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古本夜話382 吉屋信子、『黒薔薇』、『花物語』

交蘭社の詩集などについて、続けて言及してきたが、ここで小説にもふれておくべきだろう。

前回の福田正夫『夢見草』の巻末広告に吉屋信子の名前も見えていることを既述しておいたが、それらの書名を具体的に挙げてみると、『花物語』四冊、長篇小説『屋根裏の二処女』散文詩『憧れ知る頃』、創作『古き哀愁』で、大正十四年時点において、吉屋と交蘭社の密接な関係がうかがわれる。

『夢見草』花物語 上  花物語 下(河出文庫)屋根裏の二処女(国書刊行会)

しかしこれらの吉屋の著書を最初に出したのは『白樺』を発行していた洛陽堂で、そこに至る吉屋の人脈や事情については、本連載230でふれた田中英夫の『洛陽堂雑誌』三〇号が詳細な言及を行なっている。また吉屋の評伝として、吉武輝子の『女人吉屋信子』(文藝春秋)や田辺聖子の『ゆめはるか吉屋信子』(朝日新聞社)が書かれ、それらにおいても洛陽堂から交蘭社へと著作が移った事情が語られている。

女人吉屋信子ゆめはるか吉屋信子

これらの問題はその年月、洛陽堂の吉屋の著作の出版点数などに関して、田中の調査と照らし合わせると異なり、まだ断定はできないけれど、以下のようなアウトラインは共通している。大正六年に吉屋の最初の少女小説『赤い夢』を出して以来、洛陽堂はずっと彼女の作品を刊行し、同九年には『花物語』第一、二集も含め、五冊にも及んでいる。だが印税の支払いのことでこじれ、吉屋は洛陽堂と袂を分かち、すべてを絶版とし、交蘭社や新潮社へと版権を移すに至った。吉武の『女人吉屋信子』によれば、交蘭社は「欲得をはなれて、信子の作品を世に送り出すことに尽力し」、「社長の飯尾謙蔵は信子の才筆と独自の思想を高く評価していた」。

それもあって飯尾は吉屋に個人雑誌を出すことを勧め、交蘭社から大正十四年に『黒薔薇(くろそうび)』が創刊される。しかもその発刊の直接の動機は、吉屋の終生の伴侶となる最愛の門島千代への思慕にあり、下関に住んでいた彼女を上京させ、『黒薔薇』の編集に当たらせることだった。そのことを千代にしたためた吉屋の同十三年十月の手紙が、吉武の評伝に引用されているので、抽出してみる。

黒薔薇 (河出書房新社)

 今日交蘭社の主人が来たの(中略) 自分の目的は吉屋信子個人雑誌のパンフレットを是非やらせて貰ひたいつて云ふの 大丈夫売れる私一人で と云つたら ええ 大丈夫 花物語の読者だけでも充分に出す予算がありますつて云ふの 内容は純創作でよく これから交蘭社も「屋根裏の二処女」の出版を皮切りに いよいよ大人相手に文壇的にも乗り出していきたいのですつて 少年少女では不足でさびしいなんて生意気ね

続いて吉屋は雑誌名を『黒薔薇』とし、自宅を編輯の場とし、同性のよき作品にページを割き、千代の作品の掲載、給料に関しても約束している。そして吉屋はそこに同性愛をテーマとする『或る愚しき者の話』を連載するのである。『黒薔薇』は六十九ページ、定価三十銭で発行され、多くの支持を受け、予想を上回る一万五千部に達したというが、八号で廃刊となっている。それは吉屋の人気が高まり、依頼原稿が急激に増え、自由に書き続けることができなくなったからだとされている。『日本近代文学大事典』にも『黒薔薇』は立項されていないので、少し長い説明を加えておいたが、この『黒薔薇』のことだけを考えても、洛陽堂に劣らないほど、交蘭社が吉屋の生涯に大きな痕跡を残したことは間違いないであろう。

私は吉屋の著作に親しんだこともないし、吉屋文学とその世界にまったくの門外漢であるのだが、それでも国書刊行会から昭和六十年に復刻された『花物語』上中下の三冊は入手している。この中原淳一による装丁本は昭和十四年の実業之日本社の復刻で、洛陽堂版はやはり ほるぷ出版から復刻されているのだが、交蘭社版は未見のままで、その他にもポプラ社朝日新聞社版があるようだ。これらの復刻や様々な出版社からの途切れることのない刊行は、『花物語』が大正から昭和にかけての長き年月の間、読まれ続けてきた事実を物語っているのであろう。
花物語 上 花物語 中花物語 上 (国書刊行会)

『花物語』の最初の作品「鈴蘭」は次のように始まっている。

 初夏のゆうべ。
 七人の美しい同じ年頃の少女がある邸の洋館の一室に集うて、なつかしい物語にふけりました。その時、一番はじめに夢見るように優しい瞳をむけて小唄のような柔らかい調(トーン)でお話をしたのは、笹島ふさ子さんというミッション・スクールでの牧師の娘でした。

「初夏のゆうべ」から始まり、七人の美しい少女、洋館、なつかしい物語、夢見るような優しい瞳、ミッション・スクール、牧師の娘といった言葉は、吉屋文学のキイワードであろうし、そこに大正時代からの少女たちのときめきのドラマが潜んでいることを、そこに夢の王国があることを、吉屋はレスビアンならではの特有のセンスでいち早く幻視していたのではないだろうか。それゆえに実業之日本社版「はしがき」において、「私の文学への曙は、この物語から明け初めた」のであり、「あわれ、かくもなつかしき大事な花物語よ!」と記しているのだ。

しかも読者への影響は多岐にわたり、評伝を著すに至った吉武や田辺だけでなく、薔薇十字社を創業し、デコレーションケーキのような本を送り出した内藤三津子などにも及んでいる。彼女は『薔薇十字社とその軌跡』において、どうしてそれらの本を出すようになったのかという私の質問に対し、吉屋の少女小説の影響を語っていて、思いがけないところにも吉屋の波紋はひろがっていたと実感したのである。
薔薇十字社とその軌跡

 

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