出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話357 太田三郎『瓜哇の古代芸術』

本連載353に続いてもう一冊、同時代の大型美術書を取り上げておきたい。それは本連載で既述しておいた人物と出版社によるものだと見なせるからでもあり、やはり土方の訳書と同様に、インド仏教の影響を受けたジャワの寺院と彫刻を中心にして一冊が編まれている。著者、書店、出版社を挙げれば、太田三郎『瓜哇の古代芸術』で、昭和十八年に崇文堂から出されている。判型はB5判で、図版と本文を含めて二百四十余ページ、定価は八円、初版千二百部である。

まず著者だが、その前に若干の説明を施しておく。これは本連載1415でもふれた伊藤竹酔が梅原北明や村山知義たちと組み、大正十五年から昭和三年にかけて、国際文献刊行会から『世界奇書異聞類聚』全十二巻を刊行している。その中の十一巻のキンドの村山訳『女天下』については本連載4、そのドイツ語訳原書に関しても同246で言及してきた。

この『世界奇書異聞類聚』の第九巻がピエール・ルイスの太田三郎と荒城季夫訳『アフロデット』で、発禁処分を受けている。荒城は美術評論家で、この当時は月刊美術誌『日仏芸術』を編集し、フランス近代絵画の紹介に携わっていた。太田に関しては『日本近代文学大事典』の立項を引く。
(『世界奇書異聞類聚』第十一巻)(第十巻)日本近代文学大事典

 太田三郎 おおたさんろう(明治一七・一二・二四〜昭和四四・五・一(1884〜1969)画家。愛知県生れ。寺崎広業、黒田清輝に師事。裸婦を主とした作品を揮毫し、軽妙にして甘美な風格ある風俗挿絵を得意とした。代表作には、川端康成『浅草紅団』(「朝日新聞」)、矢田挿雲『太閤記』(「報知新聞」)がある。文章を善くし、抒情甘美な画文兼作の著作、『鐘情夜話』(大七・六 富田文陽堂)にその作風が顕著である。

これだけの紹介ではどのような経緯で『世界奇書異聞類聚』の翻訳メンバーに加わることになったか、まったくわからないにしても、荒城の立ち位置を含めると、二人の共訳の成立理由が朧気に浮かんでくる。おそらく太田か荒城のどちらかのところに『アフロデット』の翻訳が持ちこまれ、一人では自信がないので、共訳というかたちになったのではないだろうか。それは『世界奇書異聞類聚』で共訳がこの一冊だけであることにも表われているのではないだろうか。

それから太田の著書の版元の富田文陽堂は浅草で取次と赤本の出版に携わっていた。先に二回にわたってふれた金星堂の福岡益雄はここの出身で、太田が金星堂からも著書を出していることも既述したばかりである。

次に『瓜哇の古代芸術』の版元崇文堂に移ると、奥付には神田区神保町の崇文堂とあり、発行者は斎藤熊三郎となっているが、これは本連載281でふれた大阪の崇文館の後身とも考えられる。昭和十六年から始まる出版新体制は出版社にも大きな影響を与えざるを得なかったので、崇文館も東京に移り、経営者も変わり、社名も改めたと見なすことも可能である。

しかも崇文館も特価本業界に属していたことからすれば、また前掲の太田の著書を刊行した富田文陽堂もその近傍にいたはずで、そうした関係と編集者の人脈を通じて、『瓜哇の古代芸術』が編まれたのではないだろうか。

この本における太田の「序」を読むと、ジャワの芸術の体系的経緯について、その残存する宗教的施設の外郭線をたどり、多角的文化の検討を通じ、生活環境と造型文化を把握し、民族を認識し、民族との融合を図ることが述べられ、次のように続いている。

 この書の編述、すなはち主因を其処に置く。予えてそれについての見聞を念としてゐた私は、たまゝゝ今次、軍の命を帯びて数ケ月南方へ旅した折、幸ひにも当局の支援を得て、具さにそれ等の芸術史的遺跡を探査する機を得、一ケ月有半を費して、烈日の下に巡礼の歩みをつゞけたのであつたのだ。

そしてこの「一旅行者の卒爾な印象記」の目的がジャワ島中部にある大乗仏教の世界的な石造遺跡の「ブル・ブドゥール」、すなわち今日でいうボロブドゥールの紹介にあることも述べられている。それは自らの描いた「ブル・ブドゥール」の「素描」や「印象記」にも明らかである。それから考えると、これは太田の三十二枚の「素描」と百三十ページ余の「印象記」がそもそもの一冊で、それにこれも「ブル・ブドゥール」を中心とする七十ページの写真が組み合わされ、編まれているとわかる。

崇文館もまた特価本業界に属していたことを前述しておいたが、つまりこの一冊も「造り本」の印象と気配がある。おそらく「ブル・ブドゥール」の多くの写真は別の洋書に収録されていたもので、それがそのまま『瓜哇の古代芸術』へと移され、大判の美術書が出来上がったことになる。

もちろん無断引用であることはいうまでもないだろう。そうした編集製作は土方の訳書の『印度芸術』も同様であり、この時代における美術出版の在り方の一端を示しているように思われる。

なおその後の太田であるが、彼は福島県須賀川に戦時疎開し、その時に相馬、郡山、会津を含んだ岩瀬郡を中心とする生活風習、風俗、風景を描いた『民族と芸術 東奥奇聞』を、昭和二十三年に新紀元社から刊行している。これは未見であるが、単色挿絵五十二枚が収録されていて、そのうちの四十二点が、本連載298でふれた佐藤周一の営む古書ふみくらの数年前の古書目録に一括35万円で掲載されていた。これは売れたのであろうか。佐藤が亡くなってしまい、気軽に尋ねられないのが残念だ。
震災に負けない古書ふみくら

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら