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混住社会論60 G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)

木曜の男木曜の男



前回、E・ハワードがベラミーのユートピア小説『顧みれば』の影響を受け、『明日の田園都市』を著し、最初の田園都市レッチワースの開発に取り組んでいったことを既述しておいた。そしてベラミーの影響もさることながら、フェビアン協会社会主義クロポトキンアナキズム思想も同様ではないかという推測も記しておいた。エンゲルス『住宅問題』村田陽一訳、国民文庫)に関してはいうまでもないだろう。

明日の田園都市

また私は二〇世紀前半のアメリカのスーパーヒロインにしてアナキスト『エマ・ゴールドマン自伝』(ぱる出版)の訳者であるので、エマが一八九五年と九九年にイギリスを訪れ、クロポトキンを始めとする多くの人々に会っていることを知っている。それはいうまでもなくハワードの著作が出版された同時代でもあり、それらの人々の中に『明日の田園都市』に出てきたり、あるいは関係が深いと考えられる人物を見出すことができる。

エマ・ゴールドマン 上 エマ・ゴールドマン 下

これらのいくつもの事実から考えると、ハワードの田園都市計画はトマス・モアを起源とするユートピアビジョン、それに連なるフーリエ、サン・シモン、オーエンの系譜、同時代の社会主義アナキズム思想などをベースにして成立したと見なしても間違っていないだろう。

しかし当然のことながら、このような同時代の革新思想に基づくコミュニティ運動としての田園都市計画に疑念を抱く伝統的保守主義者たちも確実に存在していたはずだ。その一人は後に『ブラウン神父の童心』(中村保男訳、創元推理文庫)に始まるブラウン神父シリーズを書き継いでいくG・K・チェスタトンであり、彼は国教派からカトリックへ改宗しているけれど、一貫してキリスト教の伝統主義によっていたとされる。
ブラウン神父の童心
チェスタトン『自叙伝』吉田健一訳、春秋社)の第六章「幻想的な郊外」において、新しい郊外住宅地ベッドフォード・パークに言及している。
自叙伝

 ちょうど日が暮れかかっていて、その時だったと思うのであるが私は灰色をした景色の向うに夕焼け雲の一片とでもいうようにベッドフォード・パークの奇妙に人工的な感じがする村を見た。
 (中略)今日極めて当り前になっているものがその当時は何か奇抜に見えたのを説明するのは難しい。そういう人工的に変わった感じがするものは今日では変わっているとさえもいい難いのだが、その当時はどこか変でさえあった。ベッドフォード・パークは確かにそこに住む人たちが目標の一部に掲げていたものに見えた。それは外国人に近いものにみられている芸術家たちの部落であり、世間から迫害された詩人や画家の隠れ家であり、彼らはそこの赤煉瓦の迷路に潜み、世界がベッドフォード・パークを征服する時にはその赤煉瓦を盾に死ぬはずだった。しかしそういう無意味にも思える意味では今日では世界のほうがベッドフォード・パークに征服されている。(中略)ベッドフォード・パークでのこの美学の実験は当時まだ始められて間もなかった。そこの生活には確かににそれだけで独立して行ける生活共同体的なところがあってそこに専属する店や郵便局や教会や宿屋が出来ていた。

このベッドフォード・パークの芸術家たち以外の住民は、名高い歴史家ヨーク・パウエル教授、世に知られたケルト学者トッド・ハンター博士、最大の詩人イェイツ、ジョン・ハンキンのような正統的無神論者などで、「偉い人たちが偉そうにでなく静かに暮らしていた」。それゆえに「この共和国については何か芝居がかっていて夢と現実がごっちゃになっているような、一部は空想で一部は冗談なのだという気がしていたが、それでもそれは単なるまやかしではなかった」。

ここで補足しておけば、チェスタトンのいう「幻想的な郊外」とは、宮台真司『まぼろしの郊外』朝日文庫)や越智道雄『幻想の郊外』青土社)で示されている現代の郊外とニュアンスが異なっている。それはチェスタトンもふれているように、ベッドフォード・パークの象徴ともいえるイェイツが神秘主義に傾倒し、神智学とブラヴァツキー夫人に魅せられ、『幻想録』(島津彬郎訳、ちくま文庫)を刊行し、また英国心霊研究協会や「黄金の夜明け」教団に加わったりしていることを示唆している。それらについての詳細は、ジャネット・オッペンハイムの『英国心霊主義の抬頭』(和田芳久訳、工作舎)などを参照されたい。

まぼろしの郊外 幻想の郊外 幻想録 英国心霊主義の抬頭

またチェスタトンは自分も参加したベッドフォード・パークの討論クラブI・D・Kを取り上げ、この頭文字の意味について、神智学者たちは「インドの神秘的な輪廻」(India’s Divine Karma)、社会主義者たちは「個人主義者を蹴飛ばせ」(Individualists Deserve Kicking)と見なし、外部に対しては「知らないんです」(I don’t know)と答えていたエピソードをも披露している。これらはベッドフォード・パークの「何か芝居がかっていて夢と現実がごっちゃになっている」事実を告げている。

