翻訳者、お札博士スタールとも交流があり、その一方で饗庭篁村とのかなり親しき面識もあり、その支援で『頭註東海道中膝栗毛』を刊行している。しかし東京における出版事情は詳しくわからない。これが出口のささやかなポートレートということになる。

さらに付け加えておけば、温古会は集古会とライヴァル関係にあったのかもしれない。それは出口の『頭註東海道中膝栗毛』の刊行に表われているようにも思える。三田村鳶魚を始めとする集古会会員たちが『東海道中膝栗毛輪講』を始めるのは大正六年で、そのうちの三分の一ほどが『日本及日本人』に掲載され、また同年から七年に大阪屋号書店から二冊が刊行されたが、上中下三巻本として出版されるのは大正十五年からのことである。おそらくその『輪講』に刺激を受け、あるいはライヴァル視し、出口も『頭註』にまつわる仕事を始めたのではないだろうか。時期はぴったり合っているので、両者はコレスポンダンスな関係にあったと思われてならない。
なお『輪講』に関しては本連載で後述する予定である。

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