出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話389 ウェルズ『生命の科学』と小野俊一

大正時代にヨーロッパから新しい文学、思想、宗教などが明治時代よりもはるかに速く、しかも広範に流入し、それらは出版物として具体化され、さらに昭和円本時代に全集化、シリーズ化されたことを既述してきたが、それは科学も例外ではなく、昭和五年に平凡社もウェルズの 『生命の科学』全十六巻を刊行している。

(戦後再版)

私も以前に拙稿「原田三夫の『思い出の七十年』」で、科学啓蒙書や雑誌の歴史について書き、またウェルズのことも「北川三郎とウェルズの『世界文化史大系』」(いずれも『古本探究』所収)において言及している。実は『生命の科学』翻訳の監修を務めている石川千代松の息子の家庭教師だったのが原田、翻訳陣は北川の友人たちで、科学の分野の出版人脈もまたつながっていたことになる。

古本探究

『生命の科学』はウェルズが生物学者の息子G・P・ウェルズや、これも著名な生物学者のジュリアン・ハクスレーと共著で出版したもので、その内容に関して、第一巻所収の石川の「ウェルズ生命の科学の監修者として」に示された見解を引いてみる。彼は同書を科学的、通俗的にして面白く、「有益の良書」と呼び、次のように書いている。

 此書は進化論から、遺伝や変異の事を論じ、性の起因、人類の進化等を最も解し易く書き、それらに関する沢山の論説を誰れにでも解り易く書いたもので、非常に多くの絵が入れてある。無論ダーウィン、メンデル、パスツールから一方にはラマークの説とそれに対してワイスマンの説をも掲げたものであるが、又地質の変遷と生物の起因に関してもパスツールの生物自然生出反対説をも論じてある。夫れから他の方面には、生物の生態其他今日の生物学で解つた事実は殆んど皆論述してある。

それに篠原進、宮下義信、田上光、近藤栄蔵名による昭和五年十月付の「訳者序」が続き、原書が昨年三月第一週から二週間ごとに大判三十二ページの分冊で出され、本年五月第一週第三十一冊目で完結したことがまずレポートされている。つまり原書版は分冊百科形式で出版されたことになるし、翻訳もほぼリアルタイムで進み、原書完結の同年に日本語版も出されていたのである。

そのことも影響し、造本が原書版に似通ったフランス綴の略装本となったのであろう。ただ『平凡社六十年史』に掲載された書影は裸本であるけれど、私が所持するものは箱入である。またこちらは未見だが、昭和十年合本版八巻は本クロスの重厚な本だとされている。

その合本版の奥付も確かめてみたいのだが、昭和五年版の訳者代表は「序」に連なっていない小野俊一で、検印も小野の印が押されている。この人物は石川が先の「監修者として」において、「早稲田中学に居られた時分からの友人」「此の翻訳を思ひ立たれその出版の隠れたる功労者である小野俊一君」である。そしてこれも先の「序」の中で、「本翻訳の実現に就いて忘れる事の出来ないのはタイムス出版社長小野俊一氏であつて、氏は本翻訳計画成立の当初から陰に陽に吾々を援助し、督励し、さらに困難なる各方面の関係に就いて絶大な努力を惜しまれなかつた」と記されている。

これらの記述から、この小野が 『生命の科学』の日本語版のプロデューサー、編集者、翻訳者を兼ねていて、それゆえに訳者代表として奥付に登場していると推定できる。タイムス出版も小野の名前も、ここでしか目にしていないが、『生命の科学』を刊行したイギリスの出版社と何らかの関係があった人物ではないだろうか。

残念なことに、ノーマン&ジーン・マッケンジーの『時の旅人H・G・ウェルズの生涯』村松仙太郎訳、早川書房)に出版社名は出ていない。あるいはまた大正十三年に、ウェルズのフェビアン協会にならって、日本フェビアン協会が設立され、平凡社下中弥三郎もそれに加わっていて、小野もその関係者ゆえに平凡社『生命の科学』の企画が持ちこまれたのかもしれない。

時の旅人H・G・ウェルズの生涯 下  (ハヤカワ文庫版、下)

ここで 『生命の科学』とは話がちがってしまうけれど、その下中がこの「月報」第一号に平凡社々長として「よい本必ずしも売れず」という一文を寄せて、出版の変わらない現実をあまりにもフランクに語っているので、それを紹介しておきたい。

平凡社は「真珠をボロに包んだやうな本も随分世に送つて」いて、それらは「よい本として自信のある出版物、心ひそかに誇りとしている出版物」だが、「極めて売れなかつた本」として、本連載242の権藤成卿の『自治民範』以下の十二点を挙げている。それらの著者とタイトルを反復して上げることは差し控えるが、その中で私が読んでいるのは『自治民範』だけで、著者名としても、権藤に加えて高群逸枝と宮崎虎之助を知っているぐらいで、他の著者たちは未知だし、それらの著作はいうまでもない。だが下中は続けている。
[f:id:OdaMitsuo:20140318181132j:image:h120]

 本としてはみんな優れた本である。それぞれの内容には悉く伝ふべき思想が輝いてある。読み味つてくれる人が少なくても真に味ひ得た人は必ずその人の魂を驚かせ革命させずにはおかない何物かをもつている。がかういふ本は得てして売れない。従つて道楽出版だとけなされる材料になる。経済的には実際損である。この不況の折柄だ。当分道楽は控えねばなるまい。実のところこの道楽こそ出版業者の生命なんだと思つてるんだが。

この結びの「この道楽こそが出版業者の生命」というところにこそ、下中の本音が思わずもれてしまっていて、それがまた出版の事実であることに身につまされる。拙稿「平凡社と円本時代」(『古本探究』所収)で示しておいたように、当時平凡社は「円本の総本山」として、昭和二年から六年にかけて、三十七種類、七百巻に及ぶ円本を刊行している。しかし下中にとって円本の多くが、「出版も一つの創作だとは思つてはゐるが、生きて行く為には世間並みに膝を屈して行かねばならぬ」企画だったにちがいない。

なおその後の調べで、小野が『近代日本社会運動史人物大事典』に立項されていて、東大時代にエスペラント語を学習し、ペロトグラード大学に留学し、ヴァイオリニストのアンナ・ブブノワと結婚。彼女は諏訪根自子、巌本真理らの師。小野は戦後、民衆新聞や社会党に関わっていたとされる。
近代日本社会運動史人物大事典

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら