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混住社会論37 リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)

孤独な群衆 上 (始まりの本) 孤独な群衆 下 (始まりの本)



リースマンの『孤独な群衆』改訂訳版が出された。この機会を得て、『孤独な群衆』を改訂版で再読したので、それについて書いておこう。ちなみにその前に記しておけば、加藤秀俊訳の一九六四年版は毎年のように版を重ね、二〇〇九年には四十二刷、発行部数は累計で十六万部に及んでいるという。
孤独な群衆 孤独な群衆 上 (始まりの本) (改訂版)

このアメリカ社会学の古典とされる『孤独な群衆』は改訂訳版に加え、四、五回目の通読ということもあり、かつてよりもさらにこちらに引き寄せ、再読後の印象を述べてみる。これは邦訳名に反映されていないが、サブタイトルは「A Study of the changing American character 」であり、その研究の結果として、メインタイトルのThe Lonely Crowd が導入されたと見なしてかまわないだろう。よく知られているように、リースマンはこの中で、アメリカ人の社会的性格と状況の推移を占める概念として、伝統指向型、内部指向型、他人指向型を提出し、それらは混住しているにしても、従来の伝統指向型や内部指向型に代わって、他人指向型が支配的になりつつある時代を迎えていることを示した。

それらをリースマンの記述によって端的に定義すれば、つぎのようなシェーマとなる。

1 高度成長潜在的社会における典型的成員はその同調性が伝統に従うことによって保証されるゆえに、伝統指向型。
2 過渡期人口成長期の社会はその典型的成員の社会的性格の同調性が幼児期に目標を内側にセットすることで保証されるので、内部指向型。
3 初期的人口減退の社会に入ると、外部の他者たちの期待と好みに敏感となる傾向が高まる。そしてそれに対する同調性が保証されるという社会的性格がその典型的成員にゆきわたるようになり、これが他人指向型。

ここでひとつだけ補足しておけば、3の初期的人口減退の社会とは、まず第一次産業就業者の減少を意味している。リースマンはこのような三つの型を提示することで、十九世紀アメリカの社会的性格の変容を伝えようとしている。『孤独な群衆』がイエール大学出版局から出されたのは一九五〇年であることから判断して、これは二〇世紀前半におけるアメリカ社会の変貌とパラレルに生じたものだと考えていい。もちろんこれらは単純な移行と段階ではなく、それらは重なり合い、進んでいくとされる。それはまた本連載8でふれたハルバースタムの『ザ・フィフティーズ』の幕が切って落とされた時代でもあった。偶然ながら、リースマンもハルバースタムもファーストネームはデイヴィッドであり、本連載33に続いて、ハルバースタムが同書でリースマンの『孤独な群衆』に関してわずかしか言及していないにしても、ここでも二人のデイヴィッドが連鎖してしまうのである。
ザ・フィフティーズ 上

それはともかく、これらのアメリカの社会的性格の変容について、リースマンは人口統計学的特徴と経済発展の段階を対比させている。後者はコーリン・クラークによる第一次、二次、三次という経済分類法であり、それを私的に転換すれば、農耕社会、工業社会、消費社会とよぶことができよう。改訂訳『孤独な群衆』に「解説」を寄せているトッド・ギトリンも「簡単にいえばアメリカは生産第一主義の社会から消費中心の社会に変貌した」と述べている。

そして五三年のペーパーバック化によるベストセラー化の背景についても、「当時のアメリカ人は大恐慌や戦争から解放され、郊外生活、新しい住宅、自動車や電化製品、社会的地位などにめぐまれて、一見したところめぐまれた生活をしているようにみえても文化的、心理的に混乱していたのだ」と指摘している。ギトリンのアメリカ戦後史は『アメリカの文化戦争』(疋田三良他訳、彩流社)に詳しい。
アメリカの文化戦争―たそがれゆく共通の夢