このベッドフォード・パークは「中流階級ユートピア」のサブタイトルが付された片木篤の『イギリスの郊外住宅』(住まいの図書館出版局、星雲社)にも紹介されている。片木はこれがハワードの田園都市提唱以前の「中流階級と住宅復興運動」の一環として、一八七五年に建売業者によってロンドン近郊の鉄道路線沿いに開発されたイギリスで最初の郊外住宅地だと述べ、十ページ以上にわたって写真や設計図などを示し、ピクチャレスクな言及となっているので、チェスタトンの「幻想的な郊外」としてのベッドフォード・パークの一端をリアルに浮かび上がらせている。

イギリスの郊外住宅 『イギリスの郊外住宅』

しかしここで重要なのは片木も指摘しているように、このベッドフォード・パークこそがチェスタトンの特異な長編ミステリー『木曜の男』の舞台と背景に他ならないことだ。これまでほとんど注視されていないが、この小説には「A Nightmare」=「ある悪夢」というサブタイトルがあり、南條竹則の新訳『木曜日だった男』光文社古典新訳文庫)はその「一つの悪夢」を表紙タイトルに適切に添えている。
木曜日だった男

ただこの南條訳は書き出しの“The suburb of Saffron Park lay on the sunset side of London, as red and ragged as a cloud of sunset”の「suburb」が「一画」となっているので、本連載のテーマと目的からすれば、残念ながら吉田健一による旧訳で、郊外の物語として翻訳されている『木曜の男』を採用するしかない。吉田訳は次のように始まっている。

 ロンドンのサフロン・パークという郊外は、ロンドンで日が没する方に、夕日の光を受けた雲と同様に赤く、きれぎれになって広がっていた。そこの建物はみなまっ赤な煉瓦でできていて、建物が空に描く輪郭はおよそ奇妙なものであり、この郊外の平面図も決してまともなものではなかった。(中略)それでこの郊外が芸術的な感じがする住宅地(中略)、それがいかにも居心地のいい場所であることは疑いの余地がなかった。ここに並んでいる風変わりな赤煉瓦の家を初めて見たものは、そんな家に住んでいる人間はずいぶん妙なかっこうをしているのではないだろうかと思った。そして実際に会ってみて、この期待は裏切られなかった。この郊外は居心地がいいばかりでなく、そこを一種のごまかしと考えずに、一つの夢と見るならば、まったく申し分がなかった。そこに住んでいる人たちが芸術家ではなくても、その辺全体が芸術的だった。

このように描かれたサフロン・パークはまさにチェスタトンが「幻想的な郊外」で取り上げたベッドフォード・パークに重なり合うもので、サフロン・パークとはベッドフォード・パークだと断言してもかまわないだろう。

このサフロン・パークに二人の詩人が現われる。一人はアナキズムを唱えるルシアン・グレゴリー、もう一人は法律と秩序に味方するどころか、世間体をも尊重するガブリエル・サイムである。二人は秩序と無秩序、及びその立場をめぐる論争の果てに居酒屋に出かけ、個室に入って飲んでいると、テーブルが回り始め、二人もろとも昇降機のように地下へと落ちていった。そして明かされる二人の実際の姿、アナキズム秘密結社を支配する議長の「日曜」から「土曜」までのメンバーたち、「木曜」となるサイム、それに続いて次々に暴露されていくメンバーたちの正体と相まって、物語はサフロン・パークでの予想もしなかった結末へと進んでいく。

その言い回しと逆説の使用はチェスタトン特有のプロット展開と不可分で、「幻想的な郊外」に垣間見られていたさまざまな近代思想と歴史的事柄、それらに対する疑念や共感が散りばめられ、討論クラブの頭文字の多様な意味に象徴されるように、チェスタトンならではの幻想的冒険的なミステリーに仕上がっているといえよう。

この『木曜の男』に対してはチェスタトン自らが「探偵小説弁護」(別宮貞徳訳、『棒大なる針小』所収、春秋社)に記している言葉を引用しておくべきであろう。それは次のようなものだ。「探偵小説の主人公がロンドンの街をさまよう時、さながら妖精の国をさすらう王子の孤独と自由がそこはかとなく感じられるではないか。一瞬先には何が起こるのか、予測もつかぬこの放浪……」、「探偵だけがただひとり独創的にして詩的なる人物なのだ」。

棒大なる針小

したがって『木曜の男』は、チェスタトン=「探偵」がベッドフォード・パークのような「風変わりな郊外」と出会ったことで生まれた「探偵小説」だと見なすこともできるであろう。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1