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古本夜話372 野口米次郎私家版『鳥居清長』

書誌研究懇話会編『全集叢書総覧新訂版』八木書店)の浮世絵の出版のところを見ていると、東方書院の『浮世絵大成』だけでなく、大鳳閣からも『浮世絵大家集成』、また芸艸堂の『浮世絵志』、高見沢木版社の『浮世絵稀版帖』、第一書房の『浮世絵版画名作集』などの円本に類する長尺物が昭和初年に集中して出ているとわかる。それはこの時代が浮世絵の再発見と出版ルネサンスだったことを告げていよう。

全集叢書総覧新訂版

そのような動向とパラレルに野口米次郎が精力的に浮世絵師評伝を発表していて、それらは『歌麿』『鈴木春信』『葛飾北斎』『東洲斎写楽』『鳥居清長』『一立斎広重』で、後に英語版も出されたことから、浮世絵の海外への紹介において、野口は大きな役割を果たしたと思われる。しかし近年、堀まどか『「二重国籍」詩人野口米次郎』(名古屋大学出版会)も出されているが、 浮世絵師評伝の著作に関する言及や、まとまった具体的な研究を目にしていない。

「二重国籍」詩人野口米次郎

それらのうちの一冊の『鳥居清長』が手元にあり、しかもそれは昭和六年に著作者兼刊行者として野口が限定私家版八百部で刊行したものである。これは定価九円と高定価なこともあって、B5判上製、灰緑の表紙に野口の名前が箔押しされ、背の金の部分に『鳥居清長』というタイトルが浮かび上がる装丁となっている。

その内容は清長のカラー図版八枚も含めた浮世絵九十点、及びその解説からなり、それらに野口の「清長論」が添えられている。定価にしても造本にしても印刷にしても、紛れもない当時の豪華本だと見なしていい。ただ残念なのは、私の所持する一冊に箱がないことで、それも見たかったと思う。しかしその昭和初期の当代の豪華本も箱なき裸本ゆえなのか、古書価はわずか千円だった。

野口の「清長論」にふれる前に、谷進一、野間清六編『日本美術辞典』東京堂出版)によって、簡単な鳥居清長のプロフィルを示しておこう。享保から天明において、役者画や美人画を本領とした鳥居清満の門人で、鳥居三代目の師に子がなかったために、四代目を継承した、宝暦から文化にかけての浮世絵師である。初めは鳥居風役者絵を描いたが、次第に美人画に移り、女性の肉体美を写実的に表現し、その明快な色調と流麗な線描は天明画壇を風靡し、所謂清長風の美人画を完成したとされる。
日本美術辞典

野口は清長を「錦絵版画の創始者」にして、「彩色の夢想家」と呼び、その「清長論」を始めるにあたって、まず「清長は浮世絵版画の最高峰に立つ」との一節をエピグラフのように掲げている。そして清長が天明四年に至って「一大天才として浮世絵版画界に突如君臨」し、「東天の密雲を破つて出御する太陽の芸術家」と化した。それは「奇蹟を演ずるの神秘術」によって過去の版画芸術を自らの手法で作り変えたのだと野口は指摘し、その変容のメカニズムにふれている。

 彼は実際生活の美人に眼を開いてその溌剌たるライフに触れたのである。ライフの泉は滾々として尽くる所を知らない。芸術はそれに触れそれを自分のものとして始めて永劫性の得度を体現することが出来る。清長は両眼をかつと開いて実際生活の美人の香気に酔ひその皮膚に触れた時、彼は外面的芸術を離れて内部の遥かなるものに到達する秘密を握り得たのである。そして彼はその芸術的表現に動かすことの出来ない基礎意志を据えたのである。

それからアメリカの詩人フイッケによる清長の美人を「神様達」に見立てた詩を紹介し、彼女たちは芸者や遊女であるけれど、「西洋の詩人がそれ等を神様とし或は神様のやうな人間としても、一言反対の発すべきを知らない」とも書いている。

ここで野口は清長における「ライフ」の内的発見を具体的に語ることなく、清長がその「秘密」に到達し、それゆえに芸者や遊女が表象する「美人」を「神様」のように描くことができるようになったと述べていることになろう。まったく実証的でないことはいうまでもない。だがここで留意すべきは、野口がいうなれば二重国籍者的存在で、詩もまた西洋詩の形式によっていたことを考えると、このような清長の浮世絵に対する視線や解釈もまた、西洋の眼差しともいえるオリエンタリズムから派生してきたもののように思えてならない。だがそのようにして、浮世絵もまた発見されたことになるのだろう。

この一文を書きながら、ずっと『清長』(『浮世絵大系』4集英社)を手元に置き、野口の著作と比較参照してきた。これは野口本から四十数年後に出されたものだが、カラー図版は六十七点に及び、その後の清長の研究と作品の新発見の成果を盛り込んで出されている。しかし「参考文献」に野口の私家版は挙げられておらず、その代わりに昭和七年版、誠文堂の『鳥居清長(六大浮世絵師決定版)』が掲載されている。これは昭和六年私家版の普及版ということになるのだろうか。ただ大正八年に岩波書店からも『六大浮世絵師』が出ているので、その復刻とも考えられる。それから「収録図版リスト」を見ると、清長の作品の半分以上が、海外の美術館や博物館の所蔵で、それこそ浮世絵が野口のような眼差しによって発見され、次々に海外へと流失していったことを物語っていよう。
浮世絵大系 4 浮世絵大系 4 『浮世絵大系』4 六大浮世絵師

最後になってしまったが、ここで清長の作品をひとつ挙げてみる。それは「当世遊里美人合・蚊帳の内外」で、蚊帳を背景とする人物の構図と色彩が見事なものである。野口本のモノクロでその構図が気に入り、集英社版でその色彩の鮮やかさ、とりわけ蚊帳の薄い草色の細心な描き方に魅せられた。その後、たまたま時代舎に出かけたところ、高見沢木版社の国貞の「星の霜当世風俗 蚊帳」を見つけ、これを購入するに至ってしまった。もう夏は過ぎてしまったので、来夏に壁に掛け、「神様」のように見るのではなく、涼を得ることにしたいと思う。
(清長) (国貞)

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