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古本夜話336 アルス、カメラ、加藤直三郎『中級写真術』

アルスの多彩な出版物の中にあって、ひときわ特徴的なのは写真に関する本が集中して出されていることだろう。しかもそれらはいずれもロングセラーとなり、版を重ねたようで、私の手元にも八冊ほどあるのだが、これらは意図的に集めたものではなく、均一台で拾っているうちに増えてしまったものだ。

それらを以下に挙げてみる。「写真大講座」第一、六、十二、十三巻、加藤直三郎『中級写真術』、霜田静志『写真構図』、貴志義一『パーレットの使い方』(『カメラの使い方全集』1)、佐和九郎『現像の実際』の八冊であり、「講座」以外の単行本の巻末、及び前回上げた「アルス月報」掲載の刊行書目を見ると、三宅克己と高桑勝雄の著者を中心とした写真書が多く出されているとわかる。

中級写真術

八冊の中でも、『中級写真術』は最も早く大正十年五月に初版が出され、同年九月に十五版を重ねている。著者の加藤は科学を職とし、「写真術は余技」と「凡例」で断わりを入れているのだが、「自序」において、次のような言葉を記しているのは注目に値し、当時の写真の位相とその転回点が浮かび上がってくる。

 現代幾十万の写真家はアマチュアーと云はず、営業家と云はず、殆ど尽くが写真器に使はれて居る。
 『写真器に使はれて「出来た写真」は写真ではない。写真器を使つて「作つた写真」でなければ写真ではない。写真器を使はうとするなら其の使ひ方を知らねばならぬ』
 此が本書一篇を通じての私の思想であろう。

すなわち大正に入って、明治後期とは異なる写真の「思想」をも問われる時代を迎えていたことになる。その「思想」をベースにして、同書ではカメラや感光板や現像も含めた「写真術」が語られていくのだが、その前提となる著作が三宅の『写真のうつし方』『趣味の写真術』、高桑の『フィルム写真術』であり、これらは写真の基礎文献としてロングセラーとなっていたようだ。しかも同書のふたつの「序」が三宅と高桑によって書かれていることから判断すれば、この二人が大正の「写真時代」のイデオローグだったと考えても間違っていないだろう。しかも『中級写真術』の最後のページには「趣味写真家の伴侶たる」写真雑誌『カメラ』が高桑を主筆、三宅を顧問として、四月に創刊されたとの広告の掲載もある。

飯沢耕太郎『「芸術写真」とその時代』筑摩書房)は第一次世界大戦後にアマチュア写真家が増加し、小型カメラやフィルムの普及に伴い、多くの新しい写真技術書が刊行されていたことを指摘し、大正五年から十四年にかけての主な二十二点の書名が挙げられている。それらの中でも、三宅の『写真のうつし方』は大正十一年までに六十版、高桑の『フィルム写真術』は同十二年までに百版を重ねるベストセラーだったようだ。

前者はアルスの前身ともいえる阿蘭陀書房から大正五年に刊行されたもので、同じく飯沢の『日本写真史を歩く』(新潮社)によれば、明治末期から大正初期にかけての水彩画ブームの立役者の一人であった三宅の「素人の写真入門」にして「素人の手引案内」、しかも「簡易的写真道楽」の書は、増殖しつつあったアマチュア写真家に大歓迎され、写真書の基礎的なロングセラーの位置を確保していた。それらのアマチュア写真家団体の全国一覧表が『「芸術写真」とその時代』に掲載されているが、それらは全国各地に百近く、昭和初期には四百を超えている。

日本写真史を歩く

そのようなアマチュア写真家たちの増加を背景にして、大正十年代に先述の『カメラ』を始めとする写真雑誌の創刊がブームとなっていく。それらは『カメラ』の他に、『芸術写真』(芸術写真社)、『写真芸術』(東新商店出版部、後写真芸術社)、『芸術写真研究』(アルス、後光大社)、『白陽』(白陽画集社)、『写真文化』(辻本写真工芸社)、『アマチュアー』(金星堂)、『オリジナル』(オリジナル社)である。ただ『カメラ』『芸術写真研究』『白陽』を覗いて、関東大震災などによって廃刊の道をたどるしかなかったにしても。

田中雅夫の『写真130年史』ダヴィッド社)なども参照してその前史を探ると、カメラメーカ―の小西六が大正六年に高桑の編集で『写真の趣味』を創刊し、同九年に三宅と高桑の編集で『実用指導写真術講習録』をアルスから刊行した。ここに信州上田出身のジャーナリストで独自の「趣味写真」を唱える高桑、最初の写真入門書とでもいうべき『写真のうつし方』を著わした三宅、自らもアマチュア写真家だったらしい北原のアルスが結びつき、『カメラ』の創刊に至ったのではないかと思われる。

写真130年史

その高桑は『カメラ』創刊号に、「創刊に臨みて」という一文を寄せ、それはちょうど加藤が『中級写真術』に記した「思想」とまさに通底している。

 私は学者ではない、芸術家でもない、文学者でもない、然し好事写真家としての諸君が久しく求めんと欲して未だ求め得ず、為さんとして未だ為し能はざるの悉くを、最も良く知るは私であると信じる。本誌の発刊は実に此諸君の欲求の大部分を充さんが為で、(中略)本誌には動かす可からざる主義主張がある。

つまりこれまでのメーカー寄りのものではなく、「好事写真家」のための雑誌だと宣言しているのだ。

しかし昭和五十九年にコダックと提携し出版されたことでわかるように、メーカー寄りで編まれた『写真大事典』講談社)には、これらの日本の写真雑誌の成立にはふれられておらず、三宅や高桑の名前はいうに及ばず、『カメラ』も立項されていない。

写真大事典

なお黒岩比佐子「古書の森日記」で、三宅克己『改訂増補写真のうつし方』(大正9年)を取り上げている。

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