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古本夜話343 今和次郎、吉田謙吉編著『モデルノロヂオ』『考現学採集』

バラック装飾社に携わった後、今和次郎と吉田謙吉は考現学に向かった。これはバラック装飾社と異なり、二人を編著として『モデルノロヂオ「考現学」』(春陽堂、昭和五年)、『考現学採集』(建設社、同六年)が残されている。私の所持する二冊は裸本であり、箱とカバーの有無を確かめていない。だが前者には昭和六年の「銀座一帯飲食店分布図」のガリ版刷が見返しのところに貼られ、以前の所有者が考現学関係者だったことがわかる。

これらのレポートは取捨選択され、ドメス出版の『今和次郎集』ちくま文庫藤森照信編、今和次郎『考現学入門』に収録されているのだが、その昭和初年の考現学のリアリティと臨場感は、このB5判の二冊によらないとうまく再現できないように思われる。それは『現代商業美術全集』の判型がA5判や文庫判であったとしたら、まったく異なった印象を与えるであろうし、おそらくほぼ同時期に出されたこの二冊の判型も、『現代商業美術全集』の影響を受けているのではないだろうか。また判型ばかりか、その装丁と造本も考現学のイメージをよく伝えている。そうした本の固有な性格とイメージゆえに、『モデルノロヂオ』『考現学採集』学陽書房から復刻されたと考えられる。

(『今和次郎集』3)考現学入門  現代商業美術全集


今は『モデルノロヂオ』の「考現学とは何か」において、「私達同志の現代風俗或は現代世相研究に対して採りつゝある態度及び方法、そしてその仕事全体を、私達は『考現学』と称してゐる」とまず定義している。考現学という言葉は古物研究としての古代学が考古学=Archeology であることに対して、現代学=Modernology ということになるし、新たに造語するわけだから、エスペラントでモデルノロヂオ=Modernologio に決まったという。

これは昭和二年に開業したばかりの新宿の紀伊國屋書店において、田辺茂一の勧めによって開いた「しらべもの展覧会」の際に発表したものである。この「展覧会」は紀伊國屋の二階ギャラリーで開催され、『田辺茂一と新宿文化の担い手たち』に、その写真と展覧会目録と今のフィールドノートが掲載されていて、この展覧会出品レポートがベースとなり、『モデルノロヂオ』が編まれていったとわかる。

その時の展覧会メンバーは今と吉田の他に、新井泉男と小池富久で、単行本化されるにあたって、岡田達彌、土橋長俊、田中富吉、今純三といった人々も加わり、これらが考現学の初期メンバーを形成していたのだろう。そして『考現学採集』に至ってはさらに多くの名前が見出され、メンバーが増えていったことを示している。

吉田の考現学への道をたどれば、関東大震災後のバラック装飾社の経験を踏まえ、復興していく東京の新しい風俗の意識的調査に向かったのである。それを今の言葉で語らせよう。

 そこで私達は、新しく出来て行く東京の現はれのそれに、継続的に記録作成の仕事の手をふるひたくなつた。(中略)さうして出来上つたのが一九二五年初夏の銀座風俗しらべである。私達は数日の間銀座の一角にたてこもり、数十項にわたつた通行人の統計に従事したのであつた。それから相続いて、全東京の現はれの認識の為に、本所深川の貧民窟や労働者の街の風俗しらべをやつて見た。そして更にそれらと対照されるべきところの山の手の郊外のそれもやつて見た。それらの仕事に従事した事から次ぎの結果が私達に持ち来たされた。即ち総ての風俗は分析され比較されてはじめて夫々の意義が湧いて来ることを。(後略)

それらの仕事は人の行動、住居、衣服を始めとする調査であり、何よりも特筆すべきことは現代人の生活とその表象たる世相風俗に対し、考現学を掲げる調査者のポジションをはっきり表明していることだろう。そのような意識がないと役人式の調査になってしまうとも断わっている。

 われゝゝは各自、習俗に関する限りのユートピア的なある観念を各自の精神のうちに持ち、そして自分としての生活を築きながら、一方で世間の生活を観察する位置にあるのだとの告白をして置いてもいゝ。その境地があればこそ、われゝゝと現代人とは油と水の関係に立つて、われゝゝは現代人のそれを客観する事が可能となる。

このようにして、地域を異にする風俗が記録され、「学生ハイカラしらべ」「丸ビルモガ散歩コース」から始まり、「露店大道商人の人寄せ人だかり」「女給さんエプロン実測」「デパート風俗社会学」などを経て、「本屋さんの立読」「東京盛場人出分析」「電車内夏の持物採集」といった五十項以上に及ぶ「採集・調査・報告」が豊富な挿絵、図版、スケッチ、統計によって、それらが街のショーウインドーに陳列されているかのように、次々と伝えられていく。

それらのプロセスを経て浮かび上がってくるのは、全社会の消費生活の状態であり、そのパターンが「著しいものを模倣する、或は上級模倣から風俗の伝播が起る」現象を伴っているという事実である。すなわち考現学は交換価値ではなく使用価値の研究に向けられ、それが「消費生活の学」として成立してくるであろう。これが『モデルノロヂオ』が試みた新たな思想の提示だったと思われる。

この『モデルノロヂオ』に提示された考現学はどのように受容されたのだろうか。今が『考現学採集』の冒頭の「考現学総論」で述べているところによれば、「われゝゝの仕事の珍奇さ、また在来所謂文明批評と言ふ形式で言はれていたやうな一面を含む事、そして非書斎的、非形式的に乗り出してゐる事」などによって、まずジャーナリズムに迎えられ、「『モデルノロヂオ』」一冊を備へない新聞雑誌編輯室がないと言はれる程」だったという。

それは今もいっているように、「われゝゝの仕事には、赤、白、黒、いかなるイデオロギー者でも入つて来れる」からでもあっただろう。それは今の範として柳田民俗学と通底するものであり、昭和初年に誕生した考現学は名称を変え、戦後になって生活学会、現代風俗研究会路上観察学会として、様々に継承され、現在に至るまで及んでいることになる。それらについては戦後編で言及するつもりでいる。

なお『モデルノロヂオ』『考現学採集』に収録されたスケッチ、図版、写真などは最近になって出た『今和次郎採集講義』(青幻舎)においてもかなり再録されていて、それらを見ることができる。

今和次郎採集講義

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