それならば、アメリカ社会における具体的変貌とは何であったのか、それを見ておこう。私は『〈郊外〉の誕生と死』を書くに際して、経済学者の佐貫利雄の『成長する都市 衰退する都市』(時事通信社、一九八三年)を絶えず手元に置き、参照しながら進めていったのだが、同書には欧米と日本の一八六〇年から一九八〇年にかけての「先進6ヵ国・就業構造の長期的変動」、及び「人口動態」が収録されている。

〈郊外〉の誕生と死 成長する都市 衰退する都市

この表を参照すると、アメリカは一八八〇年は第一次産業50%、第二、三次産業がそれぞれ25%で、まぎれもなき農耕社会だったが、一九四〇年には第一次産業は20%と半分以下になり、第二次産業は30%、第三次産業が50%を越え、消費社会化した事実を物語っている。このデータは『孤独な群衆』に寄り添い、半世紀を経て、アメリカが農耕社会、工業社会、消費社会へと至ったことをまざまざと示している。

そして八〇年には第三次産業は67.1%、第二次産業は29.3%、第一次産業はわずか3.6%になってしまい、アメリカが世界で最も先行する消費社会であることを伝えている。ちなみにヨーロッパ諸国の消費社会化は七〇年以後である。

さらに「人口動態」を見ると、一八八〇年代の五千六百万人が、一九五五年には一億六千九百万人、八〇年には二億三千万人と、その一世紀間の増加率は四倍を超え、ヨーロッパ諸国は二倍にも達していないことからすれば、移民人口を含めてだが、アメリカは圧倒的に人口増加が続いていたことになる。

その一方で、進行していたアメリカの歴史を簡略にたどれば、一八六五年に南北戦争が終わり、資本主義が急速に発展し、農業が後退し始め、工業社会を迎えようとしていた。そしてマーク・トウェインたちが描いた所謂「金ぴか時代」もやってきていたが、九〇年頃にはフロンティアは消滅しつつあった。二〇世紀に入り、第一次世界大戦を機とするヨーロッパとの力関係の変化を受け、帝国主義的資本主義国家として成長する中で、一九二九年に大恐慌が起き、三九年には第二次大戦に突入するが、ヨーロッパと異なり、戦場とならなかったアメリカは、戦後になって世界に確固たる位置を占めるに至る。

このような産業構造の転換、絶えざる人口増加、二回にわたる世界戦争の経験とパラレルに、アメリカ的社会性格は伝統指向型、内部指向型、他人指向型へと移行し、五〇年代を迎えたことになる。これがリースマンの『孤独な群衆』の前史、及び背景と考えていいだろう。

そして五〇年代以後の消費社会はそれ以前よりも労働時間が短くなり、物質的生活は豊かになり、余暇も増えてくるのだが、教育、サービス、レジャー関連の第三次産業などが拡大し、マスメディアを通じてのイメージや言葉の消費が、両親や子供といった家族領域にまで広く及び、シンボルの流通も激流のようなものと化していく。このような状況とプロセスを経て、戦後の消費社会と他人指向型が生まれてくることになる。

かくしてリースマンは他人指向型について、ゴチックで述べるのだ。その部分を引いてみる。

 他人指向型に共通するのは、個人の方向づけを決定するのが同時代人であるということだ。この同時代人は、かれの直接の知りあいであることもあろうし、また友人やマス・メディアをつうじて間接的に知っている人物であってもかまわない。同時代人を人生の指導原理にするということは幼児期からうえつけられているから、その意味では、この原理は「内面化」されている。他人指向型の人間がめざす目標は、同時代人のみちびくがままにかわる。かれの生涯をつうじてかわらないのは、こうした努力のプロセスそのものと、他者からの信号にたえず細心の注意をはらうというプロセスである。

ここまできて唐突に思われるだろうが、私はこのリースマンの他人指向型に関する定義を、戦後の日本社会へと当てはめてみたい誘惑に駆られてしまうのだ。すなわちここでいわれている「かれ」が日本、「同時代人」とはアメリカのことではないだろうか。

