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混住社会論61 カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)

8MileWEDGE



ロンドン郊外で最初の田園都市レッチワースの開発が始まったのは一九〇三年であり、それからすでに一世紀以上を経ていることになる。イギリスを起源として欧米へも伝播していった田園都市計画は、その後どのような行方をたどったのだろうか。

日本の戦後の団地開発も田園都市計画のヴァージョンのひとつだったと見なせるが、建物の老朽化と住民の高齢化に見舞われ、高度成長期にあっては憧れの住居であった団地にも黄昏が訪れていることは明瞭である。

しかし黄昏どころか、アメリカにおいて現実的に破綻を迎えてしまった田園都市もあり、それはデトロイト問題として顕在化したといえよう。その予兆と気配は二〇〇二年のデトロイトを舞台とする映画、カーティス・ハンソン監督、白人ラッパーのエミネム主演『8Mile』にすでに表出していた。これはカリスマ的ラップアーティストであるエミネムの半自伝ともいえるサクセス・ストーリーを映画化したとされている。DVDの裏ジャケットに寄せられたこの映画の簡略なストーリーは次のようなものである。

1995年―ミシガン州デトロイト。そこに境界線となる“8マイル・ロード”は都市と郊外、さらに白人と黒人を分ける分割ラインにもなっている。没落した貧民街に暮らすジミー(エミネム)は、貧しい母子家庭で母親は若い男と自堕落な暮らしを送り、幼い妹の面倒を見なければならない。その鬱屈した心の思いつくままにリリック(歌詞)を書き綴る。いつかラッパーとして認められ大きな契約にサインすることを夢に、ヒップホップクラブ“シェルター”でドーブ・ラッパーを競うラップ・バトルへ立ち上がる! 黒人が圧倒的に有利なフリー・ラップ・バトルで、ただ一人白人のジミーに果たして勝機はあるのか―!?

『8Mile』はジミーがクラブのトイレでラップの練習をしているシーンから始まっている。ラップもクラブでも黒人が主流で、白人のジミーは黒人から差別される存在だが、両者に共通するのはDVDの紹介の言葉を借りれば、「没落した貧民街に暮ら」していることだ。彼は廃車処理を主とするプレス工場で働いているが、そこは「クズばかり」で「負け犬ども」の職場に他ならない。ジミーは愛人と別れ、車も渡してしまったので、宿無しになっていた。そのために母親が小さな妹と住むトレーラーハウスへと向かうのだが、彼女は新たな若い男と同棲中だった。どうも後の会話からすると、この男はジミーの高校のそれほど歳が離れていない上級生だったようなのだ。

これらの事実からすると、白人黒人、男女を問わず、クラブのメンバーやプレス工場の労働者たちの多くがデトロイト市内の同じ高校の出身者であり、誰もがこの街から脱出することを夢想している。街の衰退ぶりを浮かび上がらせるように、さびれた商店街やスラム化したような商店が映し出される。それに住宅もまた空家になっている。登場人物の一人はいう。「デトロイトはどこも廃屋ばっかりだ。こんな街サイテーだぜ」と。さらに廃屋が放火され、燃え上がるシーンも挿入されている。それなのに市は街の再建のためにカジノ誘致に勤しんでいるだけらしい。シャッター通りといいカジノ誘致といいそれらは日本の商店街やその復興計画と共通していることになる。

ジミーはそのようなデトロイトの悲惨な街の状態と自らがおかれた状況を、アグレッシブなリリックからなるラップに託して表現し、競うのだ。「白人は8マイルの向こうにいけ」と罵声を浴びながらも、ラッパーに「色は関係ない」と確信して。『8Mile』の映画文法は明らかで、サブタイトルに「Every moment is another chance」が付されているように、逆境の中にあって得意とするもの、信じているもの、打ちこんでいるものを脱出の手段とし、困難を排してそれに挑み、成功するというビルドゥングスムービーを踏襲している。かつてであれば、それはバイオレンスやスポーツなどであったが、この映画にあってはラップなのだ。

しかし物語のコアであるラップとラッパーのことはともかく、タイトルに示された『8Mile』そのものに関しては具体的な描写や露出を伴っていないように思われ、それが映画を観た後も曖昧なイメージのままで残っていた。それは私ばかりでなく、引用した内容紹介を書いたライターも同様で、そのまま読むと都市に白人、郊外に黒人が住んでいるような構図となる。ところが二〇一三年七月のデトロイト破綻を受け、『WEDGE』12月号がスペシャルレポートとして、「現地ルポデトロイトから見える日本の未来」を掲載しデータと地図と写真を併用し、デトロイトと「8マイル・ロード」の実情を描きだすに至っている。

