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古本夜話331 近藤憲二『一無政府主義者の回想』と『大杉栄全集』

本連載231でふれたクロポトキンの『相互扶助論』前回のロマン・ロランの『民衆芸術論』の二作が収録されている一巻があって、それは大正十五年に刊行された『大杉栄全集』第六巻である。
相互扶助論(同時代社版)

天金ならぬ天黒にして、黒地のハードカバー、背の上の一部分が赤地で、そこにタイトルが黒で箔押しされている。ページ数は七百五十余で、束も五センチ近くに及ぶ大冊といっていい。『相互扶助論』にもまして、『民衆芸術論』はこの全集版を含めると、大杉訳は大正六年の阿蘭陀書房に始まり、次のアルスに続く三回目の刊行で、木村荘太訳『民衆劇論』を加えれば、十年足らずの間に四度にわたって出たことになる。様々な出版事情はあるにしても、演劇の時代とパラレルに読まれ続け、その後も同様だったと考えていいだろう。それに大杉にとっても、唯一の文学書の翻訳で、彼の芸術論はすべてこのロランの一書に基づいている。

この『大杉栄全集』全十巻は、関東大震災時に虐殺された大杉と伊藤野枝の遺児たちの養育資金のために企画刊行となったもので、その奥付を見ると、発行者は本郷区駒込の近藤憲二、発行所は同所の大杉栄全集刊行会と記されているが、実質的にはアルスが販売を担ったとされている。この全集の存在はずっと前から知っていたし、よく端本を見かける時期もあったと記憶しているが、最近はほとんど目にすることがなくなっていた。
ところが数年前に浜松の時代舎で、送品用の機械箱入りの美本の揃いに出会い、その黒と赤の鮮烈なコントラストにもあらためて引きつけられ、つい購入してしまったのである。装丁や編集ばかりか、印刷や製本にも大杉を追悼顕彰する思いがこめられているように感じられ、そのことを示すかのように、巻末に活版製版/同工社、本文印刷/山本源太郎、破璃版印刷/中央製版所、製本/江場千代松との掲載があった。残念ながら、『日本アナキズム運動人名事典』には山本と江場の名前は見出せないが、この時代のアナキズム陣営と印刷に携わる人々との密接な関係を物語っていよう。
日本アナキズム運動人名事典

それらについての証言はないが、発行者の近藤憲二は『一無政府主義者の回想』(平凡社)を残していて、そこに「『大杉栄全集』の刊行」という一節がある。少しばかり長くなってしまうにしても、大杉と出版をめぐるエピソードとして欠かせないと思われるので、省略を施さず、それを引いてみる。

 『大杉栄全集』は、大杉とながい因縁であった、そして私の勤め先でもあった書肆アルスから発行することになり、準備を急いでいたのであったが、大正十四年四月になって、ようやく予約募集の新聞広告にまでこぎつけた。そして編集には私と、大杉の友人であり、死後もなにかと世話になった安成二郎さんと二人であたることになった。
 全集刊行までの経過は坦々たるものではなかった。著作権の問題で、大杉の著書は今まで幾ヵ所からも出ていたので、その交渉が面倒だったのである。叢文閣の足助素一氏のように、大杉の借金を棒引きにしてくれ、よろこんでアルスの刊行を激励してくれた人もあったが、そうばかりでもなかった。大杉の前借はどうするんだ、と開き直る店もあるし、大杉訳のこれこれの本の版権はうちの店にある、印税を寄こせとねばるのもあるし、世間なれない私には、利害関係がからむと世の中はこんなに面倒で、あさましいのかとつくづく思った。

近藤にとっては「隠忍」と「世間勉強」に他ならない、そのような版権交渉と編集事情の一年半を経て、全十巻はようやく完成に及んだのである。この近藤の記述から、奥付に発行所がアルスを示す記載はまったく見当たらないにしても、この『大杉栄全集』そのものが紛れもなくアルスの出版物だと了承される。おそらくアルスの他の出版物との混同や悪しき影響なども考慮され、近藤の住所を発行所とする大杉栄全集刊行会がダミーとして立ち上げられたのではないだろうか。この全集も初期円本と見なすことができるし、後期円本のそれぞれの刊行会による出版も、背後には必ずしかるべき出版社が存在していたと考えるべきであり、『大杉栄全集』はそれを教えてくれる。

そして編集と発行者を兼ねた近藤の「回想」をたどっていくと、彼が出版と社会運動に寄り添って生きてきたことがわかる。近藤は明治二十八年に兵庫県氷上郡に生まれ、大正元年に早大政経科に入学し、大杉栄の『生の闘争』(新潮社)を読み、決定的な影響を受ける。そこで大杉を訪ね、彼と荒畑寒村が出していた『近代思想』なども読み始め、堺利彦の売文社の仕事も手伝うようになっていく。売文社解散後は大杉たちと『労働運動』の創刊に携わり、日本社会主義同盟創立に加わる。

その一方で、労働運動社の経済状態もあり、大杉の『正義を求める心』『クロポトキン研究』を出していたアルスに大正十一年から勤めるようになり、大杉の死後、全集の編集と刊行に従事することになったのである。さらに昭和三年には下中弥三郎の率いる啓明会との関係もあって平凡社に入り、それ以後、戦後にわたって断続的に三十年間勤め、『大百科事典』や『大辞典』の編集に従事し、『大杉栄全集』の編集をともにした安成二郎などのアルス出身者も加わっていく。そうした事情があって、近藤の『回想』が平凡社から出されたとわかる。私は現在でもそれらの平凡社の戦前の『大百科事典』と『大辞典』を使っているが、これらが『大杉栄全集』と同様に、アナキストたちによって編集されたものだと考えると、とても感慨深い。

そしてこれらのアナキスト人脈は、世界で最初の企画とされる『クロポトキン全集』全十二巻の編集と翻訳に結実していく。これに関しては、拙稿「春陽堂と『クロポトキン全集』」(『古本探究』所収)、また安成二郎については、これも拙稿「安成二郎と『女の世界』」(『古本探究3』)を参照されたい。

古本探究 古本探究3

なお言及に至らなかったけれど、近藤の夫人の近藤真柄は堺利彦の娘であり、黒岩比佐子の堺の評伝『パンとペン』(講談社)の表紙に使われている家族写真に少女として登場している。大杉の遺児たちの物語もそうであるが、堺の娘の物語もまた連鎖しているのだ。
パンとペン

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