それを論じる前に、アメリカと同様に、日本の「就業構造の長期的変動」を確認してみる。一八八〇年に日本の第一次産業は82.3%、第二次産業は5.7%、第三次産業は12%、一九五〇年は第一次産業48.3%、第二次産業21.9%、第三次産業29.8%、八〇年は第一次産業10.9%、第二次産業33.7%、第三次産業55.4%となっている。

しかしこの変化のスピードは異常な速さだったというべきであろう。前述したようにアメリカの一九八〇年の第一次産業は50%であり、10%を割るのは一九六〇年であるから、九十年間にわたる緩慢な減少だったと見なせる。だが日本の場合、一九五〇年が48.3%で、八〇年が10.9%であるから、わずかアメリカの三分の一の三十年間で達成されたことになり、それは第三次産業化にも同様で、アメリカが30%から60%近くに上昇するまで七十年かかっていることに比べ、日本は四十年しかかかっていない。これらのすべては戦後に集中していて、その発端は敗戦と占領に起因すると判断するしかない。

さらに一九八〇年の日本の産業構造がアメリカの四五年から五〇年にかけての産業構造、すなわち占領時のアメリカの産業構造にぴったり重なることを発見した時、私は驚きを禁じ得なかった。また占領時におけるアメリカの生活様式は、日本人にとって「天国」のように見えたのだ。それゆえに『〈郊外〉の誕生と死』において、次のように書いた。

 アメリカによる占領とはその「天国」=消費社会による農耕社会の征服だったのだ。だからこそ農耕社会を解体し、都市へと人口を集中させ工業社会を形成し、自動車と郊外のある豊かな消費社会となること、そのことによって初めて占領は完成されるのである。それがまた日本の戦後社会の無意識な命題となった。

とすれば、リースマンのいう他人指向型はアメリカ本国だけのものではなく、戦後の日本社会にも及ぶことになる。彼の定義をもじれば、占領期日本において、「アメリカを社会の指導原理にするということは、占領期からうえつけられているから、その意味では、この原理は『内面化』されている」ことになるし、「他人指向型の日本がめざす目標は、アメリカのみちびくままにかわる」のである。

そのようにして、日本は七〇年代前半に消費社会となり、八〇年代から九〇年代にかけては郊外ロードサイドビジネス、今世紀に入って郊外ショッピングセンターが全盛を迎えることになった。それとパラレルに、原発が郊外に配置されていたことを忘れるべきではないだろう。消費社会も郊外もロードサイドビジネスも郊外ショッピングセンタ−も原発も、すべてがアメリカを起源としている。

リースマンがアメリカ人を「孤独な群衆」と見立てたのは一九五〇年で、消費社会化から十年が経っていた。日本の消費社会化は七〇年代前半であるので、それから類推すれば、八〇年代になって日本人もまた他人指向型の果てに、「孤独な群衆」と化したことになる。そういえば、アメリカのディズニーランドは五五年、東京ディズニーランドは八三年の開園である。それは「孤独な群衆」のための楽園といえるのかもしれない。

したがって、リースマンが『孤独な群衆』で提出した社会的性格の伝統指向型、内部指向型から他人指向型への移行とは、アメリカのみならず、日本でも起きていたことになるのだ。しかしここで留意すべきは、リースマンがアメリカの主流を占めるワスプではなく、少数派に属するユダヤ系アメリカ人であることで、そこに属する少数派の視線の果てに「孤独な群衆」が造型されていることであろう。

それは五〇年代以降に急速に進むと予想される郊外消費社会の均一化、画一化、いうなれば、他人指向型に基づく均一化、画一化の社会的性格を危惧しているようにも思えるし、『孤独な群衆』の次のような結びの一文はそれを語っているのではないだろうか。この部分は改訂というよりも改訳されている。

 じっさいのところ、人間はそれぞれちがったようにつくられているのである。それなのに、おたがいがおなじようになろうとして社会的な自由と個人的な自律性をうしなってしまっているのだ。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1