だがそれにふれる前に、清水博編『アメリカ史』山川出版社)や『アメリカを知る事典』平凡社)、及びG.S.Thomas,The united States of suburbia (Prometheus Books)などを参照し、デトロイトの歴史とその成立をラフスケッチしておく。デトロイトミシガン州の南東部に位置する商工業都市で、市名はフランス語のdétroit=海峡に由来し、世界有数の自動車工業都市=Motor City とも呼ばれていた。田園都市としての発祥は定かでないが、モーター・シティとしての発展は十九世紀末に始まり、一九〇三年にフォードが設立され、T型フォードの生産が始まり、アメリカは車の時代を迎え、デトロイトはその中心となった。おそらくその一方で、田園都市計画も進行したのではないだろうか。第二次世界大戦中は軍事産業都市でもあり、戦後もゼネラル・モーターズ、フォード、クライスラーデトロイトや隣接衛星都市に本社を置き、自動車工業都市圏を形成していた。

アメリカ史アメリカを知る事典 The united States of suburbia

それに伴い、多くの労働者が集まり、一九一〇年人口四六万人が五〇年には一八四万人に達したが、それ以後は減少に向かった。ただ黒人人口は両大戦間期に急増し、六〇年代はそれが公民権運動に結びつき、七〇年代以降は人種問題と車産業不況による失業問題が重なり、八〇年代時点での市人口の六三%が黒人とされる。これが『8Mile』におけるデトロイト社会の歴史とその舞台背景ということになろう。

さて次に『WEDGE』レポートだが、『8Mile』は一九九五年の設定だったのだが、これはその十八年後のデトロイトの現在を生々しく伝えている。冒頭からデトロイト状況を象徴せんばかりの、八八年に廃駅となったミシガンセントラルステーションの異形で薄気味悪い巨大建築物への言及がある。それは一三年に建てられ、世界一の高さを誇る駅として有名だったが、窓ガラスはなく、有刺鉄線を巻きつけたフェンスで囲まれ、もはや立ち入ることはできない。周辺はスラム化し、人の気配はなく、駅前の一軒家は放火されたためか、黒く焦げ、屋根は朽ちていたとレポートされ、その無残な駅とゴーストタウンのような市内の路地の写真が添えられている。

そして六四年のオリンピック招致をめぐって、デトロイトと東京が激しいライバルとして争っていたというエピソードも記されている。その当時、デトロイトはモーター・シティとして栄華をきわめ、目抜き通り商店街はニューヨーク五番街に匹敵し、アメリカを代表するする都市でもあった。それがセントラルステーション建設の百年後にアメリカ地方自治体として最大規模の一八〇億ドルの負債を抱えて破綻したのである。

デトロイトの衰退と破綻に至るプロセスもたどられていく。それは第二次世界大戦後に郊外の住宅ローンプログラムがスタートし、郊外が徐々にではあるが、大きく発展していったことによって、デトロイトタイタニック号のように沈んでいった事実が語られる。華やかなモーター・シティに職を求め、多くの労働者が国内外からデトロイトにやってきたが、その圧倒的多数はアメリカ南部の黒人で、彼らは市内に住みついた。だが白人優位差別政策に反発し、六七年に黒人暴動が起き、白人は「ホワイトフライト」と称される郊外移住を加速させた。

六〇年代から始まった白人の郊外化に所得ある黒人も続き、デトロイトは富裕層や企業の郊外化によって税収減に陥り、その一方で黒人貧困層をコアとして抱えることになった。また自動車産業の凋落も加わり、市は財源が不足し、それは行政サービスにも及び、警察官や消防士の減少にもつながり、治安も悪化し、それはさらなる郊外化に向かうことになった。

それを象徴するのがデトロイト市の中心部から8マイルの距離に位置する「8マイルロード」で、「天国と地獄の境目」とも称される道路である。『WEDGE』レポートはデトロイト市と周辺の郊外を形成オークランド郡、マコーム郡などの地図を示し、「8マイルロード」がデトロイト市の北側にあり、オークランド郡とマコーム郡との境界となっていて、その内側に黒人が暮らし、その外側が主として白人のエリアであることを伝えている。

その具体的例として、『8Mile』における「白人は八マイルの向こうにいけ」といいうセリフも引用されている。だがそれに至るまでもなく、デトロイト市と郊外の地図は、『8Mile』の定かでなかった地政学と環境をすでに明示していたことになる。映画は「8マイルロード」の外側にある郊外の全米屈指の豊なエリアをまったく描いていなかったし、あくまで内側の物語として描かれ、またそれゆえに成立したのだということを教えてくれる。

ふれられなかったが、デトロイトも含めた「ラストベルト(錆びついた工業地帯)」エリアにおける再生の試みもレポートされているので、興味ある読者はぜひ参照してほしいし、ウエッジに対してはこのレポートの新書版での刊行を期待したい。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1