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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話385 平凡社の戦前版『名作挿画全集』

「出版人に聞く」シリーズ12の飯田豊一『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』のインタビューで、あらためて教えられ実感させられたのは、SM雑誌のみならず、日本の小説や物語における挿絵の重要性である。日本の出版業界の場合、欧米と異なり、小説の書き下ろし出版は少なく、多くは雑誌や新聞に連載され、それが単行本となるプロセスを踏んでいるので、それは必然的に挿絵を伴っていることになる。
>『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』

私たち戦後世代は早くからコミック雑誌を体験してしまったこともあり、挿絵に対する特別な愛着はほとんどないと言っていいように思われるのだが、戦前の読者にしてみれば、それは本体の小説や物語に劣らない重要なイコンのようなものに映っていたのかもしれない。挿絵は少年少女誌や小説誌だけでなく、広く一般誌にも及んでいて、それは啓蒙的な意味も含んでいたにしても、戦後を迎えてのコミックやアニメーションの揺籃の地の役割を果たしていたと考えたい誘惑にかられる。

そのようなコミックはともかく、アニメに至るパースペクティブは備えていなかったにしても、やはり挿絵が重要な意味を持ち、それを集成しておくべきではないかという企画が出され、それが平凡社で実現の運びになったのである。『平凡社六十年史』も、それについて紙幅を割き、次のように述べている。

「名作挿画全集」は、五、六千部のものだったが、はじめての企画として歴史的な意味を持っている。この全集は昭和十年六月にはじまり、全十二巻で完結した。絵巻物以来の伝統をもつと同時に、大正末のマス状況の中で挿絵文化とでもいったジャンルが急速に拡大されてきたにもかかわらず、挿絵を正面からとりあげ、正当に評価するこころみは意外にとぼしかった。この全集はそういった状況を克服し、挿絵そのものの意義を再認識させる内容をもっていたといえる。
 古くは月岡芳年や梶田半古にはじまり、竹内桂舟や名取春仙を経て岩田専太郎、小田富弥にいたる近・現代の挿絵作家の代表的な作品を集めているが、あらたに描いたものも少なくなく、貴重な文献となっている。(中略)
 この企画の中心になって動いた画家は岩田専太郎、小田富弥、斎藤五百枝、林唯一、細木原青起などであり、この全集の出版を機会に発足した挿絵研究会は(中略)全集完結後もしばらく持続された。(中略)
 読者からの手紙がつぎつぎに編集部へ寄せられたが、挿絵画家を志望し、あこがれている地方在住の読者たちにとっては、「名作挿画全集」は唯一の窓口ともなったのである。

これを若干補足すれば、収録画家は百人ほどで、あらゆる分野の挿絵画家が一堂に会し、まさに「近・現代の挿絵作家の代表的な作品」の集大成となっている。

私が所持しているのは第五、十、十二巻の三冊だが、箱はあるものの保存状態はきわめて悪く、いずれも背が崩れ、見返しや奥付のページは欠け、本としてもはや解体寸前だといっても過言ではない。ところがその菊判の大きさを舞台として描かれたような挿画はカラーではなく、すべてモノクロであるけれど、どれも素晴らしく、臨場感を伴って迫ってくる。

吉屋信子の『花物語』の須藤しげるの絵はそれぞれの花に擬せられた少女たちのポートレートであり、藤村や白秋の抒情詩に寄せられた蕗谷虹児の絵は、はかない少女のイメージと過ぎ去っていく時と風景を描き、高垣眸の『怪傑黒頭巾』に添えられた伊藤喜久造の絵は時代劇映画のカメラアイを彷彿とさせる。北村小松の『初化粧』の小池巌、広津和郎の『青麦』の梁川剛一、林芙美子の『愛情』の田代光の三人の絵は都市とモダニズムの生活、その中での男女の関係をそれぞれに浮かび上がらせている。

だがそれらの中で私の好みでいえば、最も魅惑的なのは子母沢寛の『菩薩の花』と三上於菟吉の『雪之丞変化』における岩田専太郎の挿画であろう。時代小説の陰影、華やかさと淋しさ、男女の絡み、そこにこめられた風俗一齣はそれぞれに物語の奥行きをも提示し、表出しているかのような印象をもたらしてくれる。最初に挙げたインタビューにおいて、飯田は戦後の初期の挿絵画家における岩田専太郎の絶対的影響について語ってくれたが、それは『子連れ狼』の小島剛夕を始めとする貸本漫画家たちに関しても同様だったのではないだろうか。
>『子連れ狼』

ただ私もカラー版の多い『岩田専太郎名作画集』(毎日新聞社、昭和四十九年)を見ているけれど、この画集はそれほど魅力的ではない。モノクロにあったアウラが消えてしまっているように思われるからだ。それは同じく平凡社から昭和五十年代半ばに刊行された戦後版『名作挿絵全集』全十巻にも感じられる。この戦後版は戦前版を範とし、またそれを乗り越える意気込みで編まれたことは明白で、判型も倍の大きさで、印刷にしてもカラー版が入り、丁寧な編集や解説を比較しても、圧倒的に戦後版に軍配が上がるであろう。ところがどうしてアウラが感じられないのか。
名作挿絵全集

それは戦前版が挿絵の時代の全盛時に編まれたことに尽きるように思われる。ところが戦後版はもはや挿絵の時代が終わりを迎えようとした時期に編まれたゆえに、歴史になってしまっているからではないだろうか。すなわち歴史となった段階で、挿絵が内包しているリアルな生命と躍動感が失われてしまったとも見なせるのである。そのことを確かめる意味でも、戦前版の『名作挿画全集』全巻を見てみたいのだが、残りの巻を入手することができるだろうか。

なお装丁家大貫伸樹のブログに写真入り紹介があるので、ぜひ参照されたい